195日目_ストロベリーシェイク。2010-03-25
今日もデイオフ。
相変わらず、負のサイクルから抜け出せずにいた。
人に優しく出来ない。
他人にも自分にも。
イライラする。
嫌い。周りの人も自分も。
弱い。だけど一人になりたい。
本当は寂しいくせに。
誰かに慰めて欲しいのに。
でも誰にも言えない。
何か考えたくて一人になりたくても、ここの場所ではそれはとても難しい。
ワンルームに6人暮らし。
常に誰かがいる。
どこかに出かけたくても車が無いとどこにもいけない。
普段は大好きな楽しい暮らし。
でも、
心に余裕が無い時はすごく辛い。
笑えない。
私は最近
昔の恋人を無償に思い出していた。
心の中の愛の充電が足りなくなったから、
脳が勝手に
自分が愛されていた時の記憶を呼び起こしたんだろう。
その人は本当にいい人だった。
尊敬するところもたくさんあった。
私のできないこと出来る人だったし
たくさんたくさんいろんなことを教えてもらった。
素敵な思い出がたっくさんできた。
その時の私はとても幸せだった。
元気かな。
今何してるのかな。
つまずいた時、落ち込んだ時、
いつも思い出してしまうよ。
相変わらず、負のサイクルから抜け出せずにいた。
人に優しく出来ない。
他人にも自分にも。
イライラする。
嫌い。周りの人も自分も。
弱い。だけど一人になりたい。
本当は寂しいくせに。
誰かに慰めて欲しいのに。
でも誰にも言えない。
何か考えたくて一人になりたくても、ここの場所ではそれはとても難しい。
ワンルームに6人暮らし。
常に誰かがいる。
どこかに出かけたくても車が無いとどこにもいけない。
普段は大好きな楽しい暮らし。
でも、
心に余裕が無い時はすごく辛い。
笑えない。
私は最近
昔の恋人を無償に思い出していた。
心の中の愛の充電が足りなくなったから、
脳が勝手に
自分が愛されていた時の記憶を呼び起こしたんだろう。
その人は本当にいい人だった。
尊敬するところもたくさんあった。
私のできないこと出来る人だったし
たくさんたくさんいろんなことを教えてもらった。
素敵な思い出がたっくさんできた。
その時の私はとても幸せだった。
元気かな。
今何してるのかな。
つまずいた時、落ち込んだ時、
いつも思い出してしまうよ。
私のワーホリ物語
小さい時から外国にすごく興味がありました。
海外の映画。
写真。
英字新聞とか超カッコいーー!と思ってたし。
授業でローマ字の勉強した時、
アルファベットってカッコいー!!!って思ってた。
小学校中学年位の時に、英語教室に通いだす。
その時のメンバーもめっちゃいい子ばっかで仲良くて
楽しく英語を学べた。
英検(履歴書に書けないレベル)も受けた。
そして受かった。
英語って楽しい!!!って思ってた。
中学生になって、学校で英語の授業が始まった。
英語教室に行ってたから、他の人よりは出来ていた。
英語の先生も若くてかっこよくて、ますます英語を勉強しようと思い出す。
その先生は学生のころ、
アメリカに留学してたんだって。
外人の友達が出来て
ダンスパーティーに行ったり
パブにいったり
先生の話はすべて魅力的だった。
そのときに、初めて
『留学』
という制度を知った。
でも
日に日に英語の授業は難しくなっていって
覚えなきゃいけない単語が増えて行き、
大好きだった英語は、苦手な英語に変わっていってしまっていった。
高校を卒業して、就職したりなんやりあって、
20歳くらいの時バイト先のイタ飯屋さんで、
桜井サチコ似の超可愛い友達が出来た。
その子は2週間くらいの短期留学の経験があって
その時の話を色々してくれた。
外人とビリヤードでお金かけて勝負して勝った。とか
景色が綺麗だった。とか
私の中に確実に
“海外に行ってみたい”
という気持ちが確実になったのはこのとき。
早速バイトの帰りに本屋さんによって
留学情報誌を入手。
適当に色々書いて使用請求の葉書を出した。
即効、大量のパンフレットが届く。
そしてエージェントの無料カウンセリングに行って
具体的に見積もりを出してもらった。
行きたい国はアメリカ。
3ヵ月くらい行きたいな。
出してもらった見積もりに目を通して、思ったこと。
高い。。
現実は厳しいことを思い知る。
その時のうちの力では非現実的な金額だった。
一瞬で気持ちは萎える。
「オーストラリアはどうですか?物価も安いし、安全でいいところですよ。」
たしかに、オーストラリアで出してもらった見積もりは
アメリカのそれより安かった。
萎えた気持ちは戻らなかったけど
貯金頑張ろうと思い出すきっかけになった。
その後の数年間、
毎日が楽しかった。
バンド始めたり
サーフィンにハマったり
スノボ行ったり
いい友達が出来たり
素敵な彼氏が出来たり。
うちの中での
“海外に行きたい”気持ちは少しずつ伝説になりかけていた。
それより、そのときの“今”が楽しくて大切だった。
20代半ば、
海外旅行に行きだし、その楽しさを覚える。
グアム、バリ、サイパン、バリ。
特にグアムに行った時の出来事。
友達の買い物をお店の前で待ってた時、
とあるガイジンの男の子に話しかけられる。
片言の英語で会話して通じ合えて、
さらに『英語が上手だね』って言ってもらえて
“英語を勉強したい”気持ちがまた高まる。
いろいろ調べていくうちに
「ワーキングホリデー」という制度を知る。
ビザ申請料金も安いし
学べて、働けて、旅行が出来る。
期限も一年間。
働けるなら資金が少なくてもやっていける!
そして3年前、
ついにエージェントを通してワーホリ行きを決意。
行き先はゴールゴコースト。
前金の15万も入金して、あとは旅立ちの準備と英語の勉強。
テンション上がってたのに、
急にその会社が
「留学事業から撤退することになった」
っていう一方的な理由で、うちのプランは白紙に。。
もちろんお金は全額返ってきたけど
完全に気持ちはまた萎え萎え。。。
せっかく少しずつ続けてた勉強もおざなりに。。
それから、約2年後
急にそれまで勤めてた会社が九州に移動する事になった。
九州に行って仕事しても良かったんだけど、
会社を辞める事を決意。
そしたら、
退職金がもらえる事になり、それが結構な多額!
そして自己都合で辞めた訳じゃないので、失業保険もすぐもらえた。
日本は不況真っ只中。
うちの頭には
ワーホリでオーストラリアに行く
それしか頭に浮かばなかった。
エージェントも無料で手配してるれる人を見つけることが出来た。
もしあの時そのまま行ってたら、
無駄な“現地サービス”や“手配料”が何十万も払うところだった。
すべてのタイミングはバッチリ。
そうか、今だったんだ。と思った。
気分は“魔女の宅急便”
ガッツリ半年間、失業保険をもらいながら準備をして
2009年9月11日。
私は希望と不安で胸をいっぱいにして
ホーキではなくジェットスターに乗り、
一人、オーストラリアに旅立ったのでした。
長年の夢をかなえる為に。
海外の映画。
写真。
英字新聞とか超カッコいーー!と思ってたし。
授業でローマ字の勉強した時、
アルファベットってカッコいー!!!って思ってた。
小学校中学年位の時に、英語教室に通いだす。
その時のメンバーもめっちゃいい子ばっかで仲良くて
楽しく英語を学べた。
英検(履歴書に書けないレベル)も受けた。
そして受かった。
英語って楽しい!!!って思ってた。
中学生になって、学校で英語の授業が始まった。
英語教室に行ってたから、他の人よりは出来ていた。
英語の先生も若くてかっこよくて、ますます英語を勉強しようと思い出す。
その先生は学生のころ、
アメリカに留学してたんだって。
外人の友達が出来て
ダンスパーティーに行ったり
パブにいったり
先生の話はすべて魅力的だった。
そのときに、初めて
『留学』
という制度を知った。
でも
日に日に英語の授業は難しくなっていって
覚えなきゃいけない単語が増えて行き、
大好きだった英語は、苦手な英語に変わっていってしまっていった。
高校を卒業して、就職したりなんやりあって、
20歳くらいの時バイト先のイタ飯屋さんで、
桜井サチコ似の超可愛い友達が出来た。
その子は2週間くらいの短期留学の経験があって
その時の話を色々してくれた。
外人とビリヤードでお金かけて勝負して勝った。とか
景色が綺麗だった。とか
私の中に確実に
“海外に行ってみたい”
という気持ちが確実になったのはこのとき。
早速バイトの帰りに本屋さんによって
留学情報誌を入手。
適当に色々書いて使用請求の葉書を出した。
即効、大量のパンフレットが届く。
そしてエージェントの無料カウンセリングに行って
具体的に見積もりを出してもらった。
行きたい国はアメリカ。
3ヵ月くらい行きたいな。
出してもらった見積もりに目を通して、思ったこと。
高い。。
現実は厳しいことを思い知る。
その時のうちの力では非現実的な金額だった。
一瞬で気持ちは萎える。
「オーストラリアはどうですか?物価も安いし、安全でいいところですよ。」
たしかに、オーストラリアで出してもらった見積もりは
アメリカのそれより安かった。
萎えた気持ちは戻らなかったけど
貯金頑張ろうと思い出すきっかけになった。
その後の数年間、
毎日が楽しかった。
バンド始めたり
サーフィンにハマったり
スノボ行ったり
いい友達が出来たり
素敵な彼氏が出来たり。
うちの中での
“海外に行きたい”気持ちは少しずつ伝説になりかけていた。
それより、そのときの“今”が楽しくて大切だった。
20代半ば、
海外旅行に行きだし、その楽しさを覚える。
グアム、バリ、サイパン、バリ。
特にグアムに行った時の出来事。
友達の買い物をお店の前で待ってた時、
とあるガイジンの男の子に話しかけられる。
片言の英語で会話して通じ合えて、
さらに『英語が上手だね』って言ってもらえて
“英語を勉強したい”気持ちがまた高まる。
いろいろ調べていくうちに
「ワーキングホリデー」という制度を知る。
ビザ申請料金も安いし
学べて、働けて、旅行が出来る。
期限も一年間。
働けるなら資金が少なくてもやっていける!
そして3年前、
ついにエージェントを通してワーホリ行きを決意。
行き先はゴールゴコースト。
前金の15万も入金して、あとは旅立ちの準備と英語の勉強。
テンション上がってたのに、
急にその会社が
「留学事業から撤退することになった」
っていう一方的な理由で、うちのプランは白紙に。。
もちろんお金は全額返ってきたけど
完全に気持ちはまた萎え萎え。。。
せっかく少しずつ続けてた勉強もおざなりに。。
それから、約2年後
急にそれまで勤めてた会社が九州に移動する事になった。
九州に行って仕事しても良かったんだけど、
会社を辞める事を決意。
そしたら、
退職金がもらえる事になり、それが結構な多額!
そして自己都合で辞めた訳じゃないので、失業保険もすぐもらえた。
日本は不況真っ只中。
うちの頭には
ワーホリでオーストラリアに行く
それしか頭に浮かばなかった。
エージェントも無料で手配してるれる人を見つけることが出来た。
もしあの時そのまま行ってたら、
無駄な“現地サービス”や“手配料”が何十万も払うところだった。
すべてのタイミングはバッチリ。
そうか、今だったんだ。と思った。
気分は“魔女の宅急便”
ガッツリ半年間、失業保険をもらいながら準備をして
2009年9月11日。
私は希望と不安で胸をいっぱいにして
ホーキではなくジェットスターに乗り、
一人、オーストラリアに旅立ったのでした。
長年の夢をかなえる為に。
