<DV夫と不倫の恋>夏島 遥のブログ -2ページ目

<DV夫と不倫の恋>夏島 遥のブログ

不倫恋愛、今わ叶わぬ七夕の愛。
DV夫との生活。
私が守らなければいけない子供達。

この結末はどこへいくのだろうか

寒さと春の陽気がわれよわれよとせめぎ合う今日このごろ。
大好きだった春が。。。。ある年突然、一番辛い季節に変わった。
思えば東京大空襲に東北の大地震、、、3月は悲しいことが起こる月なんだ。



暖かい風がふけば桜が今にも咲き乱れそうな二年前のこの時期、私は母の介護をしていた。


実家の家業の始業時間は朝6時。
バタバタと早退をし、夕方に子供の世話をして、病院へ戻った。
日中は弟が見に行くことが多かった 。
夜はほとんど眠れず、苦しむ母を見守り仮眠だけの日々が続いた。


昔から仲が良くなかった母だけど、この時期が最後の親孝行と思って、私は続けていた。

食べたいというものは、どんなに高価でも、一口も食べられないとわかっていても手に入れた。


そして私は、母が別れた恋人をずっとと思っていた事を知っていた。
だからその方にも、来ていただくようにお願いをした。
その方は、動けず自宅で人工透析をする奥様を家に残し、数回にわたりわざわざ新幹線で来てくれた。



「死に際に人に迷惑をかけることだけは嫌だ」と、元気な時代によく語った母は、
私がそろそろ心身ともに疲れてきたと、気づき始めた時に逝ってしまった。
最後までみんなへの感謝と、微笑みを忘れない人だった


本人が保険に入っていたので、私たちは一銭も治療費や病院施設費を払う必要がなかった。
多額の保険金は私のもとへ入ってきた。



それからというもの、私は毎日泣いた。

人がいなくなると色々な事を考えて後悔をする。

母がいなくなったことが、本当に辛かった。

仲良くなかったことに対して、自分を責めていた。




その様子を見て、旦那は幾度となく私を攻めた。
殺したのはお前なのに、よく泣いてなんかいられるな。」
「自分が可愛すぎるんじゃないか?」


彼は、毎日のように、私は今まで誠心誠意、母に出来る限りのことをしていなかったと責め立てる。

そして、母が死への扉を開き、病院に入るきっかけとなった日の事を言われるたびに、先の尖った出刃包丁で胸を突き刺される思いになる。

それは私がインフルにでもかかったのだろうと見込んで、大した看病をしなかった。
部屋から出てこない母を見に行きもしなかった。
彼は、それが母の死の発端になったと指摘した。


もう寿命だった。

癌で余命宣告をされてからだいぶ長い月日が経っていたのだ。

私じゃない。



わかっていても旦那の言葉はトラウマとなり、私は立ち上がれなくなった。
仕事をやめ、何もする気力がなくなった私はあの時、おそらく鬱だった