

戦争終結を決めていた日本に対し、またマッカーサー元帥の反対を押し切って1945年8月9日午前11時02分長崎県長崎市に対して米軍が投下したのは、広島に投下されたウラン235型よりも1.5倍強力なプルトニウム239型でした。
当時の長崎市の人口24万人のうち、約14万9千人が死没し、40%近くの建物が全壊ないし半壊したほどの破壊力でした。
日本に落とされた原爆は「人体実験」でした。
広島と長崎は通常爆弾の空襲を受けていませんでした。
つまり、米軍は一発の原爆の威力と人体や建造物への影響を試したのです。
広島型(ウラン)、長崎型(プルトニウム)の原料の異なる原爆の“実験”であったのです。
広島と長崎の原爆投下や非戦闘員まで巻き込んだ大空襲こそ「平和に対する罪」であり「人道に対する罪」だと結論が導けます。
人類史上、原子爆弾を投下した国の大統領や指導者は一切謝罪することなく、投下された国民は「日本は悪い国だったから原爆を落とされた」と謝罪するのは間違っている。
むしろ、「米国こそ裁かれるべきだ」と東京裁判で唯一日本無罪を主張したR・パール判事の意見にこそ耳を傾けるべきた。
1945年8月9日は、ソ連が日ソ不可侵条約を破棄して宣戦布告。
満州や朝鮮、南樺太や千島列島に侵略をしました。
日本大使館から本土に向けての電話回線は切断されており、完全な奇襲攻撃でした。原爆投下とソ連の奇襲によるダブルパンチは、戦況が悪化していた日本軍には相当な痛手でした。
さらに悪いことに、ソ連は8月18日に千島列島の最東端の占守島を侵略。
千島列島を不法占拠しました。
精鋭部隊でもあった戦車第十一連隊の活躍があったおかげで、北海道から東北地方の占領は免れたとはいえ、現在の北方領土はこの時に占拠されています。
要するに、スターリンによる手段を選ばない卑劣な手段が背景にあったということです。
その意味で、北方領土奪取は火事場泥棒であったと言わざるを得ません。
米国は「真珠湾を忘れるな」と同盟国の日本を批判的に教育していますし、ロシアは9月2日を対日戦勝記念日として制定しています。
国によって歴史認識に違いがあるのは当然のことですが、日本だけが自虐史観を抱えたままでは、対等以上の外交はできません。