atyuさ~ん、終わりましたよ~、と誰かの声。



意識が戻った。

ありがとうございましたと言おうとするがろれつが回らない。


あれっ?うまくしゃべられない・・・、と思っているうちにまた意識が遠のいた。


次に目が覚めたのは病室に戻ってから。

彼が心配そうに私の顔を覗き込んでいるのがわかった。

口には酸素マスク。

足には血栓防止の装置が膨らんではしぼみを繰り返している。

腕につけられた血圧計はやはり膨らんではしぼみしている。

せわしなく作動する機器たち。

何か言おうとするがやはりろれつが回らない。


寒い・・・、とても寒い。


電気毛布をかけてくれているがまだ寒い。

寒いと訴えるともう一枚毛布をかけてくれた。

再び意識が遠のく・・・。


次に意識が戻ったときには寒さはなくなっていた。

今度は逆に体が熱い。熱があるようだ。

意識が戻っては消え、また戻っては消え・・・。


p.m.20:30

面会時間終了。

彼は心配そうに帰っていった。

看護師がうがいをさせてくれ、氷を二かけらもって来てくれた。

粘りついた口の中が少しすっきりした。


朦朧とした意識のおかげでこの夜も眠れた。



a.m.5:45
すっきりとした目覚め。
睡眠剤のおかげかぐっすり眠れた。
病室のカーテンを開けると外はすっきりと晴れ上がっていた。

洗面を済ませ、しばらく窓の空を見ていた。


a.m.6:30
2度目の浣腸。
昨日よりは長く我慢できた。
こんなので大丈夫なのだろうか?

絶飲食のため朝食なし。
空腹はまったく感じない。
なぜか緊張感もない。手術を受ける実感がないからか?


a.m.10:00
T医師回診。


a.m.10:30
血栓予防のための靴下をはく。看護師がはくのを手伝ってくれた。
そのくらいしっかりと締め付けるように出来ているのだ。
同時に術衣に着替えた。
体の前後を挟むような形で両肩、両脇を紐で留めるだけの
とても簡単な構造になっている。なんとも心もとない。

a.m.11;00
点滴開始。これもまた生まれて初めて。初体験づくしだ。
腕に入ったチューブはくにゃくにゃと
やわらかいので刺してしまった後は全く痛みを感じない。
手術中に血圧が下がらないように血を増やす(?)ためなのだそうだ。
p.m.1:30開始の手術までに3本。4本目を打ち始めて手術に入るという。



ラパロと同時に子宮鏡で粘膜性のポリープ除去してもらうために
子宮口を開くための綿を挿入。
処置をしてもらうと軽い生理痛のような痛みがある。



彼が病院に到着。
洗濯、買い物、家の用事を済ませてきてくれた。


手術に入るまではまだ少し時間がある。
私は不思議と落ち着いていた。本を読む余裕もあった。
今、思い返してみると、彼がいてくれたおかげだったと思う。
転勤族なので近くに頼れる身内はいない。
彼はずっと私が安心するように気遣ってくれていた。



p.m.1:30
麻酔を効きやすくするための注射を両肩に打たれた。
hmg、hcgで慣れていたはずだがこれは痛かった。
点滴の中に何か(説明はあったが忘れた)薬を注入、同時に喉がかぁっと熱くなった。
何か強いお酒でも飲んだときのようだった。
自分で歩いて行けそうだったが、ストレッチャーに乗せられて手術室に向かう。
病室の前で彼にいってきますと手を振った。



後に聞いたが彼はこのとき泣きそうだったという。
手術中待っている間、仕事をしようといくつかの書類を持参していたが
全く手につかず、手術が終わるまでの2時間おろおろしていたらしい。
当の本人の私は本当に落ち着いた気持ちでいた。
しかも麻酔が効いてからはもちろん何も覚えていない。
こういうときは待っている者のほうが落ち着かないものなのだろうか?


手術室に入ると7、8人の看護師が一斉にそれぞれの仕事をこなしていった。
心電図、心拍、血圧を測る機械を装着される。
口の中はさっきの薬の影響でカラカラに渇いていた。何度も何度も口の中を潤そうと
唾を飲み込むが喉は粘りつくように渇いていた。
心拍が私の高まりを知らせる。
まるで他人事のように速まる心拍を知らせる信号音に耳を傾けていた。


背中を丸め横になり、腰の辺りに硬膜外麻酔を注射された。
予備の注射のおかげか全く痛みは感じない。
せわしなくいろいろな機器が動く音が聞こえる。


最後に点滴の中に何か薬物を注入された。
麻酔科医のこれは痛いかもしれないよ、という言葉とともに
点滴が刺さった部分からビリビリと電気が流れるような痛みが広がった。
思わず痛っと声をあげる。
同時にさらに喉が熱くなり、そのまま何もわからなくなった。


生理が来た。

ラパロを受けてから初めての生理。


お腹が痛い。


右を向いても左を向いても痛い。

久しぶりの生理痛。

ラパロが体に良い影響を与えた上での生理痛ならいいのだけれど・・・。

p.m.1:30
一向に止む様子のない雨の中、一人車を走らせ病院へ向かった。
なぜかとても眠く、おかげで緊張を感じない。


p.m.2:00
病院到着。
相変わらず私はラパロが何らかの理由で中止になるのではないかと期待していた。
そんな期待をよそに準備は着々と進む。

ネグリジェに着替え、おへその掃除、パッチテスト、浣腸・・・。


看護師はその手に小さめのレモンくらいのチューブを持って現れた。
生まれて初めての浣腸。
どのくらい我慢したら良いですか?と聞くと
できるだけで良いですよ、と看護師。
気を紛らわそうとするが紛れるものではない。
1分も我慢できなかったように思う。



p.m.4:00
シャワーを浴び終わり、することがなくなった。
家から持ってきた本を読んでみる。眠くて頭に入ってこない。
しばらくベッドでウトウト。



p.m.6:00
夕食はとてもおいしく全て平らげた。
夜10時から絶飲食のため、欲張りな私はもっと食べたいくらいだった。



p.m.7:00

T医師が病室に様子を見に来てくれた。
今日は夜間診察がある日だから忙しいはず。ただ、顔を見せてくれただけでも安心する。



p.m.7:30
彼が仕事帰りに気を利かせてケーキを買ってきてくれた。
私は喜んで全て平らげた。



p.m.8:30
面会時間終了。
彼は頑張れよ、と言い残して帰っていった。
夜はどんなに心細いだろうかと思っていたが眠気のおかげでとても落ち着いていた。



p.m.10:00
絶飲食にはいる前に下剤、胃薬、睡眠薬を服用。
睡眠薬は必要ないくらい眠かったが一応飲んでおいた。




とうとう明日、だ。




次の検診の日、腹腔鏡下検査(ラパロ)の予約をした。
ラパロは生理周期から4月21日に決定。

その日はラパロを受けるにあたっての一通りの検査を受けた。
肺活量、心電図、血液検査、血液の止まり具合・・・等々。



何か検査上の不具合がおきて、ラパロ中止になんてならないだろうか?


心のどこかで思っていた。



私の期待とはうらはらに順調に事は進み、とうとう入院の日を迎えた。

それから毎月セキソビットを飲み、hmgを打ち、hcgを打ち、
T医師からタイミング指導を受け、治療を続けてきたが、
私たちの赤ちゃんからは何の音沙汰もない。


3月、T医師は言った。


今までの経過を振り返ると、排卵もタイミングもバッチリ。
妊娠してもおかしくない状態なんです。それが、未だに妊娠しない。
なので、これからの治療方針をもう一度話し合う必要があります。
一度ご主人と一緒に来院してください。


彼の仕事の都合がつかず、T医師は私たちのために診察時間外に時間を作ってくれた。
本当に良い医者に巡り会えたとつくづく思う。


医師が示したこれからの治療方針は
1,過去に疑われた子宮周辺の内臓との癒着を直接確かめること。
     即ち、腹腔鏡(ラパロスコープ)による検査を行う。
2,体外受精を行う。
3,このまま今の治療を続ける。


腹腔鏡下検査は全身麻酔で行うそうだ。肺栓塞を起こす恐れもあるとのこと。
体外受精はたくさんのお金がいる。


医師はゆっくり二人で話し合って決めてきてください、と言った。


それから私たちは何度も話した。
話して、話して、腹腔鏡下検査を受けることを決断した。

妊娠が成立するためには様々な条件がある。
条件の何一つ欠けても妊娠は成立しない。
それぞれが整うことのなんと難しいことか・・・。



妊娠は奇跡。
奇跡が起きて私たちは今ここにいる。



いろいろな経験、思いをしながら心からそう思う。
今そう思える私は幸せかもしれない。
わが子に出会うことは叶っていないけれど・・・。



願わくば私のタイナイで奇跡が起きますように。

まだまだ知らないことのほうが多いとは思うが、

不妊検査、治療に関する知識はこの一年でかなり増えた。

このときもまたひとつ。


アクロビーズテスト

受精に必要な精子の先端部の酵素の有無を調べる検査


再びプラスチック製のカップを手渡された。
今度は彼に託されて私が病院まで携えていった。


過去にこんなに祈ることがあったろうか。
検査をするたび、治療をするたび、私は祈る。


そのときも祈りながらプラスチック製のカップを提出した。
精子の受精能力は今後の治療方針を大きく変えることになる。




果たして検査結果は・・・受精能力に問題なし、ということだった。
精子って本当に繊細なんだ。

精子が動いていなかったことを彼に告げたとき、彼はかなりショックを受けていた。
私に抗精子抗体があるのかもしれないし、詳しい検査を受けてみないとまだわからない。
彼は一刻も早く検査を受けたいと言ったが、検査は一週間後。



病院で受け取った小さなプラスチック製のふた付きのカップ。
その中に精液を直接入れて提出してください、とのこと。



検査当日、病院に向かう為、私は車の助手席に乗って彼を待っていた。
しばらくしてプラスチック製の容器の入った小さな袋を携えて彼が運転席に乗りこんだ。
病院に着くまで私たちはひと言も話さなかった。

















画面に映し出された精子は動いていた。
小さな黒い点々は小刻みに一つ一つが動いていた。


初めて眼にする自分の精子の拡大映像を珍しそうに覗き込む彼。
その表情には安堵の色が広がっていた。


私自身の抗精子抗体も陰性とのことで胸をなでおろした。


医師の説明では


フーナーテストのとき動いていなかったのは、クロミッドの影響で
頸管粘液が少なくなっていたせいかもしれない。


とのことだった。


私にはクロミッドは合わないということか・・・。




一週間後、より詳しい精子の検査結果が出た。
濃度、運動率、奇形率、etc.…問題なし。
ただ・・・。



精子は放出されてすぐは受精能力がないそうだ。
数時間経つと精子の先端を酵素が覆い、キャップをかぶったような形状になる。
そこで初めて卵子の周りの膜を突き破り中に進入する、つまり受精する能力が備わるということらしい。


その変化を確かめるために精子を染色する。
精子の先端がきちんと反応していれば、その部分が染まる。


その正常形態率が極端に低いという。


一難去ってまた一難・・・再検査になった。


フーナーテスト
排卵時期に合わせて性交した後、元気な精子がどのくらい子宮内部に進入できているかを顕微鏡で調べる検査



2004年8月、フーナーテストを受けた。


そろそろ排卵なので明日の夜あたりチャンスを作って、明後日来て下さい。



不妊治療では医師からセックスの指示を受ける。
当たり前のことだけれど、最初はやはり照れくさかった。
医師によってその表現は違っている。


・性交してください。
・夫婦生活を行ってください。
・関係を持ってください。
・セックスしてください(こういう表現をする医師がいるかは知らない)
…etc.

私は中でも担当のT医師が使う、チャンスを作って、と言う表現は気に入っている。



彼とチャンスを作って病院を訪れた。
どんなすごい検査かと意気込んでいたが子宮の中の精子を抜き取り、顕微鏡で映し出すだけだった。
検査はとても簡単だったが問題は検査結果だ。


モニターに小さな黒い点々が映し出され、
医師が、これが精子です、と説明してくれた。


数は問題ないんだけど、動いているものがひとつも見当たらないんですよ。旦那さん体調が悪いとか?





不妊の原因は彼にもあるかもしれない・・・
少し気が遠くなった。


精子はとても繊細なためそのときの状況で検査結果は変わってくるらしい。
精子が動いていなかった原因として考えられることは
・運動性が悪い精子である。
・女性の体の中に抗精子抗体がある。


私の血液検査と彼の精子の詳しい検査が必要になった。