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🌟『不滅なるものへの挑戦』に学ぶ:その18

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p72

2 なぜ学問の対象から霊性を外す流れが起きたのか

精神的なものと肉体的なものを分けて考えたデカルト、カントの流れ

 

 

 

霊的な体験をしたという人、

あるいは、霊的世界の実在を語ろうとする人

信仰ある人に対して

「おかしい人」「知力が弱い人」「だまされている人」

というようなレッテルを貼ろうとするのが

現代にはびこっている、唯物論的な考え方ですが、

 

だからこそ、今世、主は、東大法学部卒業~世界的な商社マンとしてのキャリアを創られて

その上でなお、霊的世界の実在を伝道するべく、幸福の科学を創られています。

 

つまり、現代的に、一流とされるほどの知力、判断力、仕事能力がある人が

霊的世界を訴えている。ということで、

上に書いたような、唯物論の偏見を打ち砕こうとされているわけですね。

 

「この世的な意味では、あらゆる面で、頭が”いってない”ことを証明する前半生をだいぶさせられました。」

というふうに述べられています(74ページ)

 

 

これは、私たち弟子にとっても、大切なポイントで、

幸福の科学の信用力、幸福の科学の伝道力を高めるためには

私たち一人ひとりが、

「頭が”いってない”人である」どころか

「偉大なる常識人」であることを、

周囲の方々に、示していかねばならないのです。

 

しかし、だからといって、

現代社会にはびこる、唯物的な”常識”

カッコつきの”常識”に飲み込まれてもいけませんから、

この中道を、いつも意識しておくことは肝要なところかと思います。

 

 

「宗教者は、知力が弱い」とか

「信仰者なんて、頭がお花畑の人たちだ」とは

ぜったいに言わせない!という決意の下に、

仏法真理の学びを日々磨かねばなりませんし、

同時に、世間解も大切となってまいります。

 

世間解は磨きますが、

世間に迎合してしまうわけでもなく

愛と勇気でもって、

この世の迷妄を、切り拓かねばならない。

感情的にならず、

理性的、論理的に、

言葉でもって相手の迷妄を打ち砕いて

導いていく。

これが大切なことであると思います。

 

 

 

この御説法では、この後、スウェーデンボルグや、カント、そしてルソー、デカルトという人物の例を挙げられています。

現代の教育者であれば、大学の教職課程で学ぶであろう

教育哲学の学問的な流れの根底にある考え方を

ほんとうにわかりやすくお教えくださっています。

「頭がいっていない」証明でもありましょう。

 

 

そのなかで仰っていることは、

霊的な世界があることを知ってはいたが、学問の対象にはしない。

いわゆる「霊肉二元論」の方向に、

学問、そして教育が、向かっていったことに対するご指摘です。

 

先にされている、体験談の具体的な話とは異なり

やや、思想的、歴史的な話になっています。

 

抽象的な話には違いありませんから、やや難解な話ではありますが、

これも、

先に具体的、体験的な話をされているが故に、

ビシっと、決まっていく!

 

そのような御説法の流れになっていると思います。

 

つづく

 

🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟

Focus on Load El Cantare

時代は今、主エル・カンターレ

🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟

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🌟『不滅なるものへの挑戦』に学ぶ:その17

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p71

私の本は創作で書ける内容ではない

 

一般の方が50名おられるという中での御説法ということで

主が実際に体験された、小学校5年と高校1年の教諭の話をされた上で

ようやく、この、主、ご自身の体験の話をされています。

 

ここは、前回も書かせていただいたように、

いきなり、ご自身の話をされるのではなく

おそらくは聴衆にも親しみがわくだろうと思われる、

実体験としての、一般の教育者の話を

先にされておられるところに

御説法の妙があると思います。

 

霊示をうけられるようになって、29年(当時)

立宗して24年(当時)、

著作は600冊超(当時)

 

というふうに、ソフトではありますが、

しっかりと、明確に

その積み重ねて来られた実績を示されています。

 

「創作で書ける内容ではない」

ということをおっしゃっているわけですね。

 

このあたりは

私たちの伝道においても

しっかりと主張し、伝えられるようになりたいものだと思います。

 

 

「弟子は、その”答え”のところだけを、ただオウム返しで言う場合があって、これに納得しない方がけっこういる」経典『自分を鍛える道』228ページ

 

・・・この御言葉を、思い出します。。。

 

 

「(*'ω'*)霊界はあるといったらある。(*'ω'*)あるに決まっている。(*'ω'*)とにかく、あるのよ!」

これしか言えない。みたいな感じでしょうか💦💦💦

 

 

そして続いて、

真実か否かは、100% or 0%であって、五分五分の真理というものはない、

つまり、霊界は「半分あるけど半分ない」みたいなことは

ありえない。

ということをおっしゃっています。

 

極めて明確、理性的で論理的です。

 

(*'ω'*)この言い回しも

伝道で使えるところだなぁと思います。

 

やわらかい表現をされてはおられますが、

 

要は、「ある」か「ない」か

ということを、おっしゃっておられまして

 

「あなたはどちらをとるのか」

と、実は、聴衆に、詰め寄っておられる箇所だとも言えますね。

 

このように、

おしたり、ひいたりしながら、聴衆の心を開き、

真理をなげかけていかれる

伝道のお手本、御説法の模範そのものだと

思う次第です。味わい深いですね♪

 

つづく

 

🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟

Focus on Load El Cantare

時代は今、主エル・カンターレ

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🌟『不滅なるものへの挑戦』に学ぶ:その16

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p69

高校の古典の先生から聞いた、不幸が続く家で起きた怪しげな話

 

小学校5年生の話に続いて、次は高校2年生の時の教諭のお話しをされています。

 

この先生については、『小説 若竹の時代』の135ページにも登場しています。この小説では、「古井先生」というお名前になっていますね。すこし抜粋しておきましょう。

 

「一高には古井先生という古文の先生もいた。彼は生長の家の信者だった。鉄の鍋に水を満たして、病人のいる部屋の四隅を回ると、ある場所だけで、ぐつぐつと煮立ってきたという神秘体験を、古典の授業の中で語っていた。古文には、霊的な話が多いので、やりやすかったのだろう。霊現象の存在を伝えたかったのだろう。だが、古井先生に、竜二が何度か解釈の問題を訊きに行ったが、一度も答えられなかった。」

 

このエピソードを、直前の唯物論の女性教諭の話の次に展開されています。

 

それによって、主は、

 

・教育者でも信条によって様々であることや、

 

・それぞれの教諭の心の中にあった思いの違いをくみ取っておられること

(女性教諭は「親切心であったろう」古文の先生は「霊現象の存在を伝えたかったのだろう。」

 

・昔は霊現象が身近にあったこと、などを織り込まれつつ、

 

この御説法時に会場におられた50名ほどの一般の方に対して、

いきなり霊的世界の真実を、押し付けるわけではなく、

客観的、理性的、フェアな立場でお伝えされようとなさっていることが分ります。

 

この御説法は、教育系の経典の御講義でもあり、教育のあり方がテーマでありますから、

おそらく聴衆にも教育関係の一般の方が多くおられたのではないでしょうか。

 

実際に主の学生時代に出会われた教育者の話をされることで、

その方々の、「心を開かれている」のだと思います。

 

その上で、主は、ご自分の霊的な体験をなされています。

つまりは、いきなり、ご自分の霊体験をもってこられず、

聴衆の共感を得られるように、

教育現場の実例を先に挙げられていることが

一つのポイントではないかと思う次第です。

 

つづく

🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟

Focus on Load El Cantare

時代は今、主エル・カンターレ

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🌟『不滅なるものへの挑戦』に学ぶ:その15

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p65

小学生のとき、学校の先生から霊に関する話を「非科学的」と問い詰められた

 

ここでもおっしゃっているように、『若き日のエル・カンターレ』にも書いてあるエピソードです。86ページですね、

こちらには小学校5年生の時であることが記載されています。

 

この『若き日のエル・カンターレ』には、御幼少のエピソードや、善川顧問の話もでておりますし、並行して学んでおくと、

奥行きがでてくると思います。ぜひご再読ください。

 

 

ここで、わたくしがポイントだなぁと思うのは、

66ページの後ろから5行目です。

 

「霊的なことをいうのはおかしい。」といって注意をしてきた

日教組の活動家であった女性の教諭のお話しですが、

その、教諭の気持ちを推し量っておられる言葉があります。

 

「向こうは、おそらく親切心はあったかなとは思うのです。」と。

 

しかし、実体験をしているから。というお話しの運びになっています。

 

 

霊的なものを否定する。これは間違っておりますけれども

しかし、頭から否定するのではなく

相手の親切心もちゃんとくみ取っておられる。

 

くみ取ってはおられますが、

「実体験である」ということで反駁されておられ

相手の言い分には承諾しなかった。

 

 

相手が先生で自分がまだ小学校5年生ですから

立場の違いを考えると、のみこまれそうになるのではないかと思いますが、

きちんと反駁はされておられますね。

 

 

つまりは、

頭から女性教諭の主張を否定して、やりとりするわけではなく、

しかし、相手の間違った主張に飲み込まれてしまうのではなく

 

あくまで「自分の体験からすると」という主張をなさっている。

同時に、相手の親切心も、きちんと受け止めている。

 

 

非常に理性的ですし、フェアで、論理的ですね。

 

このあたりが、

50名の一般の方を前に

伝道説法をなさっているが故の

微妙なニュアンスかもしれませんし

 

私たち弟子にも示してくださっている

奥行きの深さ、でありましょうし、

 

どうしても信仰に関しては激しくなってしまったり、

反対に

相手の間違った主張に対して

だまって何も言えなくなったり。

 

ということの多いわたくしたちが

学ぶべきところは

とても大きいのではないかと感じます。

 

 

つづく

🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟

Focus on Load El Cantare

時代は今、主エル・カンターレ

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🌟『不滅なるものへの挑戦』に学ぶ:その14

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第2章 真理を求めるための教育の理想とは

ー『霊性と教育』講義―

 

第2章に入ります。これは熊谷支部へ2010年8月8日に御巡錫された際の御説法です。

当時の新刊でありました『霊性と教育』という経典の御講義で賜りました。

この経典は、ルソー、カント、そしてシュタイナーという、現代教育学に大きな影響を与えた方々の霊言が収録されています。

3名とも単なる教育学者ではなく、哲学者といってもよい方々であり、

3名のお名前が並んでいるだけで「難しい」というイメージ、拒否感を感じる方も多いのかと思います。

 

「その経典の御講義を、支部御巡錫という場でいかにお話しされているか」と、そこにも注目したいところです。

 

まず初めに、「暑い」という誰にでもわかりやすい話です(笑)

しかも「ご当地」が「日本一暑い町」というトピックをあげられつつ、

インド御巡錫のお話しも織り込まれています。

一般の方に「え?インドでも説法されたことがあるの?」と

悟らしめるお言葉でもあるかと思います。

 

 

さらに、霧吹きの話、と、誰にでもわかる話を続けられて

しばらくの間は、聴衆の心を開いておられるのだなぁ。と、感じるところです。

59ページの最後に書いてありますが、

「一般の方が50名おられた」というのも多分に関係していると思います。

 

そして、つづいてお話しされるのは、

なんと、先生ご自身の御幼少時のエピソードです。

 

具体的で、ストーリー性に富んでいて、

誰にでもわかるお話をされています。

一般の方々には、ぐっと親しみを感じるところではないでしょうか。

 

小学校5年生の時に、離れでの金縛りや幽霊体験。

そういう話をクラスの御学友とされていたこと。

潜水橋での人魂の話。

人が亡くなったばかりの家に人魂が飛んでいたこと。

川島の焼き場で幽霊がでるのを、地元の四国放送やNHKが放送で取り上げていたこと

このようなエピソードを立て続けに語られます。

 

このあたりのお話しは、過去の御説法でもお話しくださったことがありますし

昔の日本では、どこの地方でも、一度や二度は、同じような話を耳にしたことのあるような内容ですので

一般でも、信者でも、この「霊性や教育」という経典を難しく感じる層であっても

ちゃんと理解できるレベルの話から、御説法が始まっているわけです。

 

そして、それが次の節では、「先生からそれを否定された」という話につながります。

このあたりは、いわゆる「起・承・転・結」の「転」に当たるのではないでしょうか。

 

 

つづく

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🌟『不滅なるものへの挑戦』に学ぶ:その13

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p52

日本は伝道の発祥の地として、世界の活動を支えるものになりたい

 

中国という国は、

宗教に対する偏見をもっている

共産党という、

思想政党の独裁下にある国であります。

 

そこでも覆面会員がいる。

というお話しですが、

これは本当の話で、私も知っている人が一人います。

 

彼女は、おそらくは(消息がいつもはっきりはしていないので)

命がけの使命をもって、広げているわけですが、

 

やはり、ここで説かれているように、

「かつての仏教大国」であった中国の民衆は

素朴な信仰心は失っていない模様ですし

共産党政権下でも

仏教寺院などをすべて打ち壊しているわけではないようです。

(この点、日本国内の明治時代の廃仏毀釈のほうが酷いようにも思います)

 

それはもちろん、仏教が既に唯物論化してしまっていたり

観光仏教化している可能性があるからかもしれませんが・・・

 

 

53ページの終わりのほうでは

「全世界、二百ケ国以上の人たちに認識してもらえるところまで」

というお言葉がありますが、

 

WEBなどで調べますと、

今の段階ではもう168か国に信者が存在し

幸福の科学出版は100か国以上に支社を持っていることがわかります。

 

この御説法があったのは2010年ですから

この15年間ほどで

かなり海外の伝道は拡がっており、

がんばってこられたのだということがわかります。

 

肝心なのは、この発祥の地である日本国内、

国内、あるいは、地方都市の中だけで

あるいは一つの支部の中だけで活動をしていると

 

なかなか、この「168か国」までに広がっているという

教団の成長している感じ、発展している感じが

いまひとつつかめていない感じになりがちです。

これは日本国民に根強い

ムラ社会意識とも関連していることでしょう。

 

この章の最期のページ56ページでは

悪しき空気支配によって、その日本を動かしている

「日本のマスコミに負けてはいけない。」ということを

主がおっしゃっています。

 

「正しい宗教観を日本全国に押し広げなければ、

この国というのはまともにならない。

人々の心は立ち直らないし、

学校教育もまともにならないし、

世の中がよくならない」

とマスコミ等が思うようにし、

マスコミ倫理もそうなるところまで

やはり押し込まなければいけないというふうに思っているのです。」

 

この問題意識は、とても大切かと思います。

 

信仰がなぜ大切か、

いま日本が抱えている諸問題は

信仰を軽視していることに根源的な問題があるということ。

 

これを、私たちが、

しっかりと、「頑固に」訴え、伝道していかねばならないのだと思います。

 

ちょうど、昨日届いた、新しい「幸福実現ニュース」には

そういうテーマが取り上げられていました。

ぜひ、広げてまいりたいと存じます。

 

つづく

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🌟『不滅なるものへの挑戦』に学ぶ:その12

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p49

5 仏法真理の力によって、世界の未来を変えていきたい

目に見えない世界から受けた霊言等を信じて、伝えようという心があった

 

元々、信者ゼロから、主お独りで始められた幸福の科学。

いまは、五大陸に信者がいます。

 

その出発点は、すべては何であったかというと、

「目に見えない世界から受けた霊言等を、

これをやはり信じて、伝えようと思う心があったこと」p50

 

信仰と伝道ということですね。

 

このあと、「(話は)脱線しますけれども」とおっしゃって、

主が、ホテルで、お茶の先生と間違われたという話をされていますが、

実はこれは、当時の、この地(青森)において

伝道がいかにすすんでいないかをご指摘されるためのエピソードだと思います。

主は、ほんとうは、ここで

「それほど伝道が進んでいないよ」

と、伝えようとされているのではないでしょうか?

 

主のお顔をしらない、

大川隆法総裁先生を知らない。

あろうことか、お茶の先生と間違うわけですから、

 

これは、とっても、ソフトではありますけれども

伝道が遅れていることを

しかって下さっているのだと私は感じます。

 

現に52ページ2行目にはそういうお言葉がございます。

 

 

ここ(p51の7行目)の箇所には

(会場笑)と書いてありますが、

ほんとうは、笑うところではなく

盛大に冷や汗をかくところです💦

 

でも、聴衆は、平気で笑っていますね・・・

 

実は、こういう、

主が、本当は何をおっしゃりたいのかを読みとれずに

(会場笑)となってしまうケースは

過去たくさんありました。

 

また、出くわしたらご紹介しようかと思います。

 

つづく

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🌟『不滅なるものへの挑戦』に学ぶ:その11

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p46ページ

「それでもあなたは、信仰心を持ち続けられますか?」

「それでもあなたがたは、他の人のために生きられますか?」

 

これは、美しい言葉だと感じます。

 

生きている途上

伝道していく途上で出会う

さまざまな悪条件。

 

これは、私の信仰心を試し、

人生を磨いてくださる砥石なのだ。

 

この考え方さえ、忘れることなく、

しっかりと心のうちに持っておけば

多少のことは乗り越えていけるのではないでしょうか。

 

そして、

過去幾転生において、

私たちは

時には身命を賭して信仰を選び、

把持し続けてきた魂なのだと思います。

 

 

しかし同時に

何度乗り越えてきたとしても

今世は今世で、やはり様々なる試しは

実際に、自分自身の眼前に展開されてくると

なかなか、きついものです。

 

 

だからこそ、

これは試しなのだと、

テストなのだと、

あらためて、

主は、お教えくださっていて、

そこには無限の励ましが込められている。と、

そう思うわけでございます。

 

 

つづく

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🌟『不滅なるものへの挑戦』に学ぶ:その10

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p45

・利他の思いで生きる

 

利他の思いについては、

幸福の科学の四正道の出発点「愛」のことですから

私たちにとっては、知識的には当たり前になっていることではあります。

しかし、よく言われることですが

「知っている。」というのと、「できている」のとは異なります。

 

なんといっても、2021年の10月に賜った御説法で主が放たれたお言葉は

心に突き刺さりました。以下の箇所です。

 

当会の職員とか信者、会員のみなさまでも、まだ、この愛の教えをいっぱい読んでいてもわかっていない可能性は高いのではないかと思います。やはり、世間の普通の人と同じような反応をなさっている方が多いのではないでしょうか。《中略》「もうちょっと、聖なるものを考えられるかどうか」は難しいところかと思います。

経典『原説・「愛の発展段階説」講義』25ページ

 

このようなお言葉です。

「わかっていない」ということですが

この前後にも重要なことをおっしゃっているので、

ぜひ読み返してみてください。

 

 

この、職員含めて弟子たちが「わかっていない」ことについて、

もう一つ強烈に印象に残っているのは

 

経典『小説「揺らぎ」について』87ページにある

「みなさんは、まだ『祈りの力』について本当に解明が出来ていません。」

というお言葉です。

こちらは2022年10月の御収録です。

 

 

「与える愛について」と

「祈りについて」

 

その両方ともが、「わかっていない」とおっしゃっているわけで、

これは、弟子としては不覚💦

なんとかしなくては💦と汗がにじむお言葉です。

 

 

そして、この二つを、つなげて考えることも大切かと思います。

愛と祈りを架橋するお言葉は『太陽の法』や『愛から祈りへ』にて賜っています。

 

そして最後に、愛は祈りです。

 

愛なくして祈りなく、

祈りなくして愛はありません。

 

愛は祈りによりて、

より積極的な力となります。

 

愛は祈りによりて、すべてのものごとを成就するのです。

 

祈りは、愛を高める力であり、

祈りは愛を深める秘法です。

 

すなわち、神への祈りによりて、愛は成就し、

神への祈りによりて、愛は実現するのです。

 

神は愛なり、

愛は神なり。

愛をして神ならしむる力は、祈りなり。

 

祈りによりて、人々は生き、

祈りによりて神を知る。

 

かくして、

祈りによりて、人は愛の力を最大に発揮することができるのです。

 

経典『太陽の法』140ページ

 

 

この、祈りと一体となった「愛」について

さきほどの経典『原説・「愛の発展段階説」講義』では

私がもとめていた「聖なる愛」

というふうに記されているのだと思います。

 

さらに、この「聖」について、

詩集『愛のあとさき』の130ページ

「天使との対話」でも表現されていると思います。

上記御法話でもこの「愛のあとさき」について言及されています。

 

すこし脱線いたしましたが、

前回につづいて

動物と人間を分かつのは、信仰であり利他の思いである

という点を、主が説かれた箇所でした。

 

つづく

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🌟『不滅なるものへの挑戦』に学ぶ:その9

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p44

正しい信仰心を持って、他の人々を愛する人生を生きる

・信仰心をキチッと持つ

 

 

信仰心を持っていないのは動物。

 

具体的なものでなければ感じることができないのが動物。

 

 

「目に見えないもの、聞こえないものでも、尊いものが存在するということを信じられる」ということは、やはり、人間が動物性から抜け出す一つの力なのです。これは大きな違いだと思います。45ページ

 

信仰心の欠如によって、人間が動物化する。という

この、「人間の動物化」について

ここ数年の御法話等では、繰り返し、繰り返し、おっしゃっていますので

ほんとうに増えているのだと思います。

 

数回前のこのメールでも、該当するような、主のお言葉を抜粋したかと思いますが

本日は、経典『「地獄に堕ちないための言葉」余話』からご紹介いたします。

 

今、けっこう(人間と動物の間で魂の)入れ替わりが激しいんですよ。

うん。激しい。その代わり、動物の寿命が短いから、助かってはいるんだけど。

44ページ

 

 

いろんな動物に生まれ変わる。

だけど、一か所だけで畜生道というのが完結しているかと思ったらそうではなくて、

いろんなところにいて、例えばコウモリなら洞窟の中に棲んでいます。

全部集まっているわけではなく、同じ場所にいられるわけではないので、

その人に合った地獄があります。

49~50ページ

 

 

厳密にはいろんな動物が全部ありえるので。

これは昆虫までありえるからね。

昆虫と言うか、ゴキブリとかミミズとかまで。

あるいは、これは書いていないかもしれないけれども、トカゲ。

蛇がいればトカゲもいますので。

蜘蛛までいるからね。

50ページ

 

 

責任が伴っていないものは要するに「野蛮人」ですから、自由を奪われるということなんですね。

126ページ

 

 

つづく