昨夜
実家で亡くなった婆さんを見に行きました。

ほんとに 。・°°・(>_<)・°°・。
満足そうにベッドで亡くなっていた。


12時までは小豆アイスクリームを食べながらテレビを見ていたらしく
5時には亡くなっているのを母が発見したので、眠ったまま亡くなったのだ。

医師は死亡診断書に老衰死と記した。


集まっていた人達は皆
遺体の近くで
酒を飲み 寿司を食い

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ガッハハハ、
キャキャキャ、

笑っていた。

早く死ねば良いと みんなは思っていたのだろう。


しかし
僕は最低でも110歳位までは元気だろうと思っていたし

いろいろ
婆さんには世話になったから寂しかった。

いろんな思い出が浮かんできた。

小学生になって
僕はアメリカが押しつけたパンを食べなかったから、腹が減り
婆さんは3時頃 毎日 ご飯を両親に内緒で食べさせてくれた。
美味かったなぁ~



よく 東京にも連れてってくれた。

遊び過ぎて、補導されて赤坂警察に迎えに来てもらった事もあった。

たくさん洋服も買ってもらった。


婆さんは
フェラーリのエンジンが冷めるのを待ってから、ボディカバーをかけてくれた。

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ボディカバーは傷がつくので

ボディカバーの裏に絹を縫い付けてくれた。



婆さんが教えてくれた事

日本人はみんな 流されやすいから

自分を持たないとあかんよ

みんな
右と教えられたら、みんな右に
左と教えられたら、みんな左に


人間 最後は1人だよ

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婆さんは

【もう帰れないかもしれない】

【アジアは白人の奴隷になっている】

【アジアを解放する為に逝く】

【後の事は頼む】


大東亜戦争で散った夫を
死んでも許さないと言っていた。


昨日やっと
死んだのだから許してやってほしい。




欲しがりません
死ぬまでは



死ぬまで何一つ欲しがらなかった婆さん



享年 104歳

永眠


万歳