2010年が終わろうとしている。
今年1年、これまでの人生の中でもっとも泣いた1年だったと思う・・・。
ダンナに会いたくて泣きまくった。
自分の人生をどう歩んでいけば良いかも分からなくなって、ずっと半べそだった。
元気そうで安心した、って言ってもらうけれど、その笑顔は外面で、家ではいつまでもシクシク
泣いていた。
いまだに、救急現場のテレビは見れないし、救急車の音には耳をふさぎたくなる。
私があの日着ていたLLbeanのジャケットも着る気がしないし、
もちろん、金毘羅山にはどうしても足が向かない・・・。
たまに、ハンガーに吊っているダンナのジャケット達の中に顔を突っ込んで、ダンナのにおいや
感触を思い出そうとしてみたりする・・・。
でも、流した涙とともに、ダンナの思い出もこぼれていってしまったようで、立体的なダンナは
どんどん消えていき、写真に残っている平面的なダンナしか思い出せなくなってきた。
今、私の頭の中に大きなウェートを占めているのは、ダンナが亡くなったことではなくて、
亡くなったことで知った、様々な大切なことである。
ダンナが亡くなり、ダンナの存在が私にとってどれだけ大切だったかを再認識した。
そして、私がどれだけダンナを思っていたのか、ダンナが私を思ってくれていたのかも
改めて気付いた。
自分を支えてくれ、心配してくれている人がいっぱいいることにも気付かされた。
仕事柄、お世話する側、心配する立場、というスタンスが殆どで、心配されたりすることは
私のこれまでの日常にはそんなに多くはなかったけれど、今回のことで、そうではないって
知らされた。もちつもたれつ、支え支えられ・・・、人間は1人で生きてるのではなく、
自立しているわけでもなく、互いにもたれあって生きているものなのだと、しみじみ感じた。
「人」という字がその象徴なのだと思う。
そういう日常の見過ごしてしまうようなことに気付き、ありがたいと感謝し、嬉しいと喜ぶ、
そういうことで流した涙も、この1年はたくさんあった。
先日テレビで見たけれど、「辛」いという字の上の点に「横棒」を付け足したら、「幸」せという
字に変わる。辛いというのは、幸せになる途中なのだと・・・。
その話を信じて、来年は前向きに、笑顔と感謝を忘れない1年にしたい。
そして、願わくば、ダンナが残した「京都アバンティ・クライミングスクール」の名前が消えないよう
努力をしてみたい。ダンナの為に、自分の為に、そしてそれが少しでも、山好きな方のお役に
立てるように、と小さな望みをもってみたい。
あくまでも自分らしく、等身大でいられる程度に・・・。
どうしても今年中に載せたかった、「プンプン雪だるま@虎御前山」
泣き虫、怒り顔、せっかちは来年に持ち越さない!