目を閉じていいんだよ
力を抜きゃいいんだよ
僕の指先は大事な所まで届く
MAROON 5の、This love という曲をB'zが日本語の歌詞でカバーして歌っている歌の歌詞の一部。
稲葉さんの翻訳センスは、すごい。
松本さんのギターもすごい。
かなり前に稲葉さんが、ボンジョビの
next 100 yearsを翻訳して、ジャニーズに提供したことがあったが、
あのときも、すごく素敵だった。
さて、さきほど地下鉄の中で、旅行者らしきおばちゃん二人が、
「あっちぃなぁ。扇風機も回ってないな。」
と、車両の天井を見上げていた。
あー
丸ノ内線には扇風機はついてないですね。
でもたしかに、昔の電車って扇風機が天井についてた気がする。
今日は、
お気に入りの、白いレースの半袖ブラウスを職場に着ていった。
袖がパフ。ポンと膨らんでて、スウィートな印象。
すごく甘い雰囲気のブラウスなので、これにスカートをふんわり合わせでもすると、
ちょい甘過ぎるなと思って、
PUFFYみたいなといえば分かるかな、
ダブめのジーンズと、少しごつめのベルトを合わせた。
完璧に女の子らしく仕上げるよりも、どこかちょい崩すというか、ボーイッシュ寄りに力を抜くくらいのほうが、自分らしい。
と、思っている。
ただ、普段着てる服より背中があいていたためか、夕方体が冷えて、おなかがめちゃめちゃ痛かった。
ところで、
昨日、労働基準法を一通り読み終わり感じたことは、
やはり労基法の根底には、民法、ひいては、憲法の精神が、脈打っているということだ。
まだ一通り読んだに過ぎないので、詳しい内容は、今後、社会保険労務士試験の過去問を解いて解いて解きまくる中で、頭に詰めていくとするが、
民法、ひいては憲法が、労基法の親であること、たしかにそれを感じただけで、今はよしとしよう。
本質をつかんでいこうとしなければ、
いくら条文丸暗記していても、試験はそう安安と受かるものではないだろう。
それとは別に、
さきほど、地下鉄の定期の更新をしに、東京メトロの窓口に行ったら、私の前に並んでいた人が、中国人らしき男性で、
メトロの職員さんに英語で、
なにやら話しかけている。
職員さんは、NO ENGLISH, Sorry...
と仰って困った表情をされていたので、
お節介ながら、後ろから、
I can.
と、中国人らしき男性に話しかけた。
そしたら、
"Oh, you can help me?"
って素敵な笑顔をむけて下さった。
それで少々、その方と職員さんの間の通訳をさせて頂いた。
最後、
Thank you very much!
と、職員さんと私に言って、去っていかれた。
いえいえ、ありがとうございました。は、こちらのセリフです。
すっごい初心に戻らせてもらえた気がします。
わたしは学生時代、英語の授業が好きで、
「将来、日本にいる外人さんが困ったときお役に立てるように、英語をしっかり身につけたい。英語を使ったお仕事がしたい。」
と思って英語を頑張っていたことを思い出させて頂けた。
考えてみれば、今わたしは、英語を使ったお仕事をさせて頂いていて、
日本にいながら、外人さんのお役に立たせてもらえる仕事をしているじゃないか。
あれれ、イツノマニカ夢が叶っていたんだ。
と、メトロでのやり取りのあと、気付いた。
人さまのお役に立ちたい、人さまが喜んでいる顔が見たい。
そういう思いが最初にあって、
その思いを形にするべく、
社会に出て働くという選択肢をわたしは採ったんだった。
仕事のおかげで、わたしの「人さまのお役に立ちたい」という思いを形にさせてもらえている。
ありがたい。
しかし仕事に限らず、
意識を持ってさえいれば、いつだって、人さまのお役に立たせてもらえるはず。
と感じる。
なんだかんだいって、人さまのために一生懸命になっているとき、一番快感を覚える。
たぶんみんなそう。
仏教では、
仏法に触れて感じる喜び、救われるありがたさを、法悦というけど、
その法悦の、実社会での実践バージョンを、じゃんじゃん感じていければ、幸せだと思う。
なにせ、人さまのために動けば動くほど、まず幸せになっていくのは、自分自身ですから。
どんな瞬間も、じゃんじゃん幸せを感じていけるかどうかは、
自分の心の底に流れるベースはなにかということにつながると思う。
釈尊は、
自燈明
法燈明
という言葉で、
「釈尊が亡くなったら、どうしたらいいのか」と泣き惑う弟子たちに、
「自らを拠り所とし、また、法を拠り所にしなさい。」
と説いたという話は有名だ。(たぶん)
常に自分を仏法に照らし合わせながら、一歩一歩歩んでいけたらな。
自分の心の底に流れるベースは、
なにかな。
調和を大切にしたいという思いとか、
かな。
で、、
日本には色々な法律が存在するが、そのベースはすべて、平和憲法なのだ。
大きく言ってしまえば、ですが。
自分の心の底に流れるベースはなにかということが大切だと思うと、さっき書いたが、
法律も、根底に流れるベースが大切だと思う。
そのベースは、言うまでもないのかもしれないが、一言でいえば、
「和」
である。
労働基準法も、働く人が落ち着いた気持ちで、周囲と調和しながら働けるための法律であると言えるし。
職場で、日々お世話になってる別の法律も、やっぱり、調和と発展のための法律だし。
結論としては、
すべてありがたいです。
日本に生まれたことも、
いま、お仕事させてもらってることも、
勉強させてもらえていることも、
人との出会いに支えられていることも。
南無ー。
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