引越し作業も終わり、家の中にはダンナのお供えコーナーの写真やぐい飲みなど、自分で運びたい
ものが少し残る程度になった。朝からガスも閉栓、あさってには電気と水道も止まる。
夕べはお布団も処分したので、夕べは寝袋で寝た。
朝、6時半ごろ目覚めると、東山の空に浮かぶ雲が焼けていた。
導かれるように目覚めた・・・。なんだか、本当に最後なんだなって、胸を詰まらせながら写真を撮る。
事務所の窓から眺める稲荷山。
この山に、ダンナと何回登っただろう。
ケンカした時の家出先になったこともあれば、大きな山行前のトレーニングとして登ったり、
お正月に1年の幸せを願ってお参りしたり・・・。
ダンナは剱と金毘羅を死ぬほど愛していたけれど、人生で一番多く登ったのは稲荷山だろう。
そしてその横に私がいなかったのは、恐らく1、2回のはず・・・。
紅葉が始まったばかりの東福寺。
写真うつりで紅葉真っ盛りに見えるけれど、実際には3分程度。
テーマの「東福寺暦」はダンナが始めたもの。紅葉を見に他府県から来る人のために、と
秋になったら何度も写真を撮りに行っていた。
家ですることがなくなると、「ちょっとイコか!」とジャケットを着た。どことは言わないけれど、
どこに行くのかは分かっていて、その「通じてる感」が好きだった。
この日は、元上司のスラさんがお客様を連れ、東福寺の観光に広島より来京、というので、時間を
あわせて会いに行く。
スラさんには本当に申し訳ないけれど、一緒に歩きながら、これがダンナとだったら・・・、って
何度も何度も思った・・・。
稲荷山同様、飽きない?というほど通いつめた東福寺の秋も、次は観光客として訪れるのだなぁ・・・。
スラさんは東福寺観光の後、グループの皆さんと比叡山へ出発された。明日は鞍馬~貴船を
歩くのだそう。
私は、稲荷山に登りに行くことにした。というか、先日からそう決めていた。
稲荷神社の中の休憩所。今から登って下山してきたら、ここはもう閉まっていると思って、先に
立ち寄り写真を撮る。
トレーニングとして、自宅から稲荷山に走って登り、大汗をかいて下山して、ここで最後に冷水器の
お水でクールダウンを毎回していた。どの山に行くよりもしんどい走りなので、ここでお水を飲む時は
多くの参拝者でにぎわっている神社を過ぎ、お山に入る最初の辺り。
これは振り返った写真で、行きは下って、帰りは登りとなる、全部で22段の石段。
ダンナは韓国語で「ハナ・トゥー・セー(やったかな?)」と、私は中国語やネパール語で段数を
数えながら登った・・・。
お山へのジョギングは、登りは筋肉が持ち上がらないほど痛くなって、下りでは足に力が入らない
ほど疲労してヨレヨレと走ることになる。その最後の最後に登場する22段の階段はまさしく
ダメ押しの地獄の階段で、ダンナはいっつも一番嫌いな場所って言っていた。
私は何をするにも気持ち優先の人なので、最後と思ったら頑張れる! だからこの階段は
いとも軽く登りきっていた。
西山に陽が沈む。
この夕焼けのオレンジ色、私は京都の象徴の色だと思っている。
おみやげ物などにも、このオレンジ色の夕陽にシルエットで映し出される神社などのモチーフが
よく描かれているけれど、この4年間、3日にあけず、この夕陽の色を眺めてきた。
落日の時間、私とダンナはこのオレンジ色に包まれながら、稲荷山や鴨川の土手、そして
琵琶湖疎水の脇などをジョギングしていた。
ダンナだけが仕事のときは、家の窓から夕陽に染まる町を眺めた。時にダンナから、外を見て!
ってメールが入ったりして、違う場所からだけれど2人して同じ夕陽を楽しんだものだ・・・。
今もまだダンナはこの夕陽が見えるところにいるのかな・・・。
ダンナと話している風に撮ってみたけれど、ちょっと虚しい写真になった・・・。ガックシ・・・。
稲荷山にまたくる機会はあると思うけれど、この時間、走って上がるということはもうないだろう・・・。
あんまり感慨にふけっているとダンナへの思いに押しつぶされそうになるので、心の奥の
痛い部分には触らないように、ありがとう!またね!!って感じで下山した。