augustfirstさんが体調がすぐれないそうで、私が先日見た作品について書きました。
「で、一言で云えばどういうストーリーなの?」「泣ける?笑える?コワイ?どれ?」
これらはすべて現役(もしくは退役)業界人のプロデューサーの言葉だ。そんなもん一言で云えればストーリーや構成なんて考えないし、浅田次郎氏やお笑い芸人諸兄や楳図かずお氏に頼めばいいじゃんと悪びれることもできるが、食っていかなきゃならないからストレス溜まりまくりの仕事漬けの日々を続けていたのは若いころのこと。これらの質問をぶった切る痛快さはタランティーノならでは。映画オタクどうのこうのと言っているのではない。見た人が与作品について語ると丸裸にならざるを得ない「母なる証明」などは多くのプロの批評家やライターがスルーしたのは最近では目立った出来事だったが、本作も、見た映画批評家やライターの方々が、どの程度映画に真剣に向き合っているかを曝け出さされることになる一種の「罠」だとわたしゃ考える。
後ろの席で40歳代のおっさんがゲラゲラ笑っていた。80年代、内臓飛び散るスプラッタに狂喜していたバブル脳でも刺激されたか。
では私はと言うと、「ショーシャンクの空に」が顕著だが、いくらよく出来ていても、ユダヤ系の人を悪人に仕立ててはノミネート止まりだよと冗談で思ったものだが、本作はよくもまあ、狭義の「そのスジのツラ構え」をキャスティングしたものだ。大体あんな面下げてナチのプレミア上映会に乗り込む連中の気が知れないと普通に思うが、そこは流すところか?でも自爆テロまで出すならパレスチナ人顔を混ぜときゃ…なんて皮肉が効き過ぎか、「チームアメリカワールドポリス」じゃあるまいし。
そして何を今更ナチを悪者に?と思うのはごもっとも、ならばこれでも食らえってなもんで、ブラピ扮するヤンキー中隊長殿が新大陸先住民の野蛮な行為(頭の皮はぎ)を手下のユダヤ顔やならず者にやらせるわ、バットで撲殺するわ、ナチの旗色悪いとわかったらケツまくる本編一の悪漢(いつの時代にもいる)にはナチがユダヤ人にやった犯罪よろしく額にカギ十字彫るわと、まあ、某批評家がのたまった、「無視できない確信犯的歴史観の鈍さ」ではなく歴史観そのものを、どういったイメージで輪切りにするかをとらえないと、もしくは考えないと、augustfirstさんが言っている「エンタテインメントとして面白く、かつ時代と切り結んでいる作品」としての評価をとらえ損なう。
つまり野蛮や残虐の営為や歴史はどんな民族も持っているはずだし、不幸な時代には愛憎や悲劇の営みも当たり前にあったはず。それらをモザイク状に再構成する際のものさし、基準が、現在でないと(タランティーでないと)できない作品だという、当たり前の結論を導き出すと同時に、ここから先はものさし、基準をハズすぜってところ-本作ならば劇場での殺戮-はちゃんとわきまえていることに「わかりやすさ」がある。
この明快さすら理解できないなら80年代スプラッタ見て笑ってろゾンビ共。
「で、一言で云えばどういうストーリーなの?」「泣ける?笑える?コワイ?どれ?」
これらはすべて現役(もしくは退役)業界人のプロデューサーの言葉だ。そんなもん一言で云えればストーリーや構成なんて考えないし、浅田次郎氏やお笑い芸人諸兄や楳図かずお氏に頼めばいいじゃんと悪びれることもできるが、食っていかなきゃならないからストレス溜まりまくりの仕事漬けの日々を続けていたのは若いころのこと。これらの質問をぶった切る痛快さはタランティーノならでは。映画オタクどうのこうのと言っているのではない。見た人が与作品について語ると丸裸にならざるを得ない「母なる証明」などは多くのプロの批評家やライターがスルーしたのは最近では目立った出来事だったが、本作も、見た映画批評家やライターの方々が、どの程度映画に真剣に向き合っているかを曝け出さされることになる一種の「罠」だとわたしゃ考える。
後ろの席で40歳代のおっさんがゲラゲラ笑っていた。80年代、内臓飛び散るスプラッタに狂喜していたバブル脳でも刺激されたか。
では私はと言うと、「ショーシャンクの空に」が顕著だが、いくらよく出来ていても、ユダヤ系の人を悪人に仕立ててはノミネート止まりだよと冗談で思ったものだが、本作はよくもまあ、狭義の「そのスジのツラ構え」をキャスティングしたものだ。大体あんな面下げてナチのプレミア上映会に乗り込む連中の気が知れないと普通に思うが、そこは流すところか?でも自爆テロまで出すならパレスチナ人顔を混ぜときゃ…なんて皮肉が効き過ぎか、「チームアメリカワールドポリス」じゃあるまいし。
そして何を今更ナチを悪者に?と思うのはごもっとも、ならばこれでも食らえってなもんで、ブラピ扮するヤンキー中隊長殿が新大陸先住民の野蛮な行為(頭の皮はぎ)を手下のユダヤ顔やならず者にやらせるわ、バットで撲殺するわ、ナチの旗色悪いとわかったらケツまくる本編一の悪漢(いつの時代にもいる)にはナチがユダヤ人にやった犯罪よろしく額にカギ十字彫るわと、まあ、某批評家がのたまった、「無視できない確信犯的歴史観の鈍さ」ではなく歴史観そのものを、どういったイメージで輪切りにするかをとらえないと、もしくは考えないと、augustfirstさんが言っている「エンタテインメントとして面白く、かつ時代と切り結んでいる作品」としての評価をとらえ損なう。
つまり野蛮や残虐の営為や歴史はどんな民族も持っているはずだし、不幸な時代には愛憎や悲劇の営みも当たり前にあったはず。それらをモザイク状に再構成する際のものさし、基準が、現在でないと(タランティーでないと)できない作品だという、当たり前の結論を導き出すと同時に、ここから先はものさし、基準をハズすぜってところ-本作ならば劇場での殺戮-はちゃんとわきまえていることに「わかりやすさ」がある。
この明快さすら理解できないなら80年代スプラッタ見て笑ってろゾンビ共。