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「町人学者」を読んで

<a href="http://kyaz.at.webry.info/200807/article_1.html" target="_blank">「浅田常三郎」を読んで</a>

<a href="http://kyaz.at.webry.info/200807/article_2.html" target="_blank">「浅田常三郎」を読んで()</a>


の二編のブログ記事は、「町人学者・浅田常三郎」(増田美香子著、毎日新聞社)という本の読後感という表題になっているが、

内容的には実際は、浅田氏の同級生であるが無名の服部学順氏の事跡を紹介しているものである。


ソニーの盛田明夫氏は浅田常三郎氏の指導を受けたがために、あの超優良会社を造り得たのだが、盛田氏が浅田氏の弟子になったのは、服部学順氏の勧めによるものであった。

このことは、服部氏が日本の社会に対して大変に大きな貢献をしたことになる。


服部氏は人生の後半を、国立のD大学の教授として過ごしたのであるが、教育者としても、研究者としても目立たない存在であり、肩書き等には無縁の生涯であった。

しかし、実はD大學でも、その大學が今日までに産み出した中で、最高と言って良いほどに評価できる、研究成果を上げるのに、大きな寄与をしている、という。

その仕事は、現代医学では素人でも知らぬ者のないくらいに有用なツールになっているMRIに結び付いていく基礎研究である。

 

こうしてD大学でも、若しも服部氏の存在がなかったならばどうなったか分からない仕事で、「社会的貢献」を服部氏はしているのだが、

但し、その研究自身は同僚の研究であり、自身の業績ではないから、服部氏の功績にはならないし、学内の殆どの人達もそのことを知らない。

 其処で、上記のブログ記事では、


その人の業績、とは言えないが、若しも、その人が居なければ歴史は変わっていただろう、という場面で、適切な人物が居た、と知ると、

人知を超えたところで、我々のすむ世界を動かす力が働いているような気がしてならない。

 ソニーの誕生にしても、MRIの話にしても、である。」

と書いてある。



私は、それに引っ掛かるものを、感じずには居られない。

その様な業績を評価するシステムが、社会に在ってしかるべきではないのか。


服部氏はD大學でも肩書きのつかない平凡な一教授で終わったのだが、死去の前日の日付で名誉教授称号が贈られたそうである。

私の「下司の勘繰り」では、服部氏の死去の直後に、葬儀の準備か何かの動きの中で、ソニーの盛田氏の件が出て来て、大学側では慌てて名誉教授称号を贈ったのではないか、と推量する。

追贈というのでは格好が付かないので、退職後の生前贈与ということで、逝去の前日の日付になったのではないか。



D大學では毎年、何人かの定年退職者に名誉教授の称号を贈っている。

また、在職中に所謂、学内実力者であった退職教授は叙勲を受けたりする。

それらの顔ぶれは、研究業績とか学者としての評価とは別の処で決まるものらしいが、

社会全体の仕組みが何か、間違っているように思えて仕方がない。

受勲の惑い(6)

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前回までの記事:

[T-6]<a href="http://ameblo.jp/austinriverside/entry-10091505067.html " target="_blank">受勲の惑い(1)</a>

[T-7]<a href="http://ameblo.jp/austinriverside/entry-10091512966.html " target="_blank">受勲の惑い(2)</a>

[T-8]<a href="http://ameblo.jp/austinriverside/entry-10091517505.html " target="_blank">受勲の惑い(3)</a>

[T-9]<a href="http://ameblo.jp/austinriverside/entry-10091624937.html" target="_blank">受勲の惑い(4)</a>

[T-10]<a href=" http://ameblo.jp/austinriverside/entry-10091636161.html" target="_blank">受勲の惑い(5)</a>

に続く:

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Y君に叙勲を推薦する話があったと聞いて、彼はそれを喜んでいるだろうと思って、話してみるとそれ程でもない。 

叙勲を受けるかどうか、惑っている、という。

少し詳しく聞いてみて、成程と思った。

自分が趣味のない世界のことは何も知らないのだが、何であっても、そこにクビを突っ込んでいる人には深刻な問題が有るのだな、と思った。



毎年、春秋の2回、新聞に叙勲の記事が載り、授与された人物の名前が掲載される。 

私だって左程強い関心がある訳ではないが、知り合いの人とか、住所が近くの人の名があるかもしれないと思って、毎回、その種の記事には目を通してきた。が、 実の所、勲章にはどんな種類のモノがあるのか、また、どれが偉いのか、全く知らない。 私に限らず、一般の社会人にとっては、津軽三味線はもとより、タクシー料金や、株価よりも、関心のない事柄だろうから、知らないのが普通だろう。 しかし、勲章のことを私は知らないが、政治家とか、地方の名士などはかなり拘っているのは承知しているから、この機会にちょっと勉強してみた。

その結果、Y君が、喜色満面という訳でなく、然しながら、いろいろと事情を熟慮して、矢張り有り難く頂戴しようかと迷っているという気持ちを、私なりに可也理解できるようになった。

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Y君の惑い

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Y君は言う:彼はそういう時代のめぐり合わせに生まれ付いてきたのか、肩書きに付いては毎度似た様な思いをする、と。

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▲半世紀の昔、Y君や私が若かった頃に学位制度の変革があった。

今では博士号とは、大学院の授業料を5年間払った領収書の様なものだが、昔は大層値打ちが有った。 それだから夏目漱石の博士号辞退などが大問題になった。

それが、我々が大學を出て数年した頃に制度が変わって、安直に取れるようになった。

実力が無くてそれまで博士号に縁のなかった大学教授だとか、格好を付けたい企業の経営・管理者などが大量に学位を取得して、まるでラッシュアワーの様だった。

学界雑誌に掲載された論文が二つあることが、博士号認定の基準と聞いたような気がするが、まだ大學卒業後の年数が経っていなかったため印刷論文の数が足りない、私等の同年代の連中は皆、指を加えて眺めていた。


一つには、我々の数年上の世代では、出来の良い人材は殆ど戦争で死んでしまって、心身に欠陥の有る連中が戦後社会に残っていた。

会社の上司として我々の上に立ってはいるが、戦争中に学校を出て社会に入ったものの、現実に仕事らしい仕事等する機会も無く過ごした連中である。 終戦と同時に上層部は公職追放で居なくなり、同輩で優秀なのは戦死して、自身は実務経験も能力もないままに職場で管理職の肩書きを得た連中である。


が、その学問的実力のない連中が安易に博士号を取るのを、不愉快に思って見ていた、実力のある私の同年代の仲間の多くは、逆に、俺は博士号など取らないぞ、と息巻く者もいた。

Y君もその心算だから、数年経って業績が蓄積されて、手続きすれば博士号が取れるようになっても、放置していた。

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▲ところが、田舎の御両親はその辺の事情は知らないので、会社から大學に職場を移したY君に、お前も博士号を取れないのかと、しつこく言った。

不本意ではあったが、親孝行の心算で博士号を取ったら、田舎では御両親が大層喜んでくれて、Y君は複雑な思いをした


何年か経って気が付くと、私等と同年の連中の多くも何時の間にか、こっそりと博士号を取っていて、話してみると、不本意ながら親孝行のために手続きをした、と皆が同じことを言った。

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▲また、地方の役人だったY君の義父が叙勲を受けた時に、義父は大層喜んで派手な祝宴を張ったのだが、娘であるY夫人に向かって、

「お前は、その内に亭主の叙勲の席に付添って列する事になるだろうから、着物を用意しておけ」、と言って立派な和服を作ってくれたという。


その時の義父の気持ちを思うと、矢張り、Y君は叙勲を素直に受けて義父の期待を満たしてやりたいと思う、と言う。

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今回、叙勲の推薦を言って貰った時にも、Y君は昔を思い起した。

▲昔の叙勲ならば大層光栄に思って喜んで戴きたい。 しかし、最近の実績を見ると、寧ろ断る方が見識というものか、と思ったりした。

▲でも、亡き両親の気持ちを思うと、天上で見ていてくれるような気がしてならない。また、義父が夫人に用意した立派な着物を見ると、義父の気持ちも満たしてやりたく思う。

博士号の時とは違って、今は両親も居ないから、辞退する方が筋が通る、とも考える。

でも、現世には居ない親なのだが、何処かで見守ってくれているような気がしてならない。

その親がどう思うだろうか、と考えてしまう、という。

▲イチローや城山三郎くらいの実績があれば、格好良く勲章の授与を拒絶したい。

しかし、Y君が辞退した処で誰が快哉を叫んで呉れるだろう。

そんな意地を張るよりも、天にいる両親を喜ばせたい、との気持ちがあるので、 未だに迷っているという。

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Y君は言う。 「善意で私のために心配してくれる人にご迷惑が掛かるといけないから、秋までは、この話は絶対に内証にして、他の誰にも話さないで居てください。

更に言うならば、推薦者が推薦してくれても、政府の方で受付けないことも無いわけでないだ。 どちらに転んでも、秋に結論が出てからならば、実はこの様なことがあったと、親しい人に漏らして頂いても良いかもしれない。

どうせ、世の中にはこの種の裏話が沢山あり、歳を取るということは、そのようなことを見ることだから。


実は、この様なスジ論を頭の中で蒸し返している内に、Y君は、昔聞いたがすっかり忘れていた、思い掛けない事を思い出した。冒頭に書いた日本に於ける叙勲の歴史で

▲:1875年に、有栖川宮幟仁親王 以下の皇族が、初めて叙勲されたのが、本邦の叙勲の最初、とあります。

有栖川宮幟仁親王 は公武合体政策の犠牲になった和宮にご縁のあった宮様だったと思うが、明治になって、長野の善光寺に見えたときに宿舎のお食事に、お酌取りのお稚児さんとして出仕したのが、Y君の母方の祖母だったと聞いた記憶があったのだ。

そうだとすると、矢張りこれも一つのご縁として素直に頂くべきかな、と思ったりもする、という。

彼が迷っているという気持ちを、私なりに可也理解できるようになった。

受勲の惑い(5)

私の感想[2:友人の体験談より]

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前記のように、最近の中綬章の受賞者には、何をした人か分らない人物が多い。

が、しかし明白に、本人の現役時代の所業で、誠に許し難い実績のある人物を2006の秋の叙勲者名簿に私は見た。

友人Y君の同僚で、従って年齢的にも近く、その人物の所業を毎度詳細にY君に聞いていた、Sという大学教授だった男である。

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30年くらい前だったと思うが、外務省が対外援助の名目で、海外諸国からの留学生の受け入れを行なった時の話である。

本気に日本文化を海外に役立てようとするのならば、例えば昔の米国のフルブライト留学生のように、自前で留学生を選考すればよい。

が、外務省は其処までやる気はないものだから、金は出すが、人選は相手国の方に任せた。

世界中の国が良識と良心を持つのならば、それでもよいのだが、現実はそうでない。


当時、所謂後進国からの留学生を、まともな国立大学は皆、受け入れを断っていた。

留学生の質が良ければ、日本の大学だって歓迎するのだが、正直の所、これ等の後進国で優秀な学生は英米独仏に行き、日本に来るのは、その国でも程度の悪い学生であることを、日本の各大学が良く承知していたからだ。

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対外援助資金による留学生受け入れの窓口の仕事を任された文部省は、例の手で、搦め手から各大学に働きかけ、弱小国立大学に、それぞれ数名ずつの留学生を押し付けた。 

Yの居たD大学にも来たが、日本の学生に較べて学力が低いのは、最初から分っていた事。

日本だって明治の初期に欧米に行って文明を吸収した時には、いろいろとあったのだから、ある程度の事は仕方ない、と思う。


ただ、留学生本人の学力が日本より低くても、その国の中では、それなりに評価できる人間を送るのが、世話になる側の礼儀だ。

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その点で決定的に許し難く思うのがマレーシアである。

政府高官の親戚とか知人とか、いう事情で人選びをして送ってきたので、母国でも恐らくかなり程度の悪い連中だろう(程度のよいのは米国辺りに行くから)。

Y君の担当したのは、日本で言えば中一の学力もない連中だった。

具体的には、二次方程式も解けない若者に、エレクトロニクスの先端技術を教えるなんて、全く不可能である。

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一年間の授業の後で、Yは当然「不可」の成績評価を付けた。

ところが、Yの単位を取らないと、卒業資格を取れない。

折角留学しておきながら卒業できないと留学生が帰国後に大変に不都合を生じるので、大騒ぎになった。

Yは、成績評価はテストで決めるものであって、本人の都合、不都合で決めるものでないと思っているから、帰国後の不都合の陳情は、Yには何の効力もない。

元々、日本の大学に来たのが無理なのであり、それはYの責任ではない。

欧米の大學では、成績評価に一切の情実が入らないのは常識であり、Yは、大學とはその様な場所だ、と信じていた

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ところが外務省は非常に困った。

マレーシャ政府の高官との関係があるから、何とかしてもらいたい。

しかし、それを文部省に話しても、文部省は表面に出て何もすることは出来ない。

建前上は学業成績を評価し、単位を認定するのは教授であり、文部省でも文部大臣でも、どうにもならない。

文部省もこっそりと、大學の事務局長を通じて大学に圧力を掛けてくるが、それ以上のことは出来ない。

Yに言わせれば、大学のことは文部省の仕事であり、外務省の圧力で、文部省が学生の成績をどうとかしろ、とは筋の通らぬ話と思っている。

事務局長もその筋論は分っているから、この件でYに話をする訳には行かない。

事務局長は本省の官僚で、大學に2,3年間出向して本省に戻るまでに不手際を残す訳に行かない。

事務局長は困って学生部長を勤めているS教授に相談した。 Sに依頼して、教授仲間として、Yにこの留学生の担当を降りて、他の教授に交代してくれないか、と持ちかけさせた

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それを引き受けるSの不見識Yは呆れたが、Yとしての筋を通せば気が済む事なので、Yは、OKした。

Yは、自分の責任に置いては、その低学力の留学生に単位を認定しなかった。

他の教授がどのような成績評価をしても自分の知ったことではない。

こうして問題は解決した。

この出来事は二つの問題を含んでいる。

一つは、文部省の仕事である学生の卒業資格認定に外務省が口を出し、文部省がそれに屈した事(本来は、撥ねつけるべきこと)、

第二は大學の学業成績が学力以外の因子で決められた事、の二点である。

しかし、学長ではなく一教授に過ぎないYは、分相応に務めを果たした心算でいる。

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S学生部長はその功績(?)の見返りだと想像するが、その後間も無く、マレーシャに海外出張する機会を得た。

文明先進国とか、アジアでも中国、韓国などでなく、初めての海外出張がマレーシア、というのも誠に珍奇な話である。

★S氏は、年齢的にはYよりも年長ではあるが、大学卒業年次は後である。 何よりも彼は学問的実績というものは全くない。

それにも拘らず、というか、それなるが故に、というべきか、彼は昨年、叙勲を受けた。

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: N氏はS教授よりも年長であり、大学卒業年次もYよりも更に先であって、学問的実績としては、輝かしいが、叙勲には全く無縁(候補者にもならない)である。

N氏は現代医学で非常に重要な診断技術、MRIの基礎となるNMRの有機化学への応用を1960年代に日本での研究を先導し、その分野での最初の本を書いた。 

それには前段の事情もあって、同大学の開校間も無くに其処に居た若手助教授F氏がこの方面の仕事を手掛けようとしたが、仕事に付いての理解も予算も、教授会の賛同を得られず、ハーバード大、スタンフォード大、と並んでNMRを開発していたイリノイ大に招かれて修行してきた経緯がある。

F氏はその後、東大に移ってしまったが、その装置を活かしたN氏の業績で、有機化学者の間では同大学は良く知られるようになった。

兎も角、このN氏の様な人がこの大學に居たのだが、この人は講師から助教授へ、従って教授に昇格するのが大層遅くなったし、叙勲などの候補となることもないのである。 (中略)

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多人数教育を推進したE氏とか、学位授与規範を政治的に歪めた無見識なS氏とかが叙勲を受けているのに、

逆に、同大学に在籍した教官達の中で、学問的な実績が特に傑出しているN氏は、(そのために)、教授昇進とか叙勲の様な話が出ないのも妙である。