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初めてフェラーリを買った20代のある日 フェラーリで母校に行った事を覚えている。


僕を育ててくれ、そして最初の闘いとなった場所


ソープランドや何万件ものスナックやキャバレーがつらなる街中の小学校だ。


僕は小さい頃 母親に、『ガラスのうさぎ』などを読んでもらいながら眠りについていた。

恥ずかしい話 母親と一緒でないと寝られなかったらしい。

はだしのゲンという漫画もあった。

そんな事もあり、
物心ついた時から、原子爆弾を落としたアメリカが憎らしかった。

空襲で日本人を焼き殺したアメリカが嫌いだった。


小学校の時、原子爆弾を落とされたのは日本が悪い事をしたからだと言った先生に刃向かった。


先生は、相当ビックリしたようだったが、すぐには叱らず まず僕の家系を調べたようだ。


まあ、怖そうな家系ならば叱るまいと考えたのだろうか?

先生が僕を叱りだしたのは数日後だった。

僕は、ますます先生が嫌いになり、授業をボイコットしテストは白紙で出した。

するとどうしたものか、?一緒に授業をボイコットして砂場で遊ぶ友達が数人できたのだ。

そして、
先生はついに親に報告すべく臨時家庭訪問に来た。

友達の親も僕とは遊ばせないでくれと言ったようだ。

母にも父にも怒られた。

特に父親は、めちゃくちゃ怒った。

僕は怒られるのが恐くて
きっとそれ以来は授業も受けるようになったんだろう。

大人になってから、僕は思った。

あの先生は凄く反日だったよな…

完全に左翼に洗脳されている教師だったな…

小学生にあんな教育のやり方は間違っている。

今考えても、ホント恐ろしい。