4年の後藤崚太です。
4年間で何回書いたかわかりませんが、これでラストブログにしたいと思います。
全国公が終わり引退が決まってはいたけれども、やっぱりインカレに出れなかった自分を許せなくて、ラストブログをすぐに書く気にはなれませんでした。
でも、チームが新たに始動する区切りまでには書かなければいけないと思い、今日ブログをあげることにしました。
さて、僕は生後6ヶ月で母親とプールに入り、小3から競泳として大会に出場し今まで続けてきました。
長かった。
辞めたいと何回も思った。
小・中では、放課後、友達が遊んでいても僕は練習。土日友達が出かけていても僕は大会。夏休みの思い出はきつい合宿。
親友はサッカーのクラブチームに行き、別の場所であいつも頑張っていると思う反面、俺もサッカーの道を進んでたらなと、水泳を辞める理由を探すこともありました。
それでも辞められなかったのは、練習の達成感、ベストの感覚、メダルや賞状をもらえた時の嬉しさ、僕の水泳を自分のことのように受け止めてくれる家族がいて、喜ばせたいと思う感情が少なからずあったからだと思います。
それから、水泳人生の全てが変わったのは高校3年間でした。
レベルについていくことに必死になって、もがき続けた3年間でした。キツすぎる練習、熾烈なメンバー争い。それがあったからこそ強い繋がりを持つことができたのだと思います。飛び抜けた成績も結果も残せなかったけど、誇れる同期とともに一生の財産となりました。
大学でも水泳を続けると決め、試行錯誤をしまくった大学4年間は、あっという間でした。寺本先生に何度も相談にのってもらいながら、インカレを目指しました。ベストはなかなか伸びなかったけれど、そこから学んだ技術や考え、知識から入学前よりは成長できてはいると思います。先輩も同期も後輩も、みんなにお世話になりながら、自分なりに頑張れたと思います。
ただ、
結果を出したかった。
それだけは残っています。
もっと振り返ろうと思えばいくらでも振り返って喜びも悲しみもたくさん出てきますが、伝えることは伝えておかないと。
もちろん関わってきた人全てに感謝していますが、ここにはメッセージとして残しておきたい人に向けていくつか、、、
RSケーニーズ
三輪コーチ・上田コーチ
僕の水泳は2人から学び、築いてきたものです。小3で練習がしたくなくてプールから脱走してすみませんでした。
たくさんの迷惑と心配をおかけし、にも関わらず、期待と応援をしてくださりありがとうございました。
わたるさん・りょうたさん・かなこさん
練習では隣でバチバチに競い合ったり、お互いのタイムを気にしたり、誰かがへばってたら優しくする時もあれば笑い飛ばす時もあったり。バイトや大学生活ではクソガキの僕を可愛がってくれたりと、本当に兄と姉のように思っていました。
いや、これからも思います。
引退してからも、ごとりょうの最後は見たいなと言って応援をし続けてくださりありがとうございました。末っ子だった僕のラストレースはどうでしたかね。あの時の兄、姉のような姿を後輩に見せれてたのかな。
たくさんの愛をありがとうございました。
高校の同期
がんばったよな?
何回怒られて、何回死に物狂いで練習したか。
大学に入っても、それぞれが何かに向かって頑張っていることを確認して、県選のあとは集まって近況報告。そばにいなくても切磋琢磨ってこういうことだろうなって感じてる。
一生の付き合いだろうな。
特にりゅーとあおば。君たちには世話になった。関東の大学に行った同期、中京大に行った同期がメキメキと力をつけていく中、いくら俺が弱気になっていても、「辞めれば?」なんて言わなかった。本当に支えられてた。ありがとう。
父・母
大きな結果を残すことはできなかった。
本当に悔しい。
2人にでっかい景色を見せられなかったことが、本当に本当に悔しい。
でも、
がんばれって送り出してくれてありがとう
負けるなって言ってくれてありがとう
22年間も水泳を続けさせてくれてありがとう
多くの経験と誇れる仲間を得ることができました。僕は全てがうまくいく水泳人生ではなかったけれど、息子の水泳を通して何か少しでも感動や喜びを感じてくれてたら、嬉しいな。
たくさんの期待と応援と愛情とカツをくれて本当にありがとう。
さあ、ここまで読んだ人はどれくらいいるのでしょうか。
他にも感謝を伝えなければいけない人がたくさんいますが、ラストブログが終わらなくなってしまうので…
よし、これで水泳部の活動も終わり!
やり切った!
喜びも後悔も、成功も失敗も
たくさん経験できて幸せだった!!
水泳人生に関わってくれた全ての方
本当に本当にありがとうございました。
では!
愛知教育大学水泳部
2024年度
主将 後藤崚太