韓国のクライミングスクールに通うために、ダンナが数か月間寝泊まりさせていただき、
数多くの思い出を紡いだ白雲山荘が、昨日、最後の日を迎えたそうです。
残念でなりません。
以下、韓国と日本の岳人のかけはし的な存在の知人、内野かおりさんのFBより。
【韓国ソウルの白雲山荘に思い出のある方々に、
最後の日を見届けていただきたい。拡散を希望します!】
昼はインスボンでクライミング、
夜は白雲山荘でソジュ(焼酎)でコンベー!(乾杯!)。
そんなクライマーは日本にも多いのではないでしょうか?
ソウル北漢山の白雲山荘は、今日看板を下ろしました。(泣。。。。。)
多くの韓国の岳人がこの小屋を守ろうとして裁判で争いましたが、
国立公園管理公団所有の小屋であると判決が下りました。
控訴しなかったのは、昨年9月に小屋のご主人である李永九(イ・ヨング)さんが急逝
されたことも影響していると思われます。
以下、マウンテンジャーナルの記事を全文日本語訳します。
シェアした記事には白雲山荘の最後の姿が収められています。ご覧ください。
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[映像]白雲山荘 最後の日
韓国最初の山小屋であり、民間が運営してきた最後の山小屋でもある白雲山荘が
国の管理になり、2019年12月2日、95年の歴史に幕を下ろした。
北漢山国立公園管理公団は2日午後、白雲山荘の看板を撤去し山荘を閉鎖、新た
に救助隊の看板を掲げ、来年リニューアル後は、1階は山岳写真や案内展示を、
2階は特殊山岳救助隊の事務室として使用する予定だ。
3代目として小屋を守ってきた故イ・ヨングさんの妻キム・クムジャさんは小屋の裏手の
白雲庵で当面は寝起きする。
クムジャさんは「これまで白雲山荘を守るために力を尽くしてくれた人たちに感謝する。
いつか皆を呼んでささやかな食事でもてなしたい。」また「小屋が無くなることで、いろ
いろ言う人もいるが、1年2年と過ぎれば、この小屋がどれだけ大切な所であったか
分かるでしょう。」と付け加えた。インターネット上の記事に寄せられる『不法建築物』
『国有地無断使用』などの心無いコメントへの答えだった。
マラソンランナー孫基禎の筆による白雲山荘の看板は息子であるイ・ぺギンさんが
公団に寄託し今後展示などに利用されるために保管中であり、韓国山岳会救助隊、
ソウル市山岳連盟、大韓山岳連盟登山教育院のそれぞれの看板は各団体と協議し
処理されることとなった。
白雲山荘返還に至る流れはこちら、内野夫妻のブログをコピペさせていただきます。
http://giljabi.net/korea-mountain/2826
2009年4月
いろんなことがあった私とダンナの結婚生活。ダンナの怪我もほぼ治り、仕事も軌道に
のりはじめ、最初に計画した2人一緒の海外山行がここ、韓国の北漢山だった。
ダンナは地元のコーロン登山学校に通うため、ここに寝泊まりさせてもらっていたらしく、
このときもダンナが来ると聞いて、小屋のオーナー、イさんがわざわざ町から登ってきて
くださったことを思い出す…。ダンナは生まれ故郷にでも帰ったかのようにはしゃいで、
マッコリをがぶ飲みして、大いびき!それほど心地よい場所だったんだろうな・・・。
大雨の中、北漢山に登って、あたたかいククスー(にゅう麺)を食べさせてもらい、いよいよ
下山の時・・・。この年の12月、ダンナは事故で亡くなった・・・。
今年、北漢山再訪。昨年末にオーナーがなくなり、奥さんが頑張っておられた。裁判の
ことなどもあり、いろいろと大変だと思うけど、頑張ってくださいね!と抱き合ってお別れ
したのだけれど・・・。案の定、小屋は国に返されることになった・・・。