アラフィフ独身女の幸せへの道
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人生のドン底がまだあったかと、難病、うつ病、借金まで抱え、そこから這い上がって行くアラフィフ女の人生を綴っていきたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。
大学は英米文化学科に行ったものの英語は話せず。大学4年でカナダ🇨🇦、イギリス🇬🇧に1ヶ月ずつの短期留学をしたが、今思えば長期行っておけば良かった。わりと安全と言われるカナダはトロントの英語学校へ。夏休みということもあって、日本人95%、日本人の友達を作って帰ってきた笑。リベンジでロンドンへ短期留学し、そこでは、もう26年くらいの付き合いになるブラジル🇧🇷人の友達ができ、今でも交流を続けている。
アラフィフ人生で、物の断捨離はできておらず、ゴミ屋敷手前であるが、人との関わりについては、これまで、離婚を含め3度断捨離を行った。そんな中彼女🇧🇷は英語ができない私とコミュニケーションはやや困難であるが、大切な友人として続いている。
私の断捨離の方法としては、わかりやすく📱の電話帳を見ながら、削除していく。
本音で話せない友人は、会ってそれなりに楽しいが上辺の付き合いは多少疲れる。そんな度合いの付き合いの人達とはコロナ禍もあり会うことはなくなった。
私も逆に選別されているだろう。私の残りの人生に必要な大切な人リストは、やはり1番苦しい時に声を一言でもかけてくれた友達であろう。
母親が癌の闘病で亡くなった時、どこからか亡くなったことを聞き、電話をかけてきてくれて、「大変だったね。辛かったね。」と一言くれた。本人にしてはそれくらいしか声のかけようがなかったかもしれないが、私はその一言で今までが、報われ慰めとなった。
父親が35歳の時に突然死し、40歳で母親が胆管癌で亡くなった。母親は私が35歳の時、父親が突然死する2ヶ月前に、症状があり病院で検査後胆管癌と判明。その後は私が仕事を辞めたりして、ほぼ1人で介護してきた。兄姉とは介護をめぐって不仲となり、私に対してねぎらいの言葉はなかったのに、他人である友達から声をかけてもらい自然と号泣した。
私の年齢で両親が共に亡くなっているのは少なく、話題に出るのが辛くて同窓会も断った。
今コロナ禍となり、人との交流も減り、私誰かパートナーを見つけたいという思いが強くなり、婚活も始めた。結婚は28歳頃にして、29歳で離婚。それこら、結婚の話が2回あったが、最終的な問題に阻まれ別れることになった。最後の恋愛からもう8年くらい経っているだろう。
知らず知らずくだり坂を選んだのは、紛れもなく私である。勉強にしても何にしても苦労して上り坂を登らなかった事が今に繋がっていると思う。
どんなにどん底の私でも、変わらず接してくれる友人は少なくていい。
