ちょっと最近、ザイコさんについてのポストが流れて来たのでザイコさんについて僕なりに色々考えてみたんです。


 ザイコさんに対して、あまり心良く思ってない方々がいらっしゃるようです。 


 もちろん、その理由も分かります。


 ミカエルさんから離れ、ミカエルさん自身から「彼から学ぶ事は勧めない」と言われた。 


 その彼、ザイコさんがセミナーをしている。 


 確かに「不義理」に見えます。 


 でもザイコさんは「システマ」と名乗ってセミナーを開催してません。 

 聞いた話によるとザイコさん自身、自分が教えるものは何も名をつけないで教えると言っていたそうです。 


 それで思ったんです。なんで何も名をつけないか。


 ザイコさんはシステマを教えようとしてない。システマを通して学んだ『良いもの』を伝えようとしてるんじゃないのか?
名をつけようとしてないんじゃなく、名前のつけようのない『良いもの』を伝えようとしてるんじゃないか?


 ザイコさんのセミナーには何度か参加させて頂きましたが、ザイコさんの教えてくれるものはシステマだけじゃなく、全てのマーシャルアーツに通じるもの、もっと言えば人生そのものに通じるものを伝えようとしていた気がします。

 だからセミナータイトルが「Peace making」だったんじゃないでしょうか。 


 そんで思ったんです。何でザイコさんを心良く思ってない人達がいるのかって。


 もしかしたら、その人達はシステマという枠組みに囚われてるからじゃないでしょうか?


 システマから離れたザイコさんがシステマっぽいセミナーをしてると思ってる。
だから心良く思ってないんじゃないのかって。


 ザイコさんはシステマから離れた人、つまりシステマと名付けられた枠組みから離れて自由になった人、守破離の『離』の境地に達した人なのではないのでしょうか? 


 多分なんですが、ザイコさんは本当にシステマを教えてるつもりは無いと思います。

マーシャルアーツですらありません。もっと本質的な何かです。


 「システマという枠組みからザイコさんを批判する事は、実は的外れなんじゃないか?」と、このパッパラパーで残念な脳みそを持った僕は考えたんです。


 まぁ、こんな感じです(笑)


 ホントにダラダラと書き綴ってしまいました。


 インストラクターでもIitでもない、システマの末席を汚す僕が考えた事です。「馬鹿な事をほざいている」と鼻で笑って頂ければ幸いです。


 そしてこの長文駄文の中に、不愉快な表現もあったかと思います。
僕にはどうしても文才が無く、これ以外の表現がどうしても出来ませんでした。読まれてご気分を損ねられた方がいらっしゃったのなら、この場で謝罪致します。本当に申し訳ありません。


 そしてそして、 


 ザイコさんについてポストされた方々、本当にありがとうございます。


 改めてザイコさんについて真剣に考える事が出来、そしてお粗末ながら上記のような考えに至ることが出来ました。 


 もちろん、人によってはザイコさんがやってる事は不義理に見えるし、そのザイコさんのセミナーに行く人は無節操だと評する方もいらっしゃるでしょう。


 それはしょうがない事です。その人が誰かをどう評価するかはその人の自由ですから。

その自由は保障されるべきものです。 


 でも僕はこう思います。ザイコさんはシステマを教えてるのでは無い。

システマにも他のマーシャルアーツにも、広く言えば人生にも通じる『本質的な何か』を伝えようとしている。

 僕らはそれを学びに行っているんです。 


 詭弁に聞こえるかもしれませんね。 


 それでも僕はこう言わせて頂きます。


 ザイコさんは本当に素晴らしい。 


 最後まで読んで頂き、誠にありがとう御座いました。