某ミュージシャン(S崎さん)が、
ギターを弾き続けて、姿勢が曲がってしまったことに気づいたそうです。
このままじゃヤバいってことで、整体に通って姿勢を治そうとしてみたそうです。
すると、姿勢は治ったものの、ギターの演奏が下手になったという内容の話をしていました。
ギターを演奏する人は姿勢でしたが、私たち人間は、みんな似たような現象に襲われているのではないかと考えました。
例えば私。
ナースという職業柄、家族構成や成育歴からその人物像を見抜こうとしています。常に未来にたどり着くゴールを2個以上考えて、ああなったらこうしようみたいなストーリーを作って仕事しています。深読みしすぎ病です。
また、患者の前に出るときは「ナース」を演じて「隙が有り有りの感じですから何でも言ってねオ~ラ」を出したり、「ちょっと今忙しいからオ~ラ」を出したりしています。そして、上司の前では「隙無いぞ、攻撃しないでオ~ラ」と、人格をコントロールしています。つまり、これが私の“曲がった”部分なのだと考えます。
さて、ミュージシャンが姿勢を治したのと同じように、こういった職業病とも言える症状を治そうとすると・・・おそらく仕事になりません。
世の中には、多種多様な人々が生きています。
仕事だけじゃなくて、日頃の日課や趣味など毎日繰り返して生きています。
そうやって生きていく中で、それがうまくやれるように、ある意味曲がって、つまり偏っていくのであると理解できます。
そういう集合体が世の中だと。
だから、色々な価値観が生まれるのだろうなぁと、飛躍して考えることもできます。
ちょっと昔、「人は変えられるのか」という事について人と話し合ったことがあります。
私は「容易には変えられない」という意見でしたが、その人には「変えられる」と言われて違和感を感じました。その違和感の根源みたいなのがこういう事なのではないかなと思います。
もし、無理矢理変わったり、変えようとすると、その人が生きていくために構築してきた生き方の“かたち”を崩す事になり、結果うまく生きられないのではないか、という事に結論づきます。
曲がったものには、曲がった理由がある。
曲がったまま生きることも可なのです。
人間としてのイノベーションでその曲がり方は変わってゆくとしても。
人間の多様性の面白さは、ここにあるのだと思います。
演奏が下手になったら困りますから。
ギターを弾き続けて、姿勢が曲がってしまったことに気づいたそうです。
このままじゃヤバいってことで、整体に通って姿勢を治そうとしてみたそうです。
すると、姿勢は治ったものの、ギターの演奏が下手になったという内容の話をしていました。
ギターを演奏する人は姿勢でしたが、私たち人間は、みんな似たような現象に襲われているのではないかと考えました。
例えば私。
ナースという職業柄、家族構成や成育歴からその人物像を見抜こうとしています。常に未来にたどり着くゴールを2個以上考えて、ああなったらこうしようみたいなストーリーを作って仕事しています。深読みしすぎ病です。
また、患者の前に出るときは「ナース」を演じて「隙が有り有りの感じですから何でも言ってねオ~ラ」を出したり、「ちょっと今忙しいからオ~ラ」を出したりしています。そして、上司の前では「隙無いぞ、攻撃しないでオ~ラ」と、人格をコントロールしています。つまり、これが私の“曲がった”部分なのだと考えます。
さて、ミュージシャンが姿勢を治したのと同じように、こういった職業病とも言える症状を治そうとすると・・・おそらく仕事になりません。
世の中には、多種多様な人々が生きています。
仕事だけじゃなくて、日頃の日課や趣味など毎日繰り返して生きています。
そうやって生きていく中で、それがうまくやれるように、ある意味曲がって、つまり偏っていくのであると理解できます。
そういう集合体が世の中だと。
だから、色々な価値観が生まれるのだろうなぁと、飛躍して考えることもできます。
ちょっと昔、「人は変えられるのか」という事について人と話し合ったことがあります。
私は「容易には変えられない」という意見でしたが、その人には「変えられる」と言われて違和感を感じました。その違和感の根源みたいなのがこういう事なのではないかなと思います。
もし、無理矢理変わったり、変えようとすると、その人が生きていくために構築してきた生き方の“かたち”を崩す事になり、結果うまく生きられないのではないか、という事に結論づきます。
曲がったものには、曲がった理由がある。
曲がったまま生きることも可なのです。
人間としてのイノベーションでその曲がり方は変わってゆくとしても。
人間の多様性の面白さは、ここにあるのだと思います。
演奏が下手になったら困りますから。

















