情報の殆んどはフィルタリングされている。

取捨選択され、装飾されて、我々のもとに届く。

そこに政治的なもの、思想的なもの、宗教的なもの、その他諸々が理不尽に絡んでいる。

私の勘違いなのかもしれないが、それを認識していない人が日本には多いような気がする。

中国は確かに情報統制がかなり徹底的だ。
しかし、中国の多くの民衆は、その情報が操作されたものだと知っている。

中国は昔から 皇帝なにするものぞと、為政者を軽んずる傾向がある。
三千年の間、様々な国家が入れ替わりながらも、最初の帝国「秦」が築いた基本的領土も基本的政治体制も変わらず連綿と受け継いできたからだろう。
為政者が誰になろうと関係ないのだ。
自らが皇帝になることだって夢ではないと思っている。
そして、権力はいつも理不尽で横暴だということも知っている。三国志の中で頻繁に使用される権謀術数はしごくありふれたものなのだ。そして、権謀術数の中で、情報操作は初歩の初歩なのである。

だから、中国人は権力者によって情報が操作されているのは当然と捉えている。
そのため、三国志の桃園の誓いで代表される「幇(ぱん)」などの個人対個人のつながりを重要視し、そのつながりから権力者に操作されていない情報を入手する。

さて、日本人は情報を信じすぎていないだろうか?

反原発を報道できないのを知っているだろうか?

それは電力会社がテレビやラジオの大手スポンサーだからと知っていただろうか?

反原発のデモが起こっているのをしっているだろうか?

届けられない報道は、認識しようがないということを知っているだろうか?










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負けない方法。その2

先日記述した「負けない方法。」の続き。

脳裏に浮かぶ、その歴史的証明の二つ目。

それは張良の戦略。

中国の最初の統一国家、秦。
その崩壊の混乱の後に、劉邦が漢という長期存続する国家を開く。
張良とは、その劉邦をささえ続けた名軍師。
後世の最も有名な軍師、諸葛亮は、彼の再来と呼ばれていた。

劉邦はカリスマが高く、張良は軍略に長け、他にも優秀な武将が揃っていた。
だが、運の悪いことに同時代にあらゆる方面に長けた武将、項羽がいた。それも、当時、国力が最も高い楚の兵を率いていた。

勝算は低く、実際一度も勝てずに、連敗が続いていた。
だが、張良は壊滅的、決定的な敗北を、巧みに避けていた。それに劉邦の天性のカリスマにより、負け続けても離れる武将は少なかった。

張良はずっと待ち続けていた。決定的なチャンスを、先の見えない戦いのなかで待ち続けていた。
絶え間なく計略を張り、軍略を巡らせながら機会を待ち続けていた。

そして、計略と軍略により舞い降りた千載一遇のチャンスを逃さず、始めての勝利をおさめた。
その後は、正に怒濤の勢いであった。優勢な状態を逃さず、完膚なきまでに項羽を破り、その勢いのままに中国全土を席巻し、漢という帝国を築きあげた。



この二つの歴史的証明のための事象には二つの共通点がある。

1つは諦めなかったこと。
先の見えない苦難のなかで、諦めず、考えられる最善の手を打ち続けた。

もう1つは将や兵を何よりも大事にしたこと。
カエサルは、共に苦難を乗り越えた兵を引き連れて、掟を破り、ルビコン川を越え、ローマ帝国の礎を築いた。
劉邦は、共に敗北の苦汁を味わい続けた豊富な人材を用いて、漢という中国始めての長期帝国を作り上げた。その人材の収集や活用に張良が多大に貢献したことはいうまでもない。




※紹介した歴史的事象については、うろ覚えの記憶を辿りながら記述しているので、間違いがあるかもしれませんので、その点、ご了承願います。
負けない方法。
(負けないことと言っても、最終的には、ということなのだが。)

それは使いふるされて、陳腐化してしまっている言葉。
「あきらめない」
ということではないかと感じている。

脳裏に浮かぶ、その歴史的証明を二つ。

1つはさいは投げられたで有名なユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)。

彼は負けることはあるが、同じ相手には二度は負けない。
負けたあとの次の戦いで、的確な対策をうってくるのもあるが、何よりも負けすぎないことが肝
要。
ガリア人とのある戦いでは、敵の策にはまり、戦線を長く延ばされてしまった。このままでは兵力が分散してしまっているため、どこか一部でも破られれば、たちまちのうちに総崩れになり、壊滅してしまう。
そこでカエサルは、三国志の諸葛亮のような奇策で逆転したわけでも、「孫子三十六計逃げるにしかず」で逃走したわけでもない。
諦めず、戦場を駆け回ったのだ。
劣勢になった箇所へ馳せ、自ら先頭で指揮を執り、戦線が崩れないように保たせ、撤退の指示をして、次の激戦地へ向かうのである。
それは永遠にも思える作業であっただろう。
いつ果てるともない、負け戦と決まっている戦場を駆け回るのはどのような気持ちだっただろう。
それでもカエサルは最後まで諦めずにやり抜き、あの劣勢からは信じられないくらいの被害で撤退したのである。
そして、死守したこの兵力により、ほどなく、同じ敵を打ち破るのである。そして、最終的にはこの兵を伴いルビコン川を渡るのである。


長くなったので、もう一つの歴史的証明は次の機会に。


※紹介した歴史的事象については、うろ覚えの記憶を辿りながら記述しているので、間違いがあるかもしれませんので、その点、ご了承願います。






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