文学には難解な書き方もあれば、子供でも解る簡単な言葉でしかも深い世界を表現してる作品もある。私は両方好きなのだが、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」とか、サン=テグジュペリの「星の王子様」は後者にあたり子供でも読める童話のように書かれている。しかし内容は深く人生経験を積んだ大人のために書かれているようにも感じる。
宮沢賢治とサン=テグジュペリの話は後日にして、今日は詩人「吉野弘」の思い出を書こう。公演で彼は「誰にでも解る、なるべく簡単な言葉で書きなさい。文学を知りたいのならまず古典を、特に薦めるのはシェイクスピアと聖書を読みなさい。」と話していた。公演の最後にサイン入りの本が抽選で私に当たり握手し手渡しされた。彼の作品を2,3紹介します。
『生命』
生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする
生命はすべて
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ
私は今日、
どこかの花のための
虻(あぶ)だったかもしれない
そして明日は
誰かが
私という花のための
虻であるかもしれない
★近年世界各国でミツバチが大量に消えて、農業に支障をきたしているというニュースを何度か聞いたことがある。普段気付かないところで自然はお互い助け合いバランスが保たれているようだ。花には虫媒花、風媒花があると子供の頃理科の時間に聞いた記憶がある。人間社会もまた虻のように一見悪に見える存在と共存することでバランスが保たれていて、自分が虻であることもあるとこの詩で言っているようです。

『伝道』
若い娘が
我が家の鉄の扉を叩き
神についての福音の書を読めという
勇気をふるい、私は素っ気なく答える
買っても読まないでしょうし
折角ですが---
微笑んだ娘のまっすぐな眼差しに会って
私のほうが眼を伏せる
申訳ないが---そう言って私は扉を閉じる
神を、私も知らぬわけではない
神をなつかしんでいるのは
娘さん、君より私のほうだ
けれど、どうして君は
こんな汚辱の世で
美しすぎる神を人に引合わせようというのだ
拒まれながら次々に戸を叩いてゆく
剛直な娘に
なぜか私は、腹立たしさを覚える
私なら
神を信じても
人に、神を信ぜよとは言わない
娘さん
どうして君は、微笑んで
世の中を、人をまっすぐ見つめるのだ
ここは重い鉄の扉ばかりの団地だ
君はどの扉へも
神をしのびこませることができなかったろう
君は、眼の前で
次々に閉じられる重い鉄の扉を
黙って見ていなければならなかったろう
娘さん、私は神が必要なのに
私は言った
買っても読まないでしょうと
★神の創造物であるこの世は奥が深い。自分は神のために働いていると思い、熱心な活動をしている人が、実は神とは程遠い自然のバランスを崩す行動である場合もある。
神の存在を知ってる人は、日常の中にそれを見ているから、宗教の押し売りはしない。OO教だけが正しいとか、福音を伝道できるなどと思っている人は、福音を知らない人だと私も思う。
『 祝 婚 歌 』
二人が睦まじくいるためには
愚かであるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気付いているほうがいい
完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい
二人のうちどちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで
疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい
立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には
色目を使わず
ゆったり ゆたかに
光を浴びているほうがいい
健康で風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと 胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そして
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
二人にはわかるのであってほしい
★この詩は酒田の甥の結婚式に出席できなかった吉野氏の祝電だったらしい。残念ながら現在一人暮らしの私にはこのような気配りをする相手がいないのだが、夫婦間だけでなく、こういう場面は日常どこにでもあるのでは?
作品を喜んでくれれば・・・。著作権は要らない。」とおっしゃっている吉野氏の作品には深くやさしい気品を感じる。

宮沢賢治とサン=テグジュペリの話は後日にして、今日は詩人「吉野弘」の思い出を書こう。公演で彼は「誰にでも解る、なるべく簡単な言葉で書きなさい。文学を知りたいのならまず古典を、特に薦めるのはシェイクスピアと聖書を読みなさい。」と話していた。公演の最後にサイン入りの本が抽選で私に当たり握手し手渡しされた。彼の作品を2,3紹介します。
『生命』
生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする
生命はすべて
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ
私は今日、
どこかの花のための
虻(あぶ)だったかもしれない
そして明日は
誰かが
私という花のための
虻であるかもしれない
★近年世界各国でミツバチが大量に消えて、農業に支障をきたしているというニュースを何度か聞いたことがある。普段気付かないところで自然はお互い助け合いバランスが保たれているようだ。花には虫媒花、風媒花があると子供の頃理科の時間に聞いた記憶がある。人間社会もまた虻のように一見悪に見える存在と共存することでバランスが保たれていて、自分が虻であることもあるとこの詩で言っているようです。

『伝道』
若い娘が
我が家の鉄の扉を叩き
神についての福音の書を読めという
勇気をふるい、私は素っ気なく答える
買っても読まないでしょうし
折角ですが---
微笑んだ娘のまっすぐな眼差しに会って
私のほうが眼を伏せる
申訳ないが---そう言って私は扉を閉じる
神を、私も知らぬわけではない
神をなつかしんでいるのは
娘さん、君より私のほうだ
けれど、どうして君は
こんな汚辱の世で
美しすぎる神を人に引合わせようというのだ
拒まれながら次々に戸を叩いてゆく
剛直な娘に
なぜか私は、腹立たしさを覚える
私なら
神を信じても
人に、神を信ぜよとは言わない
娘さん
どうして君は、微笑んで
世の中を、人をまっすぐ見つめるのだ
ここは重い鉄の扉ばかりの団地だ
君はどの扉へも
神をしのびこませることができなかったろう
君は、眼の前で
次々に閉じられる重い鉄の扉を
黙って見ていなければならなかったろう
娘さん、私は神が必要なのに
私は言った
買っても読まないでしょうと
★神の創造物であるこの世は奥が深い。自分は神のために働いていると思い、熱心な活動をしている人が、実は神とは程遠い自然のバランスを崩す行動である場合もある。
神の存在を知ってる人は、日常の中にそれを見ているから、宗教の押し売りはしない。OO教だけが正しいとか、福音を伝道できるなどと思っている人は、福音を知らない人だと私も思う。
『 祝 婚 歌 』
二人が睦まじくいるためには
愚かであるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気付いているほうがいい
完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい
二人のうちどちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで
疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい
立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には
色目を使わず
ゆったり ゆたかに
光を浴びているほうがいい
健康で風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと 胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そして
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
二人にはわかるのであってほしい
★この詩は酒田の甥の結婚式に出席できなかった吉野氏の祝電だったらしい。残念ながら現在一人暮らしの私にはこのような気配りをする相手がいないのだが、夫婦間だけでなく、こういう場面は日常どこにでもあるのでは?
作品を喜んでくれれば・・・。著作権は要らない。」とおっしゃっている吉野氏の作品には深くやさしい気品を感じる。
