こんにちは。
江ノ島からかおりです。
随分、空いてしまったけれど、仕上げ残してしまった2018年の記事
「奉仕について」
エリザベスさんの語ってくれたお話しの続きです。
奉仕とは
報酬を求めず、また他の見返りを要求するでもなく、
無私の労働を行うこと。
その土台に
神奉仕という形のものとして
困難な隣人に手を差し伸べ、
できる限りの援助を与えるというケースもあるそうです。
※Wikipediaより
前回の記事でも書いたように
昨年は「これがわたしの使命でもある」と感じたことに
力を注ぐ機会が続きました。
それを当然のこととしてやっていたうちはマインドも騒がなかったのですが、
そのうちに「あれ、自分自身については何にも変わってないぞ」という考えが沸いてきたのです。
これがトリックでした。
使命≠自分の現実
このときの「自分の現実」とは、「結果」のこと。
ようは、目に見える形での結果が欲しかったんですね。
それで、エリザベスさんがあるメモを書いてくれました。
それを記憶の限りで書き留めたのが↓です。
奉仕というのは個の学びの中で行われているものだ。
なぜなら、それを通して魂は成長するから。
奉仕を通して魂が成長している過程で、
「個」が再び声をあげることがあったときは
更なる成長のタイミングであって、
ここで人間時間でいうと1年弱くらい人は悩んだりする。
(エリザベス自身もこのことで悩んだ経験があったそう。)
そこを超えた人が、次の段階にいく。
超えた人の魂が行う奉仕は、完全に明け渡しているため、
個が出てくる隙は無い。
超えない人は、そこでもがき続けるか、
奉仕をやめてしまうケースもたくさんある。
どちらも間違いではない。
どちらを選ぶか、だ。
「どちらを選ぶのか」
それには瞬時に答えを出すことができます。
ところで。
結果を求めてしまうことが悪いことだとは思わないけど、
そうすることでじぶん自身を苦しめてしまうことがあります。
結果は目に見えるものが全てではありません。
目に見えないところで、
目に見えない次元で、
別のパラレルワールドで、
あなたの想いは花を咲かせているかもしれません
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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