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新聞に国母選手の母親が、何度も何度も頭を下げて謝ったという新聞記事を読んで、ボクは、新幹線の中で、涙があふれてきた。


ボクの母親の姿が目に浮かんだからだ。

ボクの母親は、何十年もボクのために頭を下げ続けた。


中学生の頃は、音楽室で、rock'n'rollをラジカセで流してツイストを友達と踊って、親が学校に呼び出しを受けて教頭先生にお叱りをうけた。



先生に怒られただけならまだしも、友達の親がボクの親を責めたんだ。


ボクの母親は、何度も頭を下げて謝っていた。


高校生になっても、同じような事は何回もあった。


高校1年は、ライブハウスで遊び、ポコダンスを踊り友達が足を骨折して、また母親が涙を流して病院で謝った。


高校2年生は修学旅行のバスガイドのお姉さんに、ちょっかいを出して怒られた。


高校3年になると、ボクはもうDJをやっていたから、どうしても夜遊びが続いて、ボクに連れ添う友達の親は、ボクの親に言った。


もう家の子を誘わないでくださいと!


ボクの母親は、すいません すいません と電話ごしで謝っていた。


高校を卒業すると、ボクの家に親が、怒鳴りつけに乗り込んで来るのは、女の子の親に変わった。


女の子の親が、言うのだ、 つきあわせないでくださいと!



ボクの母親は、女の子の親にも、頭を下げて謝っていた。


二十歳を過ぎても、ボクは母親を苦しめ続けた。



今度はフェラーリだ!


近所でフェラーリのエンジンの音がうるさい! うるさい!と苦情が入った。


挙げ句の果てに、フェラーリは大金持ちの家柄の人間が乗るものだ、 貧乏人のせがれが、と言われた。



ボクは、新幹線の中で泣がとまらなかった。


両親には迷惑ばかりかけて申し訳なかったと。

ボクは真剣に考えた。

ボクは、そんなに悪い事を重ねながら生きて来たのかと?


友達を傷つけたり裏切った事はない。


女の子にだってそうだ。

女の子達が望んでボクに寄り付いてきただけだ。


ボクは彼女達に必ず門限はあるの?と聞いた。


彼女達が門限を破ってまでもボクと遊びたかっただけだ。


フェラーリが悪いか?


一生懸命働た。


フェラーリに乗る事が夢だったからだ。


貧乏人のせがれでも夢くらいは平等に見てもよいはずだ。


母親を苦しめてまで乗りはじめて、そして乗り続けたフェラーリ


その思いは強い!

ボクはそんな思いを込めてフェラーリの固いギアを繋ぐ。


重いクラッチを踏む


フェラーリのエンジンは、ボクの変わりにボクが叫びたいとする何かをエンジン音に変えて、突き進んで行くんだ。