どんなに美味しいものでも、好きな人と食べたなんてことない食べ物の方が絶対にいいし、幸せだと思う。

なんてことない幸せがわたしにはすごーくすごく遠い気がしてしまう。

紙一重で手を伸ばせば、するっと手に入るかもしれないのに

それでも、どうしても地球の裏側ぐらい遠いとこにある気がしてしまう。

そんなわたしだから、手に入らないのだ。と思う。
 
がむしゃらに行動しても空振り
うんうん考えて行動しても、空振り

行動量が足りないのかもしれない
実は成功の一歩手前だったのかもしれない

そんなたらればな事を考えるけど、所詮たられば

頭が考えたことなんて、限界が知れてる

なんというか、この結果を得るためには、こうして、あーしてなんて、もうやめよう

その瞬間、その瞬間にマルをつければ、ずっとマルなの

それが、わたしの欲しかったものでしょ。
そうやって行こうかな、今後は


自分と対話する方法に日記をつけるのがいいって泉谷閑示先生が仰っていたのです、最近つけてる。

って、まだ3日目だけどねw


仕事でね、息苦しい。
自分だけ楽をしようとは思わないけど、自分だけ損をしたくないと思う。

相手のために良かれと思ってやる

って事をなるべくやめてるの

今までの経験上、求められてないかもしれないし、その気持ちからやったことって、わたしはどうしても見返りを求めてしまう。

五本のバナナの話で

わたしは、自分の食べたい分も我慢してあげてしまうから、見返り求めてしまうんだろうな。

自分が食べられない分だけあげれば、人からいらないって言われても、腹も立たないし、悲しくもならない。

だって、彼らがいらなくても、私もいらないから、どうせ捨てるだけのものだから。

私がする行動、私の時間に捨てるだけのことってあるのかな?

忙しいのに1分だって、惜しい

さて困った

五本のバナナの話を思い出したから、私のバイブルと言える「普通がいい」という病には、なんと書いてあったっけ?

久々読み返してみたら、涙が出るかと思うほど私の欲しかった答えが


我慢をした一本に何が込められているかといえば 、それは同情心です 。しかし 、その奥に 「感謝してほしい 」ということや 「善い人と思われたい 」 「善いことをしたという自己満足が欲しい 」などが潜んでいます 。それは 、善い行いのように見えて 、やはり 「欲望 」です

欲望を含まない愛の一本の為にできることは、まず自分を満たすこと。


面白いことに 、人間は自分を満たしても 、必ずいくらかは余るように出来ている 。この余った物を使ったときには 「愛 」の行為になる

心が軽くなりました
自分がいっぱいいっぱいなのに「人の為」なんて、ああ本当偽善だわ

未熟で拙いわたしは、まだ自分の事で精一杯です
今日見たイッテQで、みやぞんが言ってた言葉

「自分の機嫌は自分でとる」

みやぞんは、芯を食った事をさらっと言うなぁ

前にカウンセラーに言われた事

悲観は気分
楽観は意思


こう事だよね。

あ、あと、茨木のり子の「自分の感受性くらい」の詩が好きだから反応しちゃったのかも。

あの詩を読むとシャキッとする


でもさ、自力で上げていくって、なかなか難しいんだよねー

仕事で疲れたら、マイナス思考に引きずられるし

どうやったら上がるかって考えてみる

•甘いものを食べる
→糖分とカロリーで食べた後罪悪感。
•部屋の掃除
•メイクを直して、鏡を見る
•散歩
•ランニング で汗をかく
•寝る
•猫をぎゅっと抱っこする
•自分に都合のいいように妄想する
•知足 自分が恵まれてるなと思うことを考える

このぐらいかなー

甘いものに頼るのは卒業したい。
「美味しい紅茶を飲む」にチェンジしようかなー。

前に一人カラオケを試したんだけど、自分の歌が下手で凹んだから、なしだな。

落ちた時は、上記のこと試してみようっと