オーロラが大好きでオーロラと自然を愛する、あやかです
なぜ、私がオーロラに導かれるように北の地に行ったのか?ガイドになったのか?
原点に立ち返る……
ガイドになるまでを自己紹介を交えながら書いていきたいと思います
長くなりますが、お付き合いくださいませ....
1987年 鹿児島産まれの鹿児島育ち
姉と私の二人姉妹。
幼い頃から夢を持ち叶えていった姉と、
反対に特に好奇心や関心がなく
南国しか知らない、反抗心もない平和の中で生きるが当たり前の女子。
なに考えて生きていたっけ…..?
もちろん家族旅行をしたとか、楽しかった、悲しかった感情は覚えていますが、本当にびっくりするくらい小さい頃の記憶がありません。
それほど、何かに苦労することなく、毎日が平和で家族が安心できる環境をくれていたということ。
実は自分の人生や進路というものを真剣に考えたこともありませんでした
自分で考える、自分の中から答えを出す
ということをしたことほとんどしたことが無かった。
今の言葉で言うと【他人軸】自分の心に聞いてみることをしてこなかった。
高校受験や進路を決める時だって、親がくれた最高の選択肢の中からベストのものを選んだ。
選んだ進路が悪かったなんて思ってないし、とっても学びのある時間を過ごせた。
あの時があるから今の私がいる
そんな何不自由なく選ぶ環境を与えてくれた両親や祖父母には本当に感謝している。
短大は「現代ビジネス科」という名のパソコン、裁縫、調理などを学ぶ花嫁修行をする学科。
ここでの経験が全て今につながっている。
短大を卒業後には地元、鹿児島空港でのグランドスタッフを5年間したのです
学んだことや経験はたくさんあった。
でも、自分の人生を生きている感覚ではない。これが、25歳までの私。
目を醒ます。という感覚がわかる今だからこそ私のような道や同じ景色や悩んでいる人の気持ちがものすごくわかる。
やってきたことが全て点だったものが繋がって、
幼い頃に種をたくさん蒔いてくれていたことが一気に目を出した感じ
全て無駄なことはなくて、その機会を自分で掴みにく勇気や行動が私には必要だったんだと振り返って思う
人にはタイミングがあり、
人には人の価値感がある。
待てるのは愛。
「花は無理矢理ひらくと枯れる」
紅葉だってお花だってベストのタイミングを知っていて色を変えたり、開いたりしていく。
焦らずに、待っていてくれた両親に改めて深い感謝が生まれた時間でした。
最後までお付き合いありがとうございます