
もし圧力がかかって番組を切られてもそれはそれで本望ですと 3.11に言った 古館伊知郎はどうか?
3.11 番組で古館伊知郎と長渕剛は熱かった。
原発を悪い物だと言うのは簡単だ。
しかし、今の日本があるのは 原発のおかげだと僕は思う。
古館伊知郎は番組を下記内容でしめた。
12月28日の原発の検証の番組をお送りしました、津波で原発が壊れたのではなく
それ以前の地震によって一部第一原発のどこかが損壊していたのではないかというその追求をしました。
今回このスペシャル番組で、その追及をすることはできませんでした。
原子力村という村が存在します。
都会はこことは違って、まばゆいばかりの光にあふれています。
そしてもう一つ考える事は、地域で主な産業では中々暮らすのは難しいという時に
その地域を分断してまでも、積極的に原発を誘致したそういう部分があったとも考えています。
その根本を徹底的に議論しなくてはいけないのではないでしょうか
私はそれを強く感じます。
そうしないと今生活の場を根こそぎ奪われてしまった福島の方々に申し訳が立ちません
私は日々の報道ステーションの中でそれを追求していきます。
良く言ったとは思うが、
僕から言わせれば、まだまだメディアは甘い。
悪いのは原発ではなく ずさんな管理をしてきた東京電力だ。
原子炉の損傷を長年 隠蔽していたのだ。
大震災から丸1年経った昨日、2012年3月11日、久しぶりに東電会長勝俣恒久氏がメディアによって報じられた。
場所は、勝俣邸前。東電会長勝俣恒久氏の責任を追求したメディアは殆ど無かった。いやゼロだったと言っていい。
場所は、勝俣邸前。東電会長勝俣恒久氏の責任を追求したメディアは殆ど無かった。いやゼロだったと言っていい。
どれも、警察が厳重に警備する、勝俣邸の前のぶら下がり会見の中で、勝俣氏自らが都合の良いように発言したものを垂れ流しただけだ。
記者の質問はゼロ。逃げるように背を向けた勝俣氏に、記者立ちの質問も飛ばなかった。
それもそのはず、勝俣氏とメディアの関係は、依然として、権力対ジャーナリズムという構図からは程遠い。
毎晩7時ごろ、勝俣氏は、自分につごうのよいようにぶら下がり会見を行い、記者たちを手懐けてきたのだ。
だが、それが幸いしてか、勝俣氏は、知らず知らずのうちに、不遜な人間性を自ら明らかにした。
「福島県の皆さまはじめ、広く社会に大変なご心配、ご迷惑をおかけして申し訳なく思っております。」
「ま!」
「とにかく原子炉の収束と賠償に全力を尽くしてということを、この1年を機に改めて誓いたいと思います」
ゴニョゴニョと謝罪を述べた後に、ここ一番の大声で「ま!」と続けた。
この 「ま!」 に 僕は怒りを感じた。
記者の質問はゼロ。逃げるように背を向けた勝俣氏に、記者立ちの質問も飛ばなかった。
それもそのはず、勝俣氏とメディアの関係は、依然として、権力対ジャーナリズムという構図からは程遠い。
毎晩7時ごろ、勝俣氏は、自分につごうのよいようにぶら下がり会見を行い、記者たちを手懐けてきたのだ。
だが、それが幸いしてか、勝俣氏は、知らず知らずのうちに、不遜な人間性を自ら明らかにした。
「福島県の皆さまはじめ、広く社会に大変なご心配、ご迷惑をおかけして申し訳なく思っております。」
「ま!」
「とにかく原子炉の収束と賠償に全力を尽くしてということを、この1年を機に改めて誓いたいと思います」
ゴニョゴニョと謝罪を述べた後に、ここ一番の大声で「ま!」と続けた。
この 「ま!」 に 僕は怒りを感じた。
原発事故によって、人々を強制的に避難させ、その結果、津波に襲われ避難を待つ人達を餓死させた疑いまである。バスによる急な避難が混乱の中うまくいかずに、病院をたらい回しにされた結果、死亡した患者たちもいた。 僕の友も犠牲になった。
それらの責任を進んで負うべきであろう勝俣氏が、1年を振り返って、最も強調した言葉が、「ま!」だったことは、恐るべき事実だ。このような人間性を私たち日本国民は許すことができるのだろうか。
ここまで勝俣氏が増長してしまったのは一体誰のせいなのか。原発村の人々、そして、マスコミのせいではないのか。なぜ、わずか数十秒の謝罪のあと、質問の時間を与えずに踵を返した勝俣氏に対して、質問をしないのか。
志のあるメディアの方々もいるはずだ。ぜひとも全精力を傾けて、この「ま!」を取り上げていただきたいと願わずにはいられない。
どうかメディアの手で、この「ま!」を怒りを持って広めていただきたい。
これは勝俣氏と、世界中の人々との「良心」という舞台における戦いだと思う。