コロナ騒動になり、1ヶ月前~先週までの流れ。
私の周りは2派に別れた。
レッスンをする派、レッスンを中止する派。私はどちらも派だ。どっちでもよい。
世論的には断然後者だろう。そうでない意見などこわくて言えない。
後者の人にも状況があるので、それはもっともなことだと思う。高齢者がいたりさ。
「常識」と「正論」を強く訴え、自粛の徹底をしない人を「殺人犯罪者」くらいのいきおいで非難する。
「自分のことだけじゃない。大切な人を守るため」※大きな声で言えないけど、普段みんなそこまで大切な人を守るために躍起になっているのだろうか。毎年の自殺者に対して、そこまでの想いで関わっているんだろうか・・・。そしてこれから失業などで増えるかもしれない自殺者になるうる人を守っていこうとする意気込みはあるんだろうか。。。。コロナによる死も自殺による死も、死に変わりはないが、「感染」の有無を言われる。
前者の人は、経済を持ち出したり(上記の私の書いてる自殺者増加懸念とか)いろいろなデータを持ち出して自分の考えの根拠を述べる。
どちらの言うことも、もっともだと思う。正しさという部分は私は何も分からないので判断できない。ただそれを言っている人たちが間違っているとは思わない。
それぞれの立場になると、自分がとる方針の考えに固執しだす気がする。
私は「自分が間違っていた」、とは思いたくない。
自粛している人は、自粛が徹底しているほど、自粛を徹底しない人に対して怒りが強くなる。
知人がちょっと外食をしようものなら犯罪者扱いするがごとくだ。
自分がこんなに我慢しているのに、好き勝手やっている様に見えて、それが許せないようだった。
自分がこんなに我慢しているのだから、自粛が絶対正しいことであってほしいと思うこともある。
これだけお金を貢いだのだからどうしても自分のものにしたい。そうじゃなきゃ自分の苦労は無意味になってしまう、という感じに。
情報の正しさを冷静に判断しよう、と言われているけれど、
事実はもちろん大切だけど、何かを信じるときに不安で煽られているだけでなく意固地さというのもあるんじゃないか。
「自分が信じたいことを信じる」
意固地になるほど「絶対自分が正しい」と思い込みたがる。そういう自分が出来ていくプロセスを何度となく感じたことが私はある。
翻って自分がどちらの考えにも執着しなければ、ムキになることもない。
自分が自粛しながらも、そこまでの自粛派ではない人に対して怒りを感じることもない。
自分の心を安定させるなら、外に何かを求めるより、まずは自分の心理状況を把握したほうが心穏やかでいられると思う。
それに、自分の考え(思い込み)を疑うくらいの心の余裕が出てくると、少し落ち着けるじゃないだろうか。
私はもともと人に接触することがめったにないし家にほぼ一人でいる生活なので、そこまで普段と変わらない。
しかし他の人は違う。
無料のSM出会い掲示板を見ると、あきらかに女性の書き込みが増えている。
夫が言うには助成金が30万出たって足りない。
一度店から離れた客を再び呼び戻すことの大変さを国は知らない、と言う。
それはよく分かる。私も、今まで行き着けだった美容院だって一度行かなくなったらそのまま行かなくなってしまうこともある。
ホットヨガだって、習慣的に通っていたものを一週間行かなくなると、「行かなくてもいいかな」って気になる。
コロナウイルス自身というより、コロナによる社会の状況が本当に大変なことになっていると感じる。
「自粛だ」「過剰だ」と言っていられるうちはいい。
ネットカフェに泊まっている人たち、帰れる場所がない人はどこに行けばいいのか。
私はそこがとても気になる。