ドドが教えてくれたのは「いくにみんばちいがえまお」ということばだった。
いくにみんばちいがえまお 
エチオピア語ではありません 
フランス語でもありません 
スペイン語でもありません 
ギリシャ語でもありません 
どうぞさかさに読んでみて下さい


寺山修司botをフォローしているのだけどこれ怖すぎる(笑)


接客業というか、まあレジ打ちと品出し少しなのだけど、を、始めてみました。

そしてまた突然あらゆる場所で美醜を意識せざるを得なくなり自らの意識改革を強いられています

ブスは外見ではない、内面だとか言ったの誰?僻みとかいう概念がある限り人間はその概念を把握しちゃってるんだから身動き取れないのに!

美醜によって幸不幸が決まるのではない、人はその思考によってのみ幸せにも不幸にもなる、というのには納得できるけれども

やっぱり早く老婆になりたいのかもしれない


バイト先が大学生だらけなのが大きいけれど
それでも男に生まれていなくて良かったと思うことも多いけれど


あと30年経ったら、それでも私は、若い頃は美しかったとごちるのだろうか。


男女混合の世界にきてはじめて、自分の中にはたから見てわかりやすく女の子らしい特徴が育たずにいたことに気づかされた!


なんか、毎日フルメイクする人で化粧道具が汚いパターンほんとうに許せない(笑)
なんかレストランとか、まあお店なんでも、客からは見えなくても調理場とか裏方が雑然としててすこし不潔だったら嫌じゃん。そういう類の嫌悪感


もっとなんか、色々なものをクローズアップして見てみたいのにそれが許されない。うっすらしたことをバランス良くやるのは全然よさを感じないけど能力がないからなのか
だってそれ別に全然視野は広くないよ

潔癖な人は私を嫌いだけどわたしはその人を好きなことが多い

一字一句にこだわることくらいしか本当にすることがなかったのが懐かしい

それでも使う言葉に自覚的でありたい

無造作な言葉で話す方が距離は縮めやすいことが多いということもわかったけれども
エッセーに出てきたやつなのだけど、読んだ直後から頭の中にこびりついて取れないのです。
いつ読んだんだろう。J3くらいかな。

「寂しいので、犬を飼いたい。だが、寂しいからと言って飼われる犬は可哀想だろう。」


「寂しい」と「犬を飼う」ところには色々なものが代入可能で、そのせいでふと身動きが全くとれなくなることがしばしばあるのであった。


苛々するからといって食われる菓子も可哀想だ(笑)



最近は
使うまいと決めていたwを、半分から下の場面では平気で使うようになったり
「好意が高じて発狂」が実際にありえることを知り
早寝早起きの狂人から朝早くメールが来たり
友人が比較的危険な目に遭ったり
「本人は常に真剣で、しかし常に男をとっかえひっかえする」を目の当たりにしたり
ヴァイオリンを割と真剣にやったり
生真面目な女の子をひたすらに励まして、自分の励ます能力の低さに愕然としたり
女の子たちには「さばさばしてるね」「ドライだね」と言われ続け
革新を嫌う議論に晒されて血管が切れそうなほど苛々し
倉橋由美子を読みはじめ、昔よりも女臭い女流作家が少しだけ好きになり
バイト先の飲み会で毎回毎回火遊び自慢大会が開催されることにうんざりし
言語化装置として使われるたびにその暴力性を思い知り、そんなことを思う自分の傲慢さを思い知り、
医科歯科の自動ドアに毎週毎週感知してもらえず誰かが出てくるのをさむいなか待ち続けたり


まあいいや


最近あまり遊んでないです
ヴァイオリンがなぜか忙しい
あとバイトを少し
授業に行って、勉強はあまり
サークルはぼちぼち



「私は人を批評するけれど、それはその人より自分が勝っているから。(疑うことを知らない目)」
ってかなり気持ち悪いんだなあと思いました。
臆面のない人は好きだけど、それってやっぱり女にやられると萎えるってことなの?違うだろう


共学にいるとすぐ「性差」っていう言葉が浮かぶしそれで片付けられるような気がしてしまうから、、実際それで片付くこともあるのかもしれないけど、でも女子校にいたころにはおそらくあまり考えにのぼらなかった概念だから、でも広がりよりは狭まりを感じるかなあ


自分の考えとか意見とか、頭や心の中に溜っているものを言葉にする時間と機会を与えてくれる人が全然いないのでブログを久々にしたためてみました


みなさん自分のことに一生懸命で素晴らしい
一生懸命だから皮肉を言っても通じないのか
大学生は自己実現に励んでくれたまえ きっと就職できるよ



熱中できない性格は昔からだ
散漫で粗忽なのがよくもこう包み隠されていると思う
隠せてないかしら


みなさん何考えてるのか分からんな


なんだかなあ。身動きが取れないのであった。グウ