本日は、オーストラリア人ミュージシャンの中で米英で今一番人気があり、去年のグラミー賞にもノミネートされたCourtney Barnett(コートニー・バーネット)のバックでドラムを、そして自身のGumboot(ガムブート)というバンドでベースを担当し活躍しているDave Mudie(デイヴ・ムーディ―)のインタビューをお届けする。
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写真1: 筆者とデイヴ
こんにちは、デイヴ。今日は時間を取ってくれてありがとう。
デイヴ(以下Dと省略): こちらこそよろしく頼むよ!
今何才?
D: 38才。
初めて楽器を手にしたのはいつ?
D: 5才の時だね。親父がドラムを買ってくれた。4才上の姉がギターをやっていたから、何か他の楽器をやろうと思ったんだ。家の中のフライパンや食器などを叩いて遊んでいたから、自然にドラムを選んだ感じかな(笑)。
ハハハ!
D: 親父はドラムとベースとギターなど何でもできて、教えるのもうまかったよ。親父からドラムの基礎を学んだ。ビートルズが教材だった。
いい親父さんだね。
D: うん。初めてのレコードも親父が買ってくれたよ。ジミ・ヘンドリックスだった。だから、僕はジミのバンドのドラマーのMitch Micthell(ミッチ・ミッチェル)に影響を受けてる。
ミッチ・ミッチェルと言えば、1990年代にThe Kinks(ザ・キンクス)のコンサート会場で目撃されてるよ。
D: 本当に?!でも驚きはしないね。彼もキンクスが大好きだっただろうから。ミッチは元々ジャズ畑で、あのキンクスのドラマー、、、名前は何だっけ?
Mick Avory(ミック・エイヴォリー)だよ。
D: そう、ミック・エイヴォリー!彼はすごいドラマーだよ。過小評価されすぎだ。
そうなんだよ。過小評価もいいとこだよね。ドラム雑誌でも全然取り上げられないし、、、
D: でも僕は彼のドラムが大好きだよ。偉大なドラマーだよ!
ところで、キンクスのベーシストの名前は何だっけ?
Pete Quaife(ピート・クエイフ)だよ。
【ここで雨が強くなり、私達のテーブルの横が滝のようになったから隣のテーブルに移動】
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ミッチ・ミッチェルに影響を受けて、それからは?
D: 近所の友人達と一緒に楽器で遊んでいた。その後、中学はMacleod High School(マクラウド・ハイスクール)っていう音楽に力を入れている学校に入ったんだ。そこで、中2か中3の時に本格的にドラムを練習し始めた。年は覚えているよ、14才の時だ。【筆者追記:この学校は、現在は小学校から高校までの一貫校「マクラウド・カレッジ」と名を変えている】
バンドを組んだのは?
D: それから同じクラスの奴と、バンドを組んだんだ。Cream(クリーム)、ジミ・ヘンドリックス、ザ・キンクス、The Beatles(ザ・ビートルズ)などをカバーしてたね。
キンクスの曲はどれをやってたの?
D: You Really Got Me(ユー・リアリー・ガット・ミー)や、僕の大好きなTill The End Of The Day(ティル・ジ・エンド・オヴ・ザ・デイ)なんかをカバーしてた。そうそう、Lola(ローラ)もやったなぁ。
おっ、いいねえ!
D: その後、高1から高3の時にBroken Ground(ブロークン・グラウンド)というバンドを組んだ。僕らは「イケてる」思ってたけど、他人から見るとそうでもなかったかも(笑)。EPを出したり、コンテストで勝ったりしたよ。卒業したら解散してしまったけど。
その後は色んなバンドやアーティストと関わったんじゃない?
D: うん。この間、今までいくつのバンドでやったかを彼女と一緒に数えてみたら、なんと38もあったよ!
それは凄い!
D: JET(ジェット)が人気が出た頃、僕はCannon(キャノン)というバンドで活動してた。キャノンではEPを発表して、ラジオでも結構かかったよ。うちのバンドのボーカルがジェットのCester(セスター)兄弟の従兄弟だったんだ。それもあって、彼等の実家の倉庫でリハーサルしてたよ。
そうなんだ!ジェットと言えば、僕は彼等に一度会ったことがあるよ。シドニー空港で出くわしたんだ。【その記事はこちらをクリック 。】
D: キャノンはジェットのオーストラリアツアーで前座もしたよ。Get Born(ゲット・ボーン)ツアーだったから、2004年かな?
えっー!じゃあ、僕は君達のステージを見てるよ!
D: 本当? 会場はForum(フォーラム)?
そうそう、2004年のフォーラムでのコンサート!DVDにもなってる。
D: あの10年後に同じ会場で、今度はCourtney Barnett(コートニー・バーネット)のドラマーとして演奏したんだ。
キャノンの後は、一緒に住んでいた連中とThe Fang(ザ・ファング)というサイコ・ロックのバンドを組んだ。このバンドは結構続いた。その間もいろんな人のバックで演奏してた。僕は会計士でもあるんだけど、根っからの音楽好きだからね。会計士の仕事を終えた後、空いた時間はすべてバンドでのリハーサルに費やしていたよ。だから、彼女はいい顔してなかったね、会う時間がほとんどなかったから(笑)。
すれ違いだね。
D: それが理由で、当時付き合っていた女のコと別れることになったりしたこともある。
ミュージシャンとしては仕方がないね。
D: それから、2008年にBelle Roscoe(ベル・ロスコー)というバンドに出会って、フランスでのツアーに参加してくれと言われたんだ。彼等とレコーディングして、パリなどフランスの都市をツアーした。
オーストラリアのバンド?
D: フランス系オーストラリア人のデュオだ【筆者注:調べてみると、兄と妹の二人組らしい】。あのフランスツアーが僕の初めての海外旅行だった。
2008年は、ガムブートで一緒にやっているJames Fleming(ジェイムス・フレミング)と知り合った年でもある。僕がKitchen Knife Wife(キッチン・ナイフ・ワイフ)というバンドに参加した時に知り合った。キッチン・ナイフ・ワイフでは、イギリスのThe Wombats(ザ・ウォンバッツ)というバンドとヨーロッパとイギリスを周ったよ。でも、アルバムを出した後すぐ解散してしまった。
写真2: 左端がデイヴ。ガムブートのべーシストとして
ビデオはこちらをクリック 。
D: それから今度は、Immigrant Union(イミグラント・ユニオン)というバンドに参加した。Bob Harrow(ボブ・ハロウ)に誘われたんだ。
そのバンドはどんな音楽をしてたの?
D: カントリー・サイコ。ボーカルはアメリカのバンドThe Dandy Warhols(ザ・ダンディー・ウォーホルズ) のBrent Deboer(ブレント・デボア)。イミグラント・ユニオンは現在も活動しているよ。僕はもう関わっていないけどね。
今、いくつのバンドでやってるの?
D: そうだなぁ、リストにするとこんな感じ。
Courtney Barnett(コートニー・バーネット)
Gumboot(ガムブート)
The Ronson Hangup(ザ・ロンソン・ハングアップ)
Danny Walsh Banned(ダニー・ウォルシュ・バンド)
The Brolga Boys(ザ・ブロルガ・ボーイズ)
そして、2月か3月にソロアルバムも出すよ!
それは楽しみだ!どんなジャンル?
D: いろんなタイプの曲がある。昔から書き溜めてきたものを発表するんだ。ブルースっぽいものもあれば、ポップなものもある。ジェイムスも参加しているよ。イミグラント・ユニオンのボブも参加しているし、コートニーも数曲歌ってくれている。
早く聴いてみたいな!
D: 今度、リンクを送ってあげるよ。
ここ数年はコートニーとの活動で忙しいよね!?
D: うん、ここ3年間はコートニーのドラマーとして世界各国を周った。そうそう、彼女と出会ったのは、実はイミグラント・ユニオンでなんだよ。一時期彼女も在籍していて、そこから彼女がソロアーティストとして活動し始める時にドラムをやってくれと誘われたんだ。それが2012年だね。
コートニーのファーストアルバムやEPの録音には、僕達の他にThe Drones(ザ・ドローンズ)のDan Luscombe(ダン・ラスコム)が参加しているよ。
写真3: 2016年3月のミルクレコーズのコンサートでの一枚
コートニーとの最初のツアーってどんな感じだったの?
D: 最初の大規模な全豪ツアーは、Something For Kate(サムシング・フォー・ケイト)と周ったツアーだ。26公演した。それからBig Scary(ビッグ・スケアリー)とのツアー。ビッグ・スケアリーのドラマーのJo Syme(ジョー・サイム)が僕の彼女なんだけど、そのツアーで知り合ったんだ。
なるほど。
D: その後、2013年にニューヨークのCMJに出演した。当時ベースはまだBones Sloane(ボーンズ・スロウン)じゃなかったけど、そこでコートニーが高評価を得たんだ。そして、2014年2月から、オーストラリア国内よりも海外での公演が増えていった。この3年で600公演ぐらいしたんじゃないかな。実際、先月まで南アメリカをツアーしてたよ。
フェイスブックで写真を見たよ。すごい数の観客だったね。
コートニーが最初に高評価を得たのはアメリカだったの?
D: いや、最初はイギリスで、その後にアメリカだ。海外をツアーしている内に、EPが評判になっていったんだよね。アメリカではシングルの「Avant Gardner(アヴェント・ガードナー)」で火が付いたんだ。イギリスではGlastonbury(グラストンベリー)にも出演した。
で、普通はEPのあと間隔を開けてアルバムを作るんだけど、僕達は2014年に入ってすぐ制作に取り掛かった。そして、十日で仕上げたんだ。録音はしたけど、そのままツアーを続けて、2015年にファーストアルバム「Sometimes I Sit And Think, and Sometimes I Just Sit.(サムタイムズ・アイ・スィット・アンド・シンク、アンド・サムタイムズ・アイ・ジャスト・スィット)」を発表した。で、テキサスで毎年行われるSouth By Southwest(サウス・バイ・サウスウエスト、略記SXSW)という大きなイベントに出演して大ブレイクしたんだ。
2015年には、日本もツアーしたよね?
11月だっけ?
D: その通り!日本ツアーの前に、Blur(ブラー)直々の指名で、マジソン・スクエア・ガーデンとハリウッド・ボウルで前座を務めたから覚えてるよ。ファーストアルバムを引っさげたツアーは先月の南アメリカツアーまで一年半も続いた。
海外で高評価を得ているコートニーだけど、地元オーストラリアでの反応はどう?
D: 手応えがあるし、良いと思うよ。コンサートの会場もだんだんと大きくなっているしね。【筆者注:チケットもすぐ売り切れる】
最初は「出る杭は打たれる」みたいなこともあったけど、オーストラリアツアーはとても楽しかった!
米英での会場はどの規模?
D: フェスティバルじゃなくコートニー単独コンサートだと、会場は平均2000人規模。
これからの活動は?
D: コートニーは2枚目のアルバムの曲作りに入っている。今年中には発表されるだろう。けど、ツアーは来年になるだろうね。休むことも必要だよ。
(冗談で)ずっと一緒にいたら嫌になることもあるだろうしね(笑)。
D: そんなことはないよ!僕等は仲がいいんだ。
さっき日本ツアーの話が出たけど、日本はどうだった?
D: 日本ツアーは最高だったよ!最初は大阪。プロモーターが色んな場所に連れて行ってくれた。
プロモーターはスマッシュ?
D: うん。
スマッシュは、フジロック・フェスティバルの主催者でもあるよ。
D: そうだね。去年フジロックに出演した時も、バックステージで見かけたよ。
日本の観客はどうだった?
D: 信じられないぐらいエネルギッシュだった!最初から大盛り上がりですごかった。
会場はどこだったか覚えてる?
D: ちょっと覚えてないなぁ。600人ぐらいの箱だったと思うけど。
クラブクアトロかな?
D: そう!クアトロだ。
大阪クアトロでは、僕は昔Buddy Guy(バディー・ガイ)を見たよ。
D: マジで!どうだった?
最前列でサイコーだったよ。英語が喋れたからバンドのメンバーと少し話したりもできたし。
大阪がクアトロだったんなら、東京公演もクアトロだったんだね。
D: うん。渋谷のね。
僕は、渋谷のクアトロでJohn Mayall(ジョン・メイオール)を見たよ。
D: いろいろなライヴに行ってるねえ。
日本では自由時間はあったの?
D: 東京ではなかったけど、大阪では2,3日あったね。大阪城などを見たよ。あの城は素晴らしかった。ところで、さっきから君の話を聞いていると、今までいろんなところに住んでいたようだけど、他に住んだ場所はどこ?【と、逆にインタビューされる筆者であったが、この部分は省略する】
写真4: コートニー・バーネットのバンドのドラマーとしての一枚
ロンドンでの路上ライヴビデオはこちらをクリック 。
【会話が進み、デイヴから私に質問があった】
D: ところで、君は楽器をしないの?ギターかなんかしたらいいのに。
やりたいのはやまやまだけど、音を聞き分けたりするのが不可能に思えるんだ。
D: そんなに難しくないよ。今はスマホアプリもあるしね。君だったらキンクスの曲なんかいいんじゃない?!僕でよかったら教えてあげるよ。いつでも連絡してくれ。
ありがとう。今、首の怪我で腕が痺れているからあれだけど、良くなったら連絡するよ。君達のプロモーションビデオで武道家が必要な時は僕に言ってちょうだい(笑)。
【インタビューはここで終わったが、この後15分ほど雑談で盛り上がった二人であった。】
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コートニーの公式サイトはこちらをクリック 。
ザ・ロンソン・ハングアップの公式フェイスブックはこちらをクリック 。
ダニー・ウォルシュ・バンドの公式サイトはこちらをクリック 。
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写真1: 筆者とデイヴ
こんにちは、デイヴ。今日は時間を取ってくれてありがとう。
デイヴ(以下Dと省略): こちらこそよろしく頼むよ!
今何才?
D: 38才。
初めて楽器を手にしたのはいつ?
D: 5才の時だね。親父がドラムを買ってくれた。4才上の姉がギターをやっていたから、何か他の楽器をやろうと思ったんだ。家の中のフライパンや食器などを叩いて遊んでいたから、自然にドラムを選んだ感じかな(笑)。
ハハハ!
D: 親父はドラムとベースとギターなど何でもできて、教えるのもうまかったよ。親父からドラムの基礎を学んだ。ビートルズが教材だった。
いい親父さんだね。
D: うん。初めてのレコードも親父が買ってくれたよ。ジミ・ヘンドリックスだった。だから、僕はジミのバンドのドラマーのMitch Micthell(ミッチ・ミッチェル)に影響を受けてる。
ミッチ・ミッチェルと言えば、1990年代にThe Kinks(ザ・キンクス)のコンサート会場で目撃されてるよ。
D: 本当に?!でも驚きはしないね。彼もキンクスが大好きだっただろうから。ミッチは元々ジャズ畑で、あのキンクスのドラマー、、、名前は何だっけ?
Mick Avory(ミック・エイヴォリー)だよ。
D: そう、ミック・エイヴォリー!彼はすごいドラマーだよ。過小評価されすぎだ。
そうなんだよ。過小評価もいいとこだよね。ドラム雑誌でも全然取り上げられないし、、、
D: でも僕は彼のドラムが大好きだよ。偉大なドラマーだよ!
ところで、キンクスのベーシストの名前は何だっけ?
Pete Quaife(ピート・クエイフ)だよ。
【ここで雨が強くなり、私達のテーブルの横が滝のようになったから隣のテーブルに移動】
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ミッチ・ミッチェルに影響を受けて、それからは?
D: 近所の友人達と一緒に楽器で遊んでいた。その後、中学はMacleod High School(マクラウド・ハイスクール)っていう音楽に力を入れている学校に入ったんだ。そこで、中2か中3の時に本格的にドラムを練習し始めた。年は覚えているよ、14才の時だ。【筆者追記:この学校は、現在は小学校から高校までの一貫校「マクラウド・カレッジ」と名を変えている】
バンドを組んだのは?
D: それから同じクラスの奴と、バンドを組んだんだ。Cream(クリーム)、ジミ・ヘンドリックス、ザ・キンクス、The Beatles(ザ・ビートルズ)などをカバーしてたね。
キンクスの曲はどれをやってたの?
D: You Really Got Me(ユー・リアリー・ガット・ミー)や、僕の大好きなTill The End Of The Day(ティル・ジ・エンド・オヴ・ザ・デイ)なんかをカバーしてた。そうそう、Lola(ローラ)もやったなぁ。
おっ、いいねえ!
D: その後、高1から高3の時にBroken Ground(ブロークン・グラウンド)というバンドを組んだ。僕らは「イケてる」思ってたけど、他人から見るとそうでもなかったかも(笑)。EPを出したり、コンテストで勝ったりしたよ。卒業したら解散してしまったけど。
その後は色んなバンドやアーティストと関わったんじゃない?
D: うん。この間、今までいくつのバンドでやったかを彼女と一緒に数えてみたら、なんと38もあったよ!
それは凄い!
D: JET(ジェット)が人気が出た頃、僕はCannon(キャノン)というバンドで活動してた。キャノンではEPを発表して、ラジオでも結構かかったよ。うちのバンドのボーカルがジェットのCester(セスター)兄弟の従兄弟だったんだ。それもあって、彼等の実家の倉庫でリハーサルしてたよ。
そうなんだ!ジェットと言えば、僕は彼等に一度会ったことがあるよ。シドニー空港で出くわしたんだ。【その記事はこちらをクリック 。】
D: キャノンはジェットのオーストラリアツアーで前座もしたよ。Get Born(ゲット・ボーン)ツアーだったから、2004年かな?
えっー!じゃあ、僕は君達のステージを見てるよ!
D: 本当? 会場はForum(フォーラム)?
そうそう、2004年のフォーラムでのコンサート!DVDにもなってる。
D: あの10年後に同じ会場で、今度はCourtney Barnett(コートニー・バーネット)のドラマーとして演奏したんだ。
キャノンの後は、一緒に住んでいた連中とThe Fang(ザ・ファング)というサイコ・ロックのバンドを組んだ。このバンドは結構続いた。その間もいろんな人のバックで演奏してた。僕は会計士でもあるんだけど、根っからの音楽好きだからね。会計士の仕事を終えた後、空いた時間はすべてバンドでのリハーサルに費やしていたよ。だから、彼女はいい顔してなかったね、会う時間がほとんどなかったから(笑)。
すれ違いだね。
D: それが理由で、当時付き合っていた女のコと別れることになったりしたこともある。
ミュージシャンとしては仕方がないね。
D: それから、2008年にBelle Roscoe(ベル・ロスコー)というバンドに出会って、フランスでのツアーに参加してくれと言われたんだ。彼等とレコーディングして、パリなどフランスの都市をツアーした。
オーストラリアのバンド?
D: フランス系オーストラリア人のデュオだ【筆者注:調べてみると、兄と妹の二人組らしい】。あのフランスツアーが僕の初めての海外旅行だった。
2008年は、ガムブートで一緒にやっているJames Fleming(ジェイムス・フレミング)と知り合った年でもある。僕がKitchen Knife Wife(キッチン・ナイフ・ワイフ)というバンドに参加した時に知り合った。キッチン・ナイフ・ワイフでは、イギリスのThe Wombats(ザ・ウォンバッツ)というバンドとヨーロッパとイギリスを周ったよ。でも、アルバムを出した後すぐ解散してしまった。
写真2: 左端がデイヴ。ガムブートのべーシストとして
ビデオはこちらをクリック 。
D: それから今度は、Immigrant Union(イミグラント・ユニオン)というバンドに参加した。Bob Harrow(ボブ・ハロウ)に誘われたんだ。
そのバンドはどんな音楽をしてたの?
D: カントリー・サイコ。ボーカルはアメリカのバンドThe Dandy Warhols(ザ・ダンディー・ウォーホルズ) のBrent Deboer(ブレント・デボア)。イミグラント・ユニオンは現在も活動しているよ。僕はもう関わっていないけどね。
今、いくつのバンドでやってるの?
D: そうだなぁ、リストにするとこんな感じ。
Courtney Barnett(コートニー・バーネット)
Gumboot(ガムブート)
The Ronson Hangup(ザ・ロンソン・ハングアップ)
Danny Walsh Banned(ダニー・ウォルシュ・バンド)
The Brolga Boys(ザ・ブロルガ・ボーイズ)
そして、2月か3月にソロアルバムも出すよ!
それは楽しみだ!どんなジャンル?
D: いろんなタイプの曲がある。昔から書き溜めてきたものを発表するんだ。ブルースっぽいものもあれば、ポップなものもある。ジェイムスも参加しているよ。イミグラント・ユニオンのボブも参加しているし、コートニーも数曲歌ってくれている。
早く聴いてみたいな!
D: 今度、リンクを送ってあげるよ。
ここ数年はコートニーとの活動で忙しいよね!?
D: うん、ここ3年間はコートニーのドラマーとして世界各国を周った。そうそう、彼女と出会ったのは、実はイミグラント・ユニオンでなんだよ。一時期彼女も在籍していて、そこから彼女がソロアーティストとして活動し始める時にドラムをやってくれと誘われたんだ。それが2012年だね。
コートニーのファーストアルバムやEPの録音には、僕達の他にThe Drones(ザ・ドローンズ)のDan Luscombe(ダン・ラスコム)が参加しているよ。
写真3: 2016年3月のミルクレコーズのコンサートでの一枚
コートニーとの最初のツアーってどんな感じだったの?
D: 最初の大規模な全豪ツアーは、Something For Kate(サムシング・フォー・ケイト)と周ったツアーだ。26公演した。それからBig Scary(ビッグ・スケアリー)とのツアー。ビッグ・スケアリーのドラマーのJo Syme(ジョー・サイム)が僕の彼女なんだけど、そのツアーで知り合ったんだ。
なるほど。
D: その後、2013年にニューヨークのCMJに出演した。当時ベースはまだBones Sloane(ボーンズ・スロウン)じゃなかったけど、そこでコートニーが高評価を得たんだ。そして、2014年2月から、オーストラリア国内よりも海外での公演が増えていった。この3年で600公演ぐらいしたんじゃないかな。実際、先月まで南アメリカをツアーしてたよ。
フェイスブックで写真を見たよ。すごい数の観客だったね。
コートニーが最初に高評価を得たのはアメリカだったの?
D: いや、最初はイギリスで、その後にアメリカだ。海外をツアーしている内に、EPが評判になっていったんだよね。アメリカではシングルの「Avant Gardner(アヴェント・ガードナー)」で火が付いたんだ。イギリスではGlastonbury(グラストンベリー)にも出演した。
で、普通はEPのあと間隔を開けてアルバムを作るんだけど、僕達は2014年に入ってすぐ制作に取り掛かった。そして、十日で仕上げたんだ。録音はしたけど、そのままツアーを続けて、2015年にファーストアルバム「Sometimes I Sit And Think, and Sometimes I Just Sit.(サムタイムズ・アイ・スィット・アンド・シンク、アンド・サムタイムズ・アイ・ジャスト・スィット)」を発表した。で、テキサスで毎年行われるSouth By Southwest(サウス・バイ・サウスウエスト、略記SXSW)という大きなイベントに出演して大ブレイクしたんだ。
2015年には、日本もツアーしたよね?
11月だっけ?
D: その通り!日本ツアーの前に、Blur(ブラー)直々の指名で、マジソン・スクエア・ガーデンとハリウッド・ボウルで前座を務めたから覚えてるよ。ファーストアルバムを引っさげたツアーは先月の南アメリカツアーまで一年半も続いた。
海外で高評価を得ているコートニーだけど、地元オーストラリアでの反応はどう?
D: 手応えがあるし、良いと思うよ。コンサートの会場もだんだんと大きくなっているしね。【筆者注:チケットもすぐ売り切れる】
最初は「出る杭は打たれる」みたいなこともあったけど、オーストラリアツアーはとても楽しかった!
米英での会場はどの規模?
D: フェスティバルじゃなくコートニー単独コンサートだと、会場は平均2000人規模。
これからの活動は?
D: コートニーは2枚目のアルバムの曲作りに入っている。今年中には発表されるだろう。けど、ツアーは来年になるだろうね。休むことも必要だよ。
(冗談で)ずっと一緒にいたら嫌になることもあるだろうしね(笑)。
D: そんなことはないよ!僕等は仲がいいんだ。
さっき日本ツアーの話が出たけど、日本はどうだった?
D: 日本ツアーは最高だったよ!最初は大阪。プロモーターが色んな場所に連れて行ってくれた。
プロモーターはスマッシュ?
D: うん。
スマッシュは、フジロック・フェスティバルの主催者でもあるよ。
D: そうだね。去年フジロックに出演した時も、バックステージで見かけたよ。
日本の観客はどうだった?
D: 信じられないぐらいエネルギッシュだった!最初から大盛り上がりですごかった。
会場はどこだったか覚えてる?
D: ちょっと覚えてないなぁ。600人ぐらいの箱だったと思うけど。
クラブクアトロかな?
D: そう!クアトロだ。
大阪クアトロでは、僕は昔Buddy Guy(バディー・ガイ)を見たよ。
D: マジで!どうだった?
最前列でサイコーだったよ。英語が喋れたからバンドのメンバーと少し話したりもできたし。
大阪がクアトロだったんなら、東京公演もクアトロだったんだね。
D: うん。渋谷のね。
僕は、渋谷のクアトロでJohn Mayall(ジョン・メイオール)を見たよ。
D: いろいろなライヴに行ってるねえ。
日本では自由時間はあったの?
D: 東京ではなかったけど、大阪では2,3日あったね。大阪城などを見たよ。あの城は素晴らしかった。ところで、さっきから君の話を聞いていると、今までいろんなところに住んでいたようだけど、他に住んだ場所はどこ?【と、逆にインタビューされる筆者であったが、この部分は省略する】
写真4: コートニー・バーネットのバンドのドラマーとしての一枚
ロンドンでの路上ライヴビデオはこちらをクリック 。
【会話が進み、デイヴから私に質問があった】
D: ところで、君は楽器をしないの?ギターかなんかしたらいいのに。
やりたいのはやまやまだけど、音を聞き分けたりするのが不可能に思えるんだ。
D: そんなに難しくないよ。今はスマホアプリもあるしね。君だったらキンクスの曲なんかいいんじゃない?!僕でよかったら教えてあげるよ。いつでも連絡してくれ。
ありがとう。今、首の怪我で腕が痺れているからあれだけど、良くなったら連絡するよ。君達のプロモーションビデオで武道家が必要な時は僕に言ってちょうだい(笑)。
【インタビューはここで終わったが、この後15分ほど雑談で盛り上がった二人であった。】
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