自分の中で棒高の引退は、実は去年終わっていて・・・
もう試合することはないと思っていた
去年は、一昨年の国体のリベンジをしたくて練習に励んでいた。
けれど、仕事が忙しく練習の時間が思うようにとれずに
苦しいシーズンだった・・・
思い返せば、社会人になってから、大学時代の記録を跳べず
毎年、「今年こそ辞める」なんて思いながら、
それでもなぜか辞められずにズルズルと競技人生を送っていて
心のどこかで自分の可能性を信じて「まだ跳べる」って思っていた
去年、最後の試合で全然走れなくて、跳べなくて、情けなくて、
もういいや・・・
そんな気持ちで終わってしまっていた
それを間近で見ていた旦那も陸上選手
「俺は仕事が忙しかったりでいつ引退したかもわからない状態で陸上を辞めていた・・だからえりには、きちんと引退試合をしてほしい」
そう言ってきたのはいつだろう・・・今年の6月くらいかな
気持ちはわかる・・・けど、しばらく動いてないよ~~~
でもやれるだけやってみよう
そんな感じで、7月は士別に合宿に行ってみたり、
毎日少しずつ走って、ウエイトして、ヨガして を繰り返していました。
引退試合は、自分でいうのもですが、、、
あんまり衰えていなかったし、動けました
ラストの跳躍、すごいミスしました
なんと、手に粘着スプレーつけ過ぎて、ポールから手が離れません
13年目のシーズンでしたが、初ですね
おかげさまで、跳べていたバー・・・落としました笑
旦那のお父さんは
「ポールがまだ引退しないでほしいって言ってるんじゃないか」
って言ってくれました。
すごく名残惜しい気持ちでいっぱいになって、
楽しかったし、まだ動けるし、やってもいいんじゃないか
一瞬そう思ったけど、
今度は選手を連れて戻ってこようって思います
今回写真に写っているメンバーには、教え子も写っていて、
高校を卒業してから、大学院まで棒高跳びを続けてくれている
棒高の技術よりも、気持ちの面だとか、取り組み方とかかなり厳しく指導していた。
私も若かったし・・・彼女は何回か泣いていた・・・
それでも、楽しいと続けてくれていて、
違う県にその子を送り込んだ時は、その指導者から
「とても練習熱心な子を送り込んでくれてありがとう。他の子が刺激を受けています」と逆にお礼を言われたことがあった。
また、彼女のような棒高跳びの選手を育てていけるといいなぁ
今回は、旦那のサポートなくしてはできなかった試合
最後には花束まで用意してくれて、
嬉し涙を久々に流しました
家族が増えるっていいですね