A君は今まで、家族の誰かに送り迎えをしてもらっていたのですが
事情により、自分ひとりでここまで来なければならないことになったんです。
そこでの最大の壁は
「電車」と「バス」
前にもそういう生徒がいました。
その生徒が言っていたのは、「人の目が怖い」ということでした。
─「学校行ってないんや」っていう目で見られるとダメなことしてる気持ちになる
─どんな風に思われてるかわからんから怖い
電車やバスという、人の目のあるところでは、こんな不安が襲い掛かってくるんだと知りました。
なので、A君もこんな不安を抱えているのかもしれない、と話をしてみることに。
すると
私:電車とバスのどんなとこが不安?
A:うーん…。「自分がお腹痛くならんかどうか」っていうのがすごい不安。あとは…降りてしまって行けへんかったら怒られるかもしれへんし…降りてしまう自分も嫌やし…
私:なるほどな。他人の目っていうよりは、自分自身ができるかの不安のほうが強いんや
A:うん、他人の目はもうそんなに気にならへん。あ、あと、電車とかバスって「学校」と同じ感じがして気分が悪くなる
私:「学校」?
A:うん。なんか閉じられた空間っていうか…出たらあかんっていうか…
A君にとっては、自分がちゃんとできるかということへの不安に加えて、電車やバスの「学校」っぽい空間への不安があったのです。
確かに、よく考えてみたら電車やバスも学校も、社会という枠組みの中での「規則」や「ルール」や「権力」というものだと言えます。
同じ時間にくる、同じ時間にとまる、その時まで扉が開かない、決まった行先にしかいかない、きちんと整列した椅子、静かにしないといけない空気、自分ではない誰かに連れていかれる、文字通り同じレールの上に乗せられる感覚…
A君はそういったものに「学校」を感じているのかもしれません。
私は自分にはないこの感覚を持っていることに驚きましたし、いいなとも思いました。
そして、本当にいろんな感じ方があるんだなと思いました。
A君は今、そんな不安を抱えながらも、自分ひとりでここに来るという挑戦を続けています。
来るまでに疲れが出て、勉強しているときもしんどそうですが、なんとか来ることができています。
不登校の生徒にとっては、いたるころに「学校」があるのかもしれません。
その感性を私も身につけて、いろいろなことを考え、関わっていけたらなぁと思いました。
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