8月4日の礼拝の内容です。讃美歌は、58.351.371.372.26です。
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礼拝説教     使徒10:34~38「キリストによる平和」    2024.8.4

 8月の最初の日曜日を迎えました。日本基督教団の教会暦では、平和聖日となっています。もう79年前になります。日本は敗戦を迎えました。この戦争で、約300万人がなくなったといわれています。戦争全体では、どのくらいの人々がなくなったのでしょうか。多くの人々の死と多くの悲しみをもたらしました。特に、私たちは8月6日の広島での原爆投下、8月9日の長崎の原爆投下、そして8月15日の終戦の時を迎えました。戦争を体験した人と、私のように戦争を体験していない人では、戦争に悲惨さに対する思いは違うと思います。経験していないことでも戦争の悲惨さを知り、戦争をしてはいけないことを伝えていく必要があります。

 前に勤めていた平和学園では、毎年8月6日前後に、広島平和の旅というものを実施していました。特に、8月6日の広島で記念式典に参加することがメインでした。その時に、広島平和資料館に行き、被爆の様子を知り、日本基督教団広島教会の礼拝に出席します。その後、広島教会の方から被爆体験を聞くことなどを生徒と共にしていました。もうすでに亡くなった方ですが、その方の被爆体験を聞いた時には、原爆の悲惨さを深く知ることができました。二度とあってはならないことだと思いました。

 平和聖日を覚える時に、私たちは何をすることができるでしょうか。平和への祈りです。今、世界ではウクライナとロシア、パレスチナのガザでの戦争のことを覚えます。1日も早く、戦争が終ることを神に祈っていきましょう。

 今日は、使徒言行録からキリストの平和について考えていきたいと思います。使徒言行録は、初期のキリスト教の様子を描いています。聖霊を受けた弟子たちが、イエス・キリストの福音を同胞のユダヤ人に伝えていきます。使徒10章から、ここからは新しい展開に入って行きます。それは、イエス・キリストの福音がユダヤ人から異邦人に伝えられていくということです。これは簡単なことではなかったのです。多くの困難や課題がありました。でも、その困難や課題を乗り越えて、イエス・キリストの福音が伝えられていくのです。使徒言行録の中心は、イエス様の弟子たちかと思えば、そうではなく、聖霊の働きです。

神ご自身が行動して行くのです。イエス・キリストの福音が初めて、異邦人に伝えられていくといいました。最初の人物がカイサリアに住んでいたローマの百人隊長コルネリウスでした。コルネリウスは、神への信仰心があつく、一家そろって神を畏れ、ユダヤ人の多くの施しをし、絶えず神に祈っていたのです。最初に、聖霊はコルネリウスに働きかけます。午後3時の祈りの時に、天使が「あなたの祈りと施しは、神の前に届き、覚えられている。今、人を送ってヤッファにいるペトロを呼びなさい」といいます。その天使の声を聞いたコルネリウスは3人を送りました。

今度は、ペトロに働きかけます。ペトロは祈るために屋上に上がって行きました。昼の12時ごろでした。ペトロは空腹を覚え、何か食べたいと思いました。階下では人々が食事の準備をしているのです。ペトロは幻をみます。天が開いて、大きな布のような入れ物が、四隅につるされて地上に下りて来るのを見るのです。そこには、あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていました。天使は「ペトロよ、身を起して、屠って食べなさい」といいました。旧約聖書のレビ記11章には、清いものと汚れているものの区別が書かれてあります。具体的には、食べてもよいものと食べてはならないものと分けられているのです。ペトロをはじめユダヤ人は、ずっとその決まりを守って来ました。食べてはならないものは食べてこなかったのです。

旧約聖書では、神の前に、清いものと汚れているものを分けることが求められていました。日常生活の中で、そのことを意識するために、食生活というのでしょうか。食べてもよいもの食べてはならないものと厳格に分けていたのです。ユダヤ人たちは、その教えをしっかりと守って来たといわれています。ペトロのその食べてよいものと食べてはならないものを区別していて、「主よ、とんでもないことです。清くないもの、汚れたものは何一つ食べたことがありません」とはっきりと答えています。ここから神は大きな計画の変更を行うのです。天使は「神が清めたものを、清くないなどと、あなたはいってはならない」と答えています。このようなことが3回ありました。その3回の幻が示されたことで、ペトロはその幻の意味を考えるようになっていきます。

そのペトロのもとへコルネリウスから送られた3人が着きます。天使はペトロに「わたしが彼らをよこした。ためらわないで一緒に出発しなさい」といいます。そこで、ペトロは3人を迎え入れ、泊まらせました。次の日にペトロはその3人とカイサリアで待っているコルネリウスのもとに向かって行くのです。カイサリアでは、ペトロの到着を待っているコルネリウスがいました。コルネリウスは親類や親しい人を呼び集めて待っていたのです。ここでペトロとコルネリウスの出会いです。ペトロが来ると、コルネリウスは迎えに出て、足もとにひれ伏して拝みました。ペトロはコルネリウスを起して、「お立ちください。わたしもただの人間です」と答えます。ペトロが周りをみると、大勢の人々が集まっていました。そこでペトロは「あなたがたも知っているとおり、ユダヤ人が外国人と交際したり、外国人を訪問したりすることは律法で禁じられています。けれども、神はわたしに、どんな人をも清くないものとか、汚れているものといってはならないと、お示しになりました。だから、来たのです」といいます。コルネリウスはペトロに「よくおいでくださいました。今、わたしたちは皆、神があなたにお命じになったことを残らず聞こうとして、神の前にいるのです」と答えています。

ユダヤ人のペトロだけでは、神の大きな変更を受け止めることができませんでした。しかし、聖霊を通して、いや天使を通して、その神のご計画の変更を受け止めることができるようになっていくのです。ずっと守ってきたものを、急に変更することを受け止めることは難しいものでした。しかし、聖霊はそれを乗り越えることができる力をペトロに与えたのでした。そして、ここからペトロがコルネリウスに初めて、異邦人のための説教を行うのです。イエス・キリストの福音を伝えていくのです。

ペトロは「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。どんな国の人でも、神を畏れ正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです。神がイエス・キリストによって、この方こそ、すべての人の主です。平和を告げ知らせて、イスラエルの子らに送ってくださった御言葉を、あなたがたはご存じでしょう。」と語っていきます。

ヤッファでペトロが見た幻がありました。昼の12時ごろ、祈るために屋上に上ったのです。ペトロは空腹を覚え、何か食べたいと思いました。人々は食事の準備をしているのです。ペトロは自分を忘れたようになり、天が開き、大きな布のような入れ物が四隅に吊るされて、地上に下りて来るのを見るのです。その中には、あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていました。そして、天使が「ペトロよ、身を起し、屠って食べなさい」といいます。ペトロは「主よ、とんでもないことです。清くないもの、汚れたものは何一つ食べたことがありません」と答えます。すると、天使は「神が清めたものを清くないなどと、あなたはいってはならない」と答えています。このようなやり取りが3回ありました。このやり取りは、神の大きな計画の中にあったのです。これは変更というのではなく、最初から神によって、計画されていたことでした。

神の救いは、ユダヤ人を通して、すべての人々に及んでいくということです。ユダヤ人に与えられていた神の救いが、ユダヤ人を通して、すべての人々、すべての異邦人に及んでいくのです。神の救いは、ペトロからコルネリウスへ、そして、すべての人々に伝えられていくというのです。キリストの平和を考える時に、このように神の救いが、すべての人々に与えられていく。イエス・キリストの福音がユダヤ人から異邦人へ伝えられていく。このことが本当の平和だと私は考えます。もちろん、戦争がないことや戦争が終ることが平和になるということです。それ以上に、イエス・キリストの福音が、すべての人々に与えられていく、伝えられていくことが、神が与えてくださる真の平和です。

祈り 神よ、あなたを礼拝することができましたことを心から感謝します。私たちは平和聖日を守りました。今から79年前の悲劇を決して忘れることがありませんように、同じ過ちを繰り返すことがありませんように守り導いてください。今、世界で起っている戦争を止めてください。私たちはそのことを祈ることしかできません。これ以上に悲しみを増やすことがありませんように、心から願います。イエス・キリストの福音がすべての人々に伝えられていきます。神の平和が与えられていくことに深く感謝します。この感謝を、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。