― 私の一年と、八丈島への祈り ―
私自身の2025年は、
判断を迫られること、
迷う暇なく行動しなければならないことが
エンドレスで降りかかってくる一年だった。
先が見えてきた叔母。
認知が進み、我儘とも思える「希望」を
どう叶えるか、そのフォロー。
八丈島で暮らす父の弱り、そして最期。
母の認知の進行。
姉と妹の全面的なバックアップに
どれだけ助けられたかわからない。
それでも、度重なる帰省は
心身ともに簡単なことではなかった。
さらに、鬱を抱える知人の自立支援。
どこまで関わり、どこで線を引くか。
その判断は、苦しいなんて言葉では足りなかった。
これらすべてが、
同時進行で、重なるように起きていた。
そんな中で、
八丈島を台風が直撃した。
続いてやってきた台風23号。
被害が少なくありますように、と
どれだけの人が祈っただろう。
離島だけれど、
逼迫した状態は数日で抜けていった。
東京都、海上保安庁、自衛隊の迅速な支援と救援。
あの対応の早さには、心から感謝している。
ただ、島の中の現実は一様ではなかった。
6000人ほどの小さな島の中で、
すぐにライフラインが整ったエリアもあれば、
いつまでも水が出ないエリアもあった。
歯磨きのうがいでさえ水を節約し、
飲料水を確保しながら暮らす日々。
その不便さと緊張感は、
想像以上だったと思う。
台風のあと、
父の相続のことは、島に住む姉と妹に委ねた。
けれどその矢先、
退院してきた鬱の知人が
あちこちに連絡を取り始め、
親戚内でも混乱が生まれた。
職場のことも正直いろいろあったけれど、
2025年の私は、
八丈島と家族のことで精一杯だった。
感謝の波動は、
目には見えないけれど、
確かにそこにあったと信じている。
2025年は、
派手ではないけれど、
確実に「何かが変わった年」だった。
自然と、家族と、人との距離。
そして、自分自身との向き合い方。
年末の今日、
恐れよりも「ありがとう」を選びたい。
傷つきながらも踏みとどまった島へ。
支えてくれた家族へ。
そして、逃げずに向き合い続けた自分へ。
八丈島の復興が、
少しずつでも前に進みますように。
心から、祈っています。




