昨日、各界においてよく知られている乙武洋匡さん主演の映画『だいじょうぶ3組』を観てきました。
手足のない担任教師を御本人が演じ、とある小学校での一年間に渡る子供達との心の触れ合いを描いた作品です。
そしてロックバンドTOKIOで御馴染みの国分太一さんが、乙武さんの補助教員という役柄で出演し作品に花を添えています。
乙武さんは『五体不満足』の著書を始め、スポーツライターや現在は東京都教育委員としても活躍する類い稀な才能を持つ方です。
片や国分さんはバンド活動を行いつつ、司会や俳優としても活躍するマルチな方です。
そんな御二方が教育と障害という、ともすれば重く受け止められがちなテーマを清清しさをもって演じきっています。
勿論、実際の各現場はそうではないという意見が圧倒的だと思います。
けれども誰にとっても身近な問題について、少し立ち止まって考えるいいきっかけになるのではないでしょうか?
今回の作品を観て改めて思ったことは、常識は常に疑ってかかるべしというものでした。
俺も世間一般の慣習に囚われることが稀にありますが、様々な考え方を取り入れては自分でこのように反芻することを常に心掛けています。
「『無い』事に目を向けるのではなく、『有る』ことが今以上に伸ばせるよう本人が努力し周囲もそれをサポートする」
これは教育についてはもとより、就職や生涯活動などにも言えることだと思うのです。
昨年の初春、“ディスレクシア”という読字障害を持つ砂長宏子さん(通称 美んちゃん)主演の『DXな日々 美んちゃんの場合』という映画を観る機会がありました。
読字障害とは、先天的な脳機能の障害のために文字の読み書きに支障をきたす状態を指すそうです。
そして御本人や作品が各メディアやNHKの番組で取り上げられて以降、国内でも徐々にこの障害に対する理解が浸透していっているようです。
彼女は長年に渡り自身が抱えている障害の正体が分からず、理不尽な思いを抱えながら幾度も転職を繰り返したそうです。
そういった苦労を強いられた彼女ですが、今や惣菜店の経営をしつつ得意の料理を振る舞うことで社会の一員として大いに活躍しています。
またメイクアップアーティストという、料理とは全く異なる分野でも彼女はいかんなくその才能を発揮しています。
俺は実際に上映会場で彼女と言葉を交わして以来、日々“普通”という概念についてよく考えるようになりました。
「普通って何だ?」「健常者と障害者の違いって、何をもって線引きされるんだ?」
「読み書きが出来る凡人が普通と見なされる一方で、障害者という認識だけで可能性を秘めた人を活かし切れないこの社会は何だ?」
政界や財界に蔓延る劣等感を抱えた凡人が、利権を振りかざし個々人の個性という芽を摘んでいるという風にしか俺の目には映らないんですね。
俺自身がこの社会で生き辛さを感じていた折、砂長さんの御蔭で「こんな自分でもいいんだ」という気づきを得られたことは本当に救いになりました。
発達障害・ADHD・アスペルガーといった語彙や定義など、自分にはまず馴染みがなかった事柄について考えを巡らすことが最近になって増えてきました。
どの学校・職場においてもいえる事ですが、身体・機能障害に留まらず潜在的に何らかの障害を抱えている人がいて当たり前だと俺は思うのです。
言葉だけでなく、本当の共生社会を築くにはどうしたらいいのかを俺自身も微力ながら考えていきたいです。
乙武さんは実際に3年間の教員生活を経験されているとの事ですが、彼とほんの一時でも時間・空間を共有出来た子供たちが実に羨ましいなあと思います。
現役の小学生もいいと思いますが、むしろことある事に「子供のため」という言い訳をしがちな保護者や教師の方々に「だいじょうぶ3組」を観て頂きたいですね。