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免許を取得した年に、このZが発表されて、一目惚れ!

直ちに予約をして三ヶ月くらい待ちで納車された。

僕が予約したのは、2シーター ターボ 皮シートにボーズオーディオ
マニュアルミッション


街で、Zを見た事はまだなくて…

ほとんど初期ロット??

納車の日の事を今でも明確に覚えている。

この頃18歳の僕は、毎日毎日ディスコでDJをするのが仕事だったから、当然通勤にZを乗りつけた。

ディスコの営業が終わって、駐車場に向うと Zの周りに人だかりができていた。

この光景は、岐阜の夜会を盛り上げている頃 黄色のエンッオフェラーリが最初に来た日の、人だかり以上でした。

僕が、生涯で後にも先にも初めてナンバーワンになった日でした。


Zを取り囲んだ人だかりは、ディスコの従業員20数名とその友達とか、お客さんとかで、100人以上だった。


僕はディスコの中では一番年下で、従業員は皆大先輩ばかりだったし、何より高校生の頃からDJをやっていたから、家からディスコの送り迎えを黒服の先輩に面倒みてもらっていたから、僕はまず黒服の先輩に敬意を込めて試乗してもらいました。


すると他の黒服の先輩達も試乗させてくれとなっていって、たくさんの先輩達に試乗してもらいました。


翌朝 Zを見たら、ボディ全体がベタベタ指紋だらけで何だか不思議な快感?でした。

しばらくして、ディスコのマネージャーも32GTRが納車されて、いろいろチューニングをやりはじめたので、僕も真似してマインズのコンピュータにマフラー ホイールをBBSに替えました。

チューニングなんぞやりだしたもんだから、それなりの車仲間が出来たものの、ゼロヨンも峠を走るのも、僕には不向きで、Zはスーパーナンパカーでした。

お金もかかりましたが、最高の青春時代??を過ごす事が出来たのもZのおかげ?かもしれないところはあったと思うし、特別に思い出深いスポーツカーでした。


18歳で、450万のスポーツカー買える金はどうしたんだ?
と思う人がいると思うので書いておきますが、購入自体は親が買ってくれた形になりますが、僕は高校生の頃から毎晩働いていたので、毎月25万円くらいはもっていたから、毎月五万円くらい?親に返済していたと思います。

とにかく この頃 毎日毎日が最高の最高に楽しかった。

まあ DJなんて遊び感覚な仕事だし、DJの仕事もZも大好きだった。

そして、32Zが発売された頃フェラーリの世界は348が発売されて、僕はフェラーリ348に恋い焦がれるのです。