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久しぶりのブログです。この間、19世紀を調べていた(徘徊していた)とでも言ったらよいかも知れません。自分勝手に文を書くことにあきたわけで、つまり自分ごときの考えに意味が見いだせなくなっていました。 今考えているのは「主義」という言葉です。具体的に書くと「資本主義」という用語があります。(妙な考えだと自分でも思いますが) 「資本」という言葉に「主義」をつけて「資本主義」とした場合・・内容にどんな変化がおこるのかという疑問です。 一般に「主義」とは、一定のまとまった考え方・主張・傾向を言うのでしょう。例えば理想主義・ロマン主義・芸術至上主義・・などが思い浮かびます。ヘーゲル的に言えば「理念」に近い言葉でしょう・・つまり、ある「考え方」が現実化していく<外化>ということでしょう。つまり「精神」に分類できることなのですが・・・では「資本主義」とは、精神か事物なのかと問うと・・在り様としては「社会的事象」なのでしょう。 言葉の問題として考えてきましたが、問題は「資本」とは何かという経済学の問題だったようです。・・たぶん「主義」と言っても、それは擬人的表現で・・「資本の運動法則」というような「外的」な事象なのでしょう。競争社会を土台にすると、資本が暴走する・・そうした傾向を資本主義と言ったのでしょうが・・・・ 私が問題にしているのは 「現象・・本質・・実体」というヘーゲル用語で見たら、こうした経済的な用語はどこに位置づくかと言うことです。それが「関係論」的用語であるのはわかるのですが・・それが「実体」としてつかんでいいかということです。端的に言えば、政治=ポリティックスとは「現象」なのか?ということです。別の言い方をすれば・・資本「主義」でない、市場経済は可能かということですし・・・どうも「問題意識」が漠然としていて、ここで書くのをやめたら「問題」そのものを自分自身がわからなくなってしまいそうですが・・でもこれ以上は今は進めないようです。