やはり感覚的なことを思い出します。それも年齢と共に失いつつありますが、ふとしたときに思い出します。

私はスタミナのないだだっ子だったので、3歳くらいまで母の背中におんぶされていた感覚があります。顔を母の後ろ首にピタンとつけると、母は私の頭を肩とあごではさんできました。それが痛くてとても嫌だったのですが、後で聞くとそれも愛情表現の一つだったようです。
父は全く育児に非協力的だったので、母が姉と私の世話をずっとしていてくれました。姉一人のとき(開店してから1-2年目)は母方の祖母の方によく預けられていて、父方の祖母が店の手伝いに来ていてくれていたのですが、私が生まれる少し前に父方の祖母は手伝いに来なくなったそうです(父と祖母が喧嘩したため)。その頃、1歳の姉を父が蹴り飛ばした現場にちょうど居合わせたおばさんが、父に向かって「さぶちゃん(父の名前)!自分の子でしょ!」と思わず叫んだそうです。父の家庭内暴力は母に対してのみならず、何もわからない幼子にまで向けられていました。

父は朝9時から夕方4時まで漢方薬の調剤をしていました。その頃は粉薬でした。仕事後はパチンコもしくは碁会所に行ってしまい、家に居ませんでした。そのため母は店を一人で9時まできりもりしました。その間もちろん子供の世話と家事をしなければなりません。子供を8時に寝かしつけてからは、自分の服をこわして子供服を作ったりと大忙し。田舎でよそ者が店を始めることは、地元民の信頼を得ることから始めなければならず、なんとか朝7時から夜9時まで営業していました。夜中の2時ごろ帰宅して、その後「酒を出せ!」と要求する父。問答無用です。もちろん夜のいとなみもいやいや相手させられていた母は(体力的に毎日限界が続いていた)、レイプされていたようです。そのころの父の起床は8時半。結婚するまで比較的お金持ちの農家のお嬢様として育った母にとってはとても辛い生活でしたが、子育てだけをいきがいに若さでなんとか頑張っていました。

話を元に戻して、そのころ感じたことの一つに「離乳食を与えられたときのスプーンの大きさ」があります。普通の小さなスプーンで食べさせてくれたのですが、子供の口には大きいんですよね。しかも母は急いでいるので一口が大きい!なんでこんなに食べにくいんだろう、と漠然と思っていました。


まず初めに、Milteなのですが、これからはカタカナのミルと呼んでください。

私は愛知県のO市の産婦人科で薬局を経営する薬剤師の父と栄養士の母の次女として生まれました。
年子の姉が一人いるのですが、エコーグラフィーのないその時代、母のお腹の中で暴れん坊だった私は誰もが口を揃えて「これは男の子だよ」と期待を込めて言っていたそう。臨月のときにあまりに暴れて母を階段から落としてしまったくらい。幸いとっさにお腹をかばったので私は無事でしたが、不思議なことに幼い頃はその実家の階段を上から見下ろす度に「私飛べるかも?」と錯覚を起こしていました。

誕生日前日、陣痛が始まっていきみだして出てきたのは足・・・。逆子だったのです。その後はつっかえて出てこず、しかたなく産婦人科医はその足を母のお腹に押し込みました。そして医者は母に「お風呂に入ってリラックスしなさい」と指示しました。今は破水した後は、菌の混入を防ぐためにシャワーしかだめという産婦人科がほとんどだと思います。私が生まれた頃はまだそこまで知識がなかったのですね。

母はお風呂の中でお腹をずっとさすっていたそうです。「いい子だからひっくりかえろうねー」と話していたに違いありません。そしてご機嫌になった私は素直に回転して逆子ではなくなり、翌日出産を迎えました。

出産時、股が出るまで「まあ、王子様が顔を出しましたよ!」とか、へその緒が1.5cmあったので「まあ、なんてりっぱなへその緒!」とか言われていたのですが、女の子だとわかった瞬間皆唖然としたそうです。

3100g、身長50cmの女の子、ミルの誕生です。