仏像の足の親指が上を向いている件 | 念彼観音力

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前日のエントリでも書いた中山寺の秘仏本尊・馬頭観音坐像。両足の組み方が珍しいのですがよく見ると、足の指が親指だけ反らせているというか、上げています。


この像に限らず、足の親指だけを反らせている表現を見ることがあります。

たとえば、イケメンで知られる東寺の帝釈天騎象像。

こんな感じで、踏み下げた左足の親指が上向きに反ってます。
この帝釈天さまを見て、「この姿勢、疲れないかね?」と気になったのがきっかけで、それ以降、足の親指にちょくちょく目が行くようになりました。

立像でも京都・金剛院の深沙大将のように足の親指を立てているものがあります。金剛院のご住職のブログ、2009年9月4日付エントリ「快慶仏の親指」(別ウインドウで開きます) (写真あり)には

『前に踏み出した脚の親指を僅かに立てておられるが(中略)確かにその1センチほどの空間によって仏像に動きが生まれている。』
とあり、さらにコメント欄でも
『<親指>については諸説あり、足を上げるとき、まず親指が持ち上がって、それから足全体が動くのを表現した、つまり<動>の表現なのだという方もおられます。歌舞伎でも親指を立てる仕草があったと記憶しています。』
と触れられています。

動かない彫刻において、仏様の動きをいかに表現するかとなったときに、このような足の指先の表現に行き着いたのでしょう。

よく、如来や菩薩立像では片方の足を少し前に出している、あるいは前傾姿勢になっているものがありますが、ここからは今、救いに行きますよという動きが伝わってきます。仁王や明王などでも親指を反らせることによって、力が全身に漲っている様子が伝わってきます。

一方で、坐像。よく見られる結跏趺坐の場合は、足の指での動きの表現はできないわけですが、半跏や安坐となってくると足の親指によって動きを出しているものが比較的多いことに気づきます。これも、座っているところから、今まさに救いに行くために動き出す瞬間つまり、静から動への動きの表現の一種と見ることもできるわけですね。

そう考えたら、東寺・帝釈天の姿勢について思った疑問「この姿勢、疲れないかね?」は当然なのです。なぜなら、力が入っていることを示してるわけですから。それが瞬間的なのか、それともずっと力入れてるのかは別にしても、足の指先に力は入ってるわけです。
信仰の対象としてありがたいのはもちろん、美術的な視点からも仏像の美しさに惹かれるわけですが、このような隅々に至るまでの表現の工夫があるからこそなのだなあという感じもします。

このように親指を上げている作例をざっと調べられた限りで挙げてみました。
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平安以降南北朝頃までの親指上げ表現作例(一部)
★平安時代中期以前
京都・東寺 帝釈天騎象像  (9世紀) ※半跏
奈良・法華寺 十一面観音立像(9世紀頃)
京都・醍醐寺 大威徳明王坐像 (10世紀)
兵庫・中山寺 十一面観音立像(10世紀頃)
京都・醍醐寺 帝釈天騎象像 ※半跏
京都・禅定寺 文殊菩薩半跏像 (10世紀頃?)

★平安時代 後期
京都・壬生寺 地蔵菩薩坐像 ※半跏 →1077年頃の作。半跏の地蔵の最初期例 (昭和37年焼失) 
奈良・橘寺 如意輪観音坐像 藤原時代
京都・長講堂 阿弥陀三尊のうち観音、勢至菩薩坐像 藤原時代 ※半跏
奈良・長岳寺 阿弥陀三尊のうち、観音・勢至菩薩坐像 ※半跏
静岡・瑞林寺 地蔵菩薩坐像 ※安坐 →1177年頃の作。安坐地蔵の初期例
京都・安国寺 地蔵菩薩坐像 ※半跏
岐阜・明星輪寺 地蔵菩薩坐像 ※半跏
京都・大覚寺 五大明王像(大威徳明王騎牛像、金剛夜叉明王立像 軍荼利明王立像、降三世明王立像) 
★鎌倉時代
奈良・帯解寺 地蔵菩薩坐像 ※半跏
奈良・安倍文殊院 普賢菩薩騎獅像 ※半跏
京都・随心院 如意輪観音坐像
滋賀・福明寺 地蔵菩薩坐像 ※安坐
奈良・福智院 地蔵菩薩坐像 ※安坐
奈良・法隆寺地蔵堂 地蔵菩薩坐像 ※半跏
奈良・東大寺念仏堂 地蔵菩薩坐像 ※安坐
滋賀・御影堂新善光寺 地蔵菩薩坐像 ※半跏
神奈川・金剛寺 地蔵菩薩坐像 ※安坐
京都・北向山不動院 不動明王坐像 ※半跏
クリーブランド美術館 菩薩坐像 ※半跏
文化庁蔵・ 菩薩坐像 ※半跏
鎌倉・建長寺 地蔵菩薩坐像 ※安坐
鎌倉・禅居院 観音菩薩坐像 ※半跏、遊戯坐
神奈川・慶覚院 地蔵菩薩坐像 ※安坐
福井・中山寺 馬頭観音坐像 
京都・松尾寺 金剛力士立像
京都・金剛院 深沙大将立像
奈良・興福寺国宝館 金剛力士立像
奈良・如意輪寺 蔵王権現立像
滋賀・徳円寺 馬頭観音立像 →両足のつま先を上げて、踵だけで立つ。
このカテゴリに加えるかが難しい。ブレーキかけてるようにも見える。むしろ、動から静の瞬間?

★鎌倉時代後期~南北朝
兵庫・長楽寺 地蔵菩薩坐像 ※半跏
奈良・東大寺法華堂 不動明王像及び二童子像 ※半跏 南北朝時代14世紀
 ※この時代以降にも多数あると思われますが省略
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(補足1)地蔵の半跏像について
いわゆる半跏形式の地蔵像が表れるのは平安後期、11世紀頃。左足を踏み下げるものが多いが京都・安国寺のように右足を踏み下げる例もある。京都・壬生寺像は半跏形式の初期の作例。1077年頃の造立(昭和37年に焼失)。

(補足2)安坐像について
結跏の左足あるいは右足を前に外して座る、いわゆる安坐形式の地蔵像は1177年銘の瑞林寺像、1201年銘の滋賀・福明寺像以降に多く見られる。安坐形式の像は地蔵に限らず、他の仏菩薩像にもみられ、中国宋風美術の影響と思われるが、当代の古典復古の傾向と動的なものを好んだ鎌倉時代の風潮がその流行を促した。
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補足でも書いたように、平安後期以降、地蔵の半跏像や安坐像が多く造られるようになったため、作例も地蔵菩薩が多くなっています。
地蔵以外だと当然ながら、鎌倉時代の慶派仏師の作に多いように思います。金剛院・深沙大将立像(快慶)、興福寺国宝館・金剛力士立像、松尾寺・金剛力士立像などなど。人間の身体の自然な動きを的確に捉えた表現の巧さは、慶派仏師の真骨頂ですね。

定朝様が流行していた平安時代において、康慶や運慶ら慶派仏師たちは古典に帰ることで新しい時代の仏像を創り出したと言われています。もしかしたら、康慶たちも、東寺・帝釈天像の足の親指に何かヒントを得たことがあったのかも知れないなあと思ったりもします。
(もっとも東寺講堂像は運慶らによって修復されているので、そもそも足先は彼らによるものかもしれない?^^;)

(関連)
足の親指の表現については以前ツイッターでもツイートしたことがあって、そのときの一連のツイートのまとめがあります。こちらも参照ください。
仏様の足の親指が上向きな件【togetter】(別ウィンドウで開きます)

<参考文献>
[1]松島健, 日本の美術 No239 地蔵菩薩像,至文堂,1986年.
[2]倉田文作、日本の美術 No.151 二王像,至文堂,1978年.
[3]井上一稔, 日本の美術 No.312 如意輪観音像・馬頭観音像,1992年.