庭の梅が咲いているのを昨日の朝見つけた。

これからより暖かくなってくるので、花や植物にとっても春が来たのだ。

強い陽射しが豊富に注がれる季節は有り難いものだ。

 

 

「自分」という個人は幻だったことがわかった。

それは気づきという根底にいつもある意識の影であった。

神や純粋な意識と呼称はなんでも構わないが、その命そのものから投射された光の影、または副産物が自我なのだろう。

ただ、それはメインではなく、本物でもない。

それについて行ってはどこにも行けないし、身を滅ぼすことにもなる。

 

この身体を持った存在は唯在るだけなのだ。

ほんとうにたったそれだけのことなのだ。