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🌟『不滅なるものへの挑戦』に学ぶ:その15

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p65

小学生のとき、学校の先生から霊に関する話を「非科学的」と問い詰められた

 

ここでもおっしゃっているように、『若き日のエル・カンターレ』にも書いてあるエピソードです。86ページですね、

こちらには小学校5年生の時であることが記載されています。

 

この『若き日のエル・カンターレ』には、御幼少のエピソードや、善川顧問の話もでておりますし、並行して学んでおくと、

奥行きがでてくると思います。ぜひご再読ください。

 

 

ここで、わたくしがポイントだなぁと思うのは、

66ページの後ろから5行目です。

 

「霊的なことをいうのはおかしい。」といって注意をしてきた

日教組の活動家であった女性の教諭のお話しですが、

その、教諭の気持ちを推し量っておられる言葉があります。

 

「向こうは、おそらく親切心はあったかなとは思うのです。」と。

 

しかし、実体験をしているから。というお話しの運びになっています。

 

 

霊的なものを否定する。これは間違っておりますけれども

しかし、頭から否定するのではなく

相手の親切心もちゃんとくみ取っておられる。

 

くみ取ってはおられますが、

「実体験である」ということで反駁されておられ

相手の言い分には承諾しなかった。

 

 

相手が先生で自分がまだ小学校5年生ですから

立場の違いを考えると、のみこまれそうになるのではないかと思いますが、

きちんと反駁はされておられますね。

 

 

つまりは、

頭から女性教諭の主張を否定して、やりとりするわけではなく、

しかし、相手の間違った主張に飲み込まれてしまうのではなく

 

あくまで「自分の体験からすると」という主張をなさっている。

同時に、相手の親切心も、きちんと受け止めている。

 

 

非常に理性的ですし、フェアで、論理的ですね。

 

このあたりが、

50名の一般の方を前に

伝道説法をなさっているが故の

微妙なニュアンスかもしれませんし

 

私たち弟子にも示してくださっている

奥行きの深さ、でありましょうし、

 

どうしても信仰に関しては激しくなってしまったり、

反対に

相手の間違った主張に対して

だまって何も言えなくなったり。

 

ということの多いわたくしたちが

学ぶべきところは

とても大きいのではないかと感じます。

 

 

つづく

🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟

Focus on Load El Cantare

時代は今、主エル・カンターレ

🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟

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🌟『不滅なるものへの挑戦』に学ぶ:その14

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第2章 真理を求めるための教育の理想とは

ー『霊性と教育』講義―

 

第2章に入ります。これは熊谷支部へ2010年8月8日に御巡錫された際の御説法です。

当時の新刊でありました『霊性と教育』という経典の御講義で賜りました。

この経典は、ルソー、カント、そしてシュタイナーという、現代教育学に大きな影響を与えた方々の霊言が収録されています。

3名とも単なる教育学者ではなく、哲学者といってもよい方々であり、

3名のお名前が並んでいるだけで「難しい」というイメージ、拒否感を感じる方も多いのかと思います。

 

「その経典の御講義を、支部御巡錫という場でいかにお話しされているか」と、そこにも注目したいところです。

 

まず初めに、「暑い」という誰にでもわかりやすい話です(笑)

しかも「ご当地」が「日本一暑い町」というトピックをあげられつつ、

インド御巡錫のお話しも織り込まれています。

一般の方に「え?インドでも説法されたことがあるの?」と

悟らしめるお言葉でもあるかと思います。

 

 

さらに、霧吹きの話、と、誰にでもわかる話を続けられて

しばらくの間は、聴衆の心を開いておられるのだなぁ。と、感じるところです。

59ページの最後に書いてありますが、

「一般の方が50名おられた」というのも多分に関係していると思います。

 

そして、つづいてお話しされるのは、

なんと、先生ご自身の御幼少時のエピソードです。

 

具体的で、ストーリー性に富んでいて、

誰にでもわかるお話をされています。

一般の方々には、ぐっと親しみを感じるところではないでしょうか。

 

小学校5年生の時に、離れでの金縛りや幽霊体験。

そういう話をクラスの御学友とされていたこと。

潜水橋での人魂の話。

人が亡くなったばかりの家に人魂が飛んでいたこと。

川島の焼き場で幽霊がでるのを、地元の四国放送やNHKが放送で取り上げていたこと

このようなエピソードを立て続けに語られます。

 

このあたりのお話しは、過去の御説法でもお話しくださったことがありますし

昔の日本では、どこの地方でも、一度や二度は、同じような話を耳にしたことのあるような内容ですので

一般でも、信者でも、この「霊性や教育」という経典を難しく感じる層であっても

ちゃんと理解できるレベルの話から、御説法が始まっているわけです。

 

そして、それが次の節では、「先生からそれを否定された」という話につながります。

このあたりは、いわゆる「起・承・転・結」の「転」に当たるのではないでしょうか。

 

 

つづく

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🌟『不滅なるものへの挑戦』に学ぶ:その13

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p52

日本は伝道の発祥の地として、世界の活動を支えるものになりたい

 

中国という国は、

宗教に対する偏見をもっている

共産党という、

思想政党の独裁下にある国であります。

 

そこでも覆面会員がいる。

というお話しですが、

これは本当の話で、私も知っている人が一人います。

 

彼女は、おそらくは(消息がいつもはっきりはしていないので)

命がけの使命をもって、広げているわけですが、

 

やはり、ここで説かれているように、

「かつての仏教大国」であった中国の民衆は

素朴な信仰心は失っていない模様ですし

共産党政権下でも

仏教寺院などをすべて打ち壊しているわけではないようです。

(この点、日本国内の明治時代の廃仏毀釈のほうが酷いようにも思います)

 

それはもちろん、仏教が既に唯物論化してしまっていたり

観光仏教化している可能性があるからかもしれませんが・・・

 

 

53ページの終わりのほうでは

「全世界、二百ケ国以上の人たちに認識してもらえるところまで」

というお言葉がありますが、

 

WEBなどで調べますと、

今の段階ではもう168か国に信者が存在し

幸福の科学出版は100か国以上に支社を持っていることがわかります。

 

この御説法があったのは2010年ですから

この15年間ほどで

かなり海外の伝道は拡がっており、

がんばってこられたのだということがわかります。

 

肝心なのは、この発祥の地である日本国内、

国内、あるいは、地方都市の中だけで

あるいは一つの支部の中だけで活動をしていると

 

なかなか、この「168か国」までに広がっているという

教団の成長している感じ、発展している感じが

いまひとつつかめていない感じになりがちです。

これは日本国民に根強い

ムラ社会意識とも関連していることでしょう。

 

この章の最期のページ56ページでは

悪しき空気支配によって、その日本を動かしている

「日本のマスコミに負けてはいけない。」ということを

主がおっしゃっています。

 

「正しい宗教観を日本全国に押し広げなければ、

この国というのはまともにならない。

人々の心は立ち直らないし、

学校教育もまともにならないし、

世の中がよくならない」

とマスコミ等が思うようにし、

マスコミ倫理もそうなるところまで

やはり押し込まなければいけないというふうに思っているのです。」

 

この問題意識は、とても大切かと思います。

 

信仰がなぜ大切か、

いま日本が抱えている諸問題は

信仰を軽視していることに根源的な問題があるということ。

 

これを、私たちが、

しっかりと、「頑固に」訴え、伝道していかねばならないのだと思います。

 

ちょうど、昨日届いた、新しい「幸福実現ニュース」には

そういうテーマが取り上げられていました。

ぜひ、広げてまいりたいと存じます。

 

つづく

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🌟『不滅なるものへの挑戦』に学ぶ:その12

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p49

5 仏法真理の力によって、世界の未来を変えていきたい

目に見えない世界から受けた霊言等を信じて、伝えようという心があった

 

元々、信者ゼロから、主お独りで始められた幸福の科学。

いまは、五大陸に信者がいます。

 

その出発点は、すべては何であったかというと、

「目に見えない世界から受けた霊言等を、

これをやはり信じて、伝えようと思う心があったこと」p50

 

信仰と伝道ということですね。

 

このあと、「(話は)脱線しますけれども」とおっしゃって、

主が、ホテルで、お茶の先生と間違われたという話をされていますが、

実はこれは、当時の、この地(青森)において

伝道がいかにすすんでいないかをご指摘されるためのエピソードだと思います。

主は、ほんとうは、ここで

「それほど伝道が進んでいないよ」

と、伝えようとされているのではないでしょうか?

 

主のお顔をしらない、

大川隆法総裁先生を知らない。

あろうことか、お茶の先生と間違うわけですから、

 

これは、とっても、ソフトではありますけれども

伝道が遅れていることを

しかって下さっているのだと私は感じます。

 

現に52ページ2行目にはそういうお言葉がございます。

 

 

ここ(p51の7行目)の箇所には

(会場笑)と書いてありますが、

ほんとうは、笑うところではなく

盛大に冷や汗をかくところです💦

 

でも、聴衆は、平気で笑っていますね・・・

 

実は、こういう、

主が、本当は何をおっしゃりたいのかを読みとれずに

(会場笑)となってしまうケースは

過去たくさんありました。

 

また、出くわしたらご紹介しようかと思います。

 

つづく

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🌟『不滅なるものへの挑戦』に学ぶ:その11

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p46ページ

「それでもあなたは、信仰心を持ち続けられますか?」

「それでもあなたがたは、他の人のために生きられますか?」

 

これは、美しい言葉だと感じます。

 

生きている途上

伝道していく途上で出会う

さまざまな悪条件。

 

これは、私の信仰心を試し、

人生を磨いてくださる砥石なのだ。

 

この考え方さえ、忘れることなく、

しっかりと心のうちに持っておけば

多少のことは乗り越えていけるのではないでしょうか。

 

そして、

過去幾転生において、

私たちは

時には身命を賭して信仰を選び、

把持し続けてきた魂なのだと思います。

 

 

しかし同時に

何度乗り越えてきたとしても

今世は今世で、やはり様々なる試しは

実際に、自分自身の眼前に展開されてくると

なかなか、きついものです。

 

 

だからこそ、

これは試しなのだと、

テストなのだと、

あらためて、

主は、お教えくださっていて、

そこには無限の励ましが込められている。と、

そう思うわけでございます。

 

 

つづく

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🌟『不滅なるものへの挑戦』に学ぶ:その10

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p45

・利他の思いで生きる

 

利他の思いについては、

幸福の科学の四正道の出発点「愛」のことですから

私たちにとっては、知識的には当たり前になっていることではあります。

しかし、よく言われることですが

「知っている。」というのと、「できている」のとは異なります。

 

なんといっても、2021年の10月に賜った御説法で主が放たれたお言葉は

心に突き刺さりました。以下の箇所です。

 

当会の職員とか信者、会員のみなさまでも、まだ、この愛の教えをいっぱい読んでいてもわかっていない可能性は高いのではないかと思います。やはり、世間の普通の人と同じような反応をなさっている方が多いのではないでしょうか。《中略》「もうちょっと、聖なるものを考えられるかどうか」は難しいところかと思います。

経典『原説・「愛の発展段階説」講義』25ページ

 

このようなお言葉です。

「わかっていない」ということですが

この前後にも重要なことをおっしゃっているので、

ぜひ読み返してみてください。

 

 

この、職員含めて弟子たちが「わかっていない」ことについて、

もう一つ強烈に印象に残っているのは

 

経典『小説「揺らぎ」について』87ページにある

「みなさんは、まだ『祈りの力』について本当に解明が出来ていません。」

というお言葉です。

こちらは2022年10月の御収録です。

 

 

「与える愛について」と

「祈りについて」

 

その両方ともが、「わかっていない」とおっしゃっているわけで、

これは、弟子としては不覚💦

なんとかしなくては💦と汗がにじむお言葉です。

 

 

そして、この二つを、つなげて考えることも大切かと思います。

愛と祈りを架橋するお言葉は『太陽の法』や『愛から祈りへ』にて賜っています。

 

そして最後に、愛は祈りです。

 

愛なくして祈りなく、

祈りなくして愛はありません。

 

愛は祈りによりて、

より積極的な力となります。

 

愛は祈りによりて、すべてのものごとを成就するのです。

 

祈りは、愛を高める力であり、

祈りは愛を深める秘法です。

 

すなわち、神への祈りによりて、愛は成就し、

神への祈りによりて、愛は実現するのです。

 

神は愛なり、

愛は神なり。

愛をして神ならしむる力は、祈りなり。

 

祈りによりて、人々は生き、

祈りによりて神を知る。

 

かくして、

祈りによりて、人は愛の力を最大に発揮することができるのです。

 

経典『太陽の法』140ページ

 

 

この、祈りと一体となった「愛」について

さきほどの経典『原説・「愛の発展段階説」講義』では

私がもとめていた「聖なる愛」

というふうに記されているのだと思います。

 

さらに、この「聖」について、

詩集『愛のあとさき』の130ページ

「天使との対話」でも表現されていると思います。

上記御法話でもこの「愛のあとさき」について言及されています。

 

すこし脱線いたしましたが、

前回につづいて

動物と人間を分かつのは、信仰であり利他の思いである

という点を、主が説かれた箇所でした。

 

つづく

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🌟『不滅なるものへの挑戦』に学ぶ:その9

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p44

正しい信仰心を持って、他の人々を愛する人生を生きる

・信仰心をキチッと持つ

 

 

信仰心を持っていないのは動物。

 

具体的なものでなければ感じることができないのが動物。

 

 

「目に見えないもの、聞こえないものでも、尊いものが存在するということを信じられる」ということは、やはり、人間が動物性から抜け出す一つの力なのです。これは大きな違いだと思います。45ページ

 

信仰心の欠如によって、人間が動物化する。という

この、「人間の動物化」について

ここ数年の御法話等では、繰り返し、繰り返し、おっしゃっていますので

ほんとうに増えているのだと思います。

 

数回前のこのメールでも、該当するような、主のお言葉を抜粋したかと思いますが

本日は、経典『「地獄に堕ちないための言葉」余話』からご紹介いたします。

 

今、けっこう(人間と動物の間で魂の)入れ替わりが激しいんですよ。

うん。激しい。その代わり、動物の寿命が短いから、助かってはいるんだけど。

44ページ

 

 

いろんな動物に生まれ変わる。

だけど、一か所だけで畜生道というのが完結しているかと思ったらそうではなくて、

いろんなところにいて、例えばコウモリなら洞窟の中に棲んでいます。

全部集まっているわけではなく、同じ場所にいられるわけではないので、

その人に合った地獄があります。

49~50ページ

 

 

厳密にはいろんな動物が全部ありえるので。

これは昆虫までありえるからね。

昆虫と言うか、ゴキブリとかミミズとかまで。

あるいは、これは書いていないかもしれないけれども、トカゲ。

蛇がいればトカゲもいますので。

蜘蛛までいるからね。

50ページ

 

 

責任が伴っていないものは要するに「野蛮人」ですから、自由を奪われるということなんですね。

126ページ

 

 

つづく

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🌟『不滅なるものへの挑戦』に学ぶ:その8

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39

いちばんの神仏の正義は「因果の理法」が貫いていること

 

ここでは、まず

「正義」という概念と

「因果の理法」が

「つながる」概念なのだということを

しっかりとつかむことが大切かと思います。

 

わかりやすくいえば、

『善因善果・悪因悪果』

という真理が貫かれるということです

 

いいことをすれば、いいことが返ってくる。

悪いことをすれば、悪いことが返ってくる。

シンプルこの上ありません。

 

ときどきは「これは善なのか?悪になるのか?」と迷うことが出てくるかもしれませんが、

それは、いずれ、因果の理法通りに、自分の身にかえってきますので、

そのとき、自分がどう感じるかで、ようやく「善悪」を悟る。

ということもあるかもしれませんね。

痛い目にあって、学ぶ。ということです。

 

 

とまれ、因果の理法は昧ますことはできません。

「そういうふうに世界は設計されている。」(40ページ)

とおっしゃっています。

 

ここで少し脱線しますと、

ときどき、

(*'ω'*)「因果の理法」と「縁起の理法」って何か違いがあるんですか~?

という質問を受けることがあります。

 

「因果」については

「因・縁・果・報」から来ている言葉だと思います。

因というのは、「種がまかれて」種にあたる部分。

縁は、「水をやり」ですから、種を育てる行為

果は、「果実が実り」

報が「むくいあり」

だから、種まくと身が実る。ということを中心に表現していますね。

 

片や、「縁起の理法」は

すこし大きな概念と言えます。

すべてのものは、縁によって起きている現象である。

という意味ですから、空の思想に近いとも言えます。

 

つまり「縁起」が総論、「因果」が個別の各論

というイメージと言えましょうか・・・

 

 

閑話休題、この御説法では、

老いや、死の話を続けておられます。

老いの中にも、努力を重ねるという意味で因果の理法を貫いていくことや

死の後にも霊界での人生や次の転生へとつながることで、生前の人生が報いられるという意味での因果の理法について。です。

 

その後で、御巡錫されながら、地図に桜の花びらを張り付けておられることをお話しされ

できるだけ「法縁」といいますか、「ここに来た」「この地に来た」ということを遺したいなあと思ってやっているのです。(43ページ)

と、主の、『御巡錫への思い』を語られています。

 

だ・か・ら!御巡錫記念日は、とっても大切にしなくてはなりませんね~♪

弟子が忘れ去っているようでは失礼千万にあたりますよね~💦

 

みなさまの支部の御巡錫記念日はいつでしょうか?

 

「主は確かにこの地に足を運び、法を説いてくださったのだ」という奇跡の歴史を大切にして、

しっかりと子々孫々にも伝えてまいりましょうね(*'ω'*)

 

つづく

 

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🌟『不滅なるものへの挑戦』に学ぶ:その7

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36ページ

4人間として生まれたことの幸福

「人間である」ということは本当に幸福なこと

 

人間として生まれること

動物と人間との違い

人間だけに与えられているもの

認識力

会話による意思疎通、

考えることができること

表現ができること

 

与えられているものの多さ

こうしたものに思いを巡らせる箇所かと思います。

 

 

人間が、魂を退化させてしまい

狗や、豚や、蛇や、蛙となってしまう話も主はなさっています。

(『地球万華鏡』『地獄に堕ちないための言葉』など)

 

聊斎志異という書物を書いた「蒲松齢の霊言」などでは

中国の奥地で、虫が人間になっているのもいるという話もでておりました。

(ちなみに、蒲松齢は過去世では柳田國男、その前が平田篤胤となっています)

 

経典『太陽の法』においても、

地球の草創期にやってきたマゼラン星雲からのレプタリアンたちのことを

「人間に似た生物」と表現されています。(58ページ)

 

さらには、天御祖神様が御降臨くださった時代にも

「現地人をもとにして素材にして、『人間型』に変えていった。過去、動物だったものとか、いろんなもののエナジーを使って」

という人類創造があったことが明かされています(参考『天御祖神と日本文明の始まり』52ページ)

 

 

喜怒哀楽にふりまわされ、

自己中心的に生きる

これが動物でありますが、

 

人間といえども、

そして、形の上では信仰を持っておったとしても、

 

ほんとうに、心を発見し、主への信仰の下に

主に向かって魂を育てていかないと

動物と変わらなくなってしまいます。

 

主の御眼からご覧になれば

まだまだ、動物に近い部分が多々残っているのではないでしょうか。

そういう、私たちであるからこそ

こういう御説法をなさっておられるのではないでしょうか?

 

 

私は、この経典『不滅なるものへの挑戦』を拝読する中

端々に、「動物性からの脱却」を

主が訴えておられる

そのような印象を受けました。

 

つづく

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🌟『不滅なるものへの挑戦』に学ぶ:その6

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32ページ

「あの世」や「魂」を認めない日本の教育やマスコミに言いたいこと

 

この箇所において、主は、

ブラジル、インド、アフリカなど

御巡錫をきっかけとして真理が広がり、

支部や精舎がたちはじめている話をされた上で、

比較して日本が、「かたくなに抵抗している。」とおっしゃっていますね。

 

 

ブラジルの御巡錫については、

『真実への目覚め』という一冊の経典になっています。

当初、3回であった御説法予定が

初日から予定変更されて5回御説法をなされました。

 

あとがきには

「一期一会」という言葉を、このブラジル巡錫ほど深く考えたことはない。

とおっしゃっています。

 

出国に先だって「遺言説法」をされてご出発されたブラジル御巡錫。

ものすごい気迫が、この経典『真実への目覚め』から伝わってまいります。

 

ちなみに、このブラジル前に御収録された遺言説法は、

経典『信仰の法』第5章「地球神への信仰とは何か」として経典化されています。

いまいちど、まえがきあとがきを含めて、読み返されることをおすすめいたします。

この内容が、今回発刊されるエル・カンターレ祭記念経典『Focusing on EL Cantare-エル・カンターレ信仰を中心として』にもつながってまいります。

 

 

そして、インドですが、

別途、メールでもお伝えしているように

カルベ支部長が交通事故で倒れるなどの激しい霊的戦いの中、

映画『ドラゴン・ハート』がテレビ上映されるかどうかの攻防が続いております。

おそらくは、土着のヒンドゥー系の動物神、すなわち妖怪たちの妨害が激しいのだと思われます。

地球の霊的な中心であるシャンバラを擁する、大切な国であり

今後の地球にとっても重要な局面にあります。

 

アフリカについても、

あのスタジアムでの、ものすごい御巡錫御説法もありましたし、

死亡した少女が約40分ほど『正心法語』の読誦を続けた結果

よみがえり復活した。という奇跡が起こって以来

そこの村一帯が信者となったり

その後もまた一人の女性が死からよみがえったりする奇跡が続いており、

着々とエル・カンターレ信仰の光が広がっています。

 

 

その中に合って、私たちの住まう日本が

「なぜ伝道が遅れている」のか、

 

この『霊的秘密』が、2023年3月以降

明らかにされ続けてきました。

 

実は日本土着の妖怪たち、

アマテラスやミナカヌシとして神々とされていた存在たちは、

エル・カンターレ信仰を理解することができておらず

 

主エル・カンターレの御威光を利用して

戦前の日本神道を復興させようとしていた

 

すなわち、自分たちへの信仰を復興させようとたくらんでいた。

 

それしか頭になくて

エル・カンターレ信仰についてはまったく理解もせず

 

主の法の下に自己変革もできず、

自分たちの立場があやうくなるにつれて

次第に主を攻撃するようになった。

 

この事実が明らかになったということです。

(幸福実現党の動きも同様に日本神道の復興活動として利用しようとしていたわけです)

 

 

「どうりで、日本の伝道は難しかったわけだなぁ。」

と私は、率直に思いました。

しかし同時に考えねばならないことは、

 

「妖怪たちがなぜそんなにも力を得たのか」です。

その原因は、私にもあり、また貴方にもある。

 

つまりは、日本国民全体が、共業としてもっているということです。

(あたかもイエスを葬ろうとしたユダヤ民族の共業の如く。です。)

 

妖怪たちは、唯物的な御利益信仰へと、日本の国民を誘導しました。

その結果、日本人の精神性がそちらにひっぱられ続け

エル・カンターレ信仰を妨げる力となっていたのです。

このように、信仰をのっとってきたのがアマテラスやミナカヌシでありますが、

 

私たちの心の中にもまた、それを受け容れてしまった部分。

ご利益信仰や妖怪性が潜んでいた。という事実

 

つまり

エル・カンターレ信仰を妨げようとする妖怪に、力を与えていた部分が

私たち自身にも多分にあったのだということを、

 

深く、深く反省し、妖怪性の払拭、

すなわち、私たち自身の「新復活」を、心に誓いつつ

「復活の祈り」を行ってきたわけであります。

 

 

そして、日本においては、すでに、アマテラスやミナカヌシを頂点としていた

”高天原”の山は

主のお力によって、崩壊しているはずです。

(参考:格はいく集4㉒に「巨山を崩す」とあります)

 

神々とされていた妖怪たちの正体が

霊界においても明らかになり

日本の霊界構造が大きく変化しようとしている中に

私たちはおかれており、

 

妖怪の山が崩れていく中で

今後は、本来の天御祖神を中心とした日本霊界をもう一度建設しなおす使命が

私たち日本人にはございます。

 

その霊的な要として

このたび、箱根の地に『天御祖神記念館』が建立落慶されることは

本当によろこばしいことです。

 

しかし、もちろん、まだまだ、まだまだ、

霊的戦いは続いております。

 

特に、これからの年末年始は

あいかわらずご利益信仰によって神道の妖怪たちは力を持つ時節ですから、

気を引き締めてまいりたいと存じます。

 

つづく

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