今日の仕事、半端なく忙しく。
月末だったり、年末でもあり
年賀状の詰めしたり
慌ただしく、入金処理したり・・・。
いやあ 年末らしい一日でした。
明日は、会社の大掃除。
それにあわせて
今日の年末月末処理の整理して
散らかったままの机を整理しなくては。
子供たちの年賀状は半分くらい
文字書くまで準備してあげた。
自分のぶんは・・・後回しですね。
しょうがない。
今年は、いろんなことが有りましたね。
一番の出来事は東日本大震災であり
今年の年越しを、東北の方々がどう過ごすのだろう?
と、かなり心配であります。
4年前の今頃、年を超すことなど
考えることができませんでした。
まだまだ彼が居なくなったとは思いきれず
ただ、年末の慌ただしさは
毎年の事で変わることなく繰り返されていて
寒い寒い冬がきて
とにかく忙しいというだけで
なんとかやり過ごしていた。
何をみていても もう、彼は居ないんだ・・・。
と、思ってしまう自分がいて
そして、子どもたちだけは
当たり前の暮らしが送れますように・・・と
そればかりを願い。
自分の事など どうでもよかった。
それは たぶん今も変わらないままでいます。
自分の事など、どうだっていい。
何の見返りはなくてもいいから
どうか どうか 彼が遺してくれた
この我が子たちが 普通で当たり前の
喜びとか 嬉しさとか 楽しさとか
経験を積むべき 悔しさとか
辛さとか 残念さとか 寂しさも全部が
自分のかけらとして胸の内の
宝物とする経験になりますように。
こういった刹那な考え方をするようになったのは
あれからであって、周りの人たちが
いつもそれで私を心配してくれて、
それはとてもありがたいと思うのですが
それは涙が溢れるほどありがとうと思うのですが。
でも、私は、それ以上のことを望むことが
どうしても出来ずに
やっぱり 自分はどうだっていいと思ってしまうのです。
こうなればイイな と、思うことの全てが
子供たちの未来に関係することであり
それは 難しい課題があってそうなる出来事ではなく
ごくごく当たり前の生活を送ってくれたらと
それだけを望む自分がいます。
それができるために自分が居るとも想い
私がいるから当たり前ではないのかもしれないとも
自己嫌悪したり。
なーんか 暗い!!!
暗いね?暗いよね、私?
言いたいことはね。ひとつだけある。
わかったことがあるの。
人って生き物はね、自分がこうしたい
自分がこうであればいい
自分がこうしたい。
そう思うよりずっと、強く願いが生まれることがあって
それによって 現実的に努力する生き物だと言う事。
大切な人が どう思うのか
大切な人が めっちゃ喜ぶ
大切な人が 嬉しそうに笑う
大切な人が 悲しくて泣く
大切な人が 自分を思って苦しむ。
自分より 大切な人の感情がどうである。と
考えたときに 現実で、今、
出来る力すべてを出し切って、
最善を発揮できる生きものだということです。
あなたの大切な人の笑顔は
どんな時にみることができますか?
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昨日たまたま観た朝ドラのカーネーション
気になっていたのですが
今日銀行の待ち時間で観ることができました。
こどもたちが運んできた赤い花びらをこぼして
嗚咽をあげて、止めることなく泣く主人公を観た。
泣く って、 本当に悲しいときは
簡単にできない。
ただ、こうやって 別のきっかけがあって
それで 泣けることもある。
泣きたくても泣けない。
泣いてもいいよ って誰が言っても泣けない。
泣くってなんなの?
どんなとき人って泣くのかすら
そんなこともわからなくなるほどの出来事があれば
何をどうすれば泣けるのかわからなくなる。
何がどうであれば 泣く事になるのかがわからない。
怒ることも同じだけどね。
泣くこと 怒ること 悔しいこと
辛いこと きつい事 そんなネガティブな事より
嬉しいこと 楽しいこと あたたかな気持ちになることが
より価値があるってそう思ってるから
ネガティブな気持ちは、よっぽどじゃなきゃ
表現しないつもりになってしまうんだけど。
でも、泣くこと 怒ること 悔しいこと
辛いこと きつい事 そんな出来事があるからこそ
嬉しいこと 楽しいこと そんな事の意味を
知ることってあるんだ。
私は、彼が居なくなるまで
夜は遅くまで仕事をしてた。
子供のことなんて 時々思い出すくらいだったし
今みたいに喜んでもらうための料理もしなかった。
思ってることも 伝えることで関係がおかしくなるから
言わなかったし 違うと思うことをしてる人がいても
それはイイねと思うことをしてる人がいても
ただ 通り過ぎていた。
面倒くさいことはイヤだ
嫌われるのはイヤだ
疲れるからイヤだ
時間取られて勿体ないからイヤだ。
色んな気持ちがあった。
でも あれから
目の前にいるのが
自分と同じ 人間 としての存在なんだ。と
思うようになった。
だから 思うことを話してきた。
それによって 離れていく人ももちろんいた。
だけど、つくらないで生きてきた分
ギャップのない私の傍にいてくれる人が
今は沢山いる。
昔はよく言われた
”あっきんは 仮面をかぶってる
良い人の仮面をかぶってるから
その仮面を無理やりにでもはがしたい!”
って。 人の評価が気になって
大事にするべき人を大事にできていなかった。
来年は もっと 正直に生きる。
それが 喪った命に対する
その人の分まで生きるという
そう言った意味だともう知ってしまったから。
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失うことで得ていくもの
光の傍にできる影
冬の凍える寒さを経験して
芽吹く ふきのとう。
白い息でみる 雪の美しさ。
静かな朝に踏む 霜柱のサクサクという音。
雨上がりの虹も
嵐の後の透き通るような青空も。
全部が相反する出来事があってこその美しさ。
私達は 知るために生まれてきた。
この辛さも この美しさも全部。
相反する言葉が好きです。
どんなときも強く しなやかに生きられますように。
来年も 再来年もずっと。
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あんなこと言われて傷つかないの? と
たまに聞かれます。
傷つかないよ。と答えます。
だって、言葉ってのは
自分を護るために出ることもあるし
だからそうなんだろうって思うこともあるし
だけど、なんでそうなのかな?って
そうは深く考えるけど。
明日は、ちょっと今日とは真逆な話をするつもり。
いい日になるといいな・・・。