広島、長崎を反原発運動に利用するな!(*`へ´*)
今やヒロシマ、ナガサキとフクシマは片仮名で並記され、反(脱)原発運動のシンボルになっています。
この流れは加速しつつある。
「脱原発」運動は、マスコミや一部の意図的な扇動者が作りだした「科学的根拠なき感情論」により、多くの人々が「大衆化」された運動です。
既に原発敷地外では、誰も健康被害を受けないという「科学的見解」と、原発事故による死者はゼロであるという紛れもない「客観的事実」は揃っています。
核兵器と平和利用の原発はまったく異なる。
原爆と原発は違う。
連鎖的な核分裂反応の発見は当初、新しい重要なエネルギー源になるかもしれないという期待を持って迎えられた。
しかし、科学者たちは、人類が手にしたことのない強力な爆弾になることに気づく。
時はナチス・ドイツが台頭してきた時期で、ナチスに先を越されては、と危機感を抱いたアインシュタインは、ルーズベルト米大統領にマンハッタン計画のきっかけになる手紙を送る。
米国は「戦争の早期終結のため」「本土決戦による日本人の犠牲を防いだ」と言い繕うが、広島、長崎への原爆投下は新型兵器の実験的意味しかなく、許されざる行為である。
アインシュタインは晩年、ルーズベルトへの書簡を悔いたという。
一方で、核分裂のエネルギーを制御しながら利用する原子力発電が開発されたのは、ある意味、健全な科学の進歩といえる。
安定的なエネルギー源として今、原発に代わるものはない。
原子力エネルギーはほぼ資源を必要とせず、化石燃料に依存しないため、国家戦略における独立性を担保できるという点が挙げらる。
原発が更に普及し、化石燃料への依存度が低下させることで、国際政治の混迷の原因となっていた「戦略物資としての原油」という変数を減らすことができ、国際平和への道が近づくと言えます。
中東においても、安価で継続的な原子力エネルギーが民主化後の国力を支えながら、産油国の体制内民主化をも後押しすることにも繋がります。