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等々力で想う学生のブログ(blog)

日々の学び、気づきのストックの場。



自分がより充実した日々を送るためのブログ。

前のエントリーで書いた面接は落ちました!

おかげでしっかり単位をとりました 笑


そして友人と100万を取りに行ったエントリーシートは落ちました!

おかげで来週時間が出来真下 笑


若干ショックである二つの出来事であるが、実は今の自分に取ってプライオリティーの置き方を修正してくれる出来事かもって。

というか受かっていたら、たぶんやるべきことがおろそかになっていた。

うん。そう考えると世の中ってうまく出来ている。


もちろん自分のキャパが見えたような悔しさもまたある。


ただ今はお盆の無人島に向けて、そして夏休みを有意義にするために、どうするか考え、動きたい。

自分の目指す物、自分のバリュー、自分の欠点、色々自分を見ながら過ごす時期になると思う。


僕は決断をできるだけしない事で今を頑張って生きているきがするが、
そろそろ変化すべきかもしれない。

というか、自分がコレだ!って決断できるものが見えてきそうな気がしています。

いつになくその感覚が強い。

どんな??って言われても言葉にならないけど、その感覚だけはあります。


やはり大学3年も半分終わったと言う状況は大きいのだろうと思う。

いやはや楽しい日々。

とまってられない。プッシュプッシュ

そして自分のキャパを超えてみせる。
自分の行動を分析すると、面白いフラクタルな状況が生まれていることに気がついた。

フラクタルとは、全体とその部分が相似形になっていることを言う。(詳しくは<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%AB">コチラ</a>)

どうなっているかと言うと、

一年のうち、学期中は大学、長期休暇はビジネスをしたり、考えたりする事が主。

もう少しミクロになると一週間のうち6日は大学に行ってほぼ設計をして、1日はベンチャー企業で働く。

そして、基本的に毎日朝の1時間半をビジネスへの興味が共通点の友人とあってお互い勉強。

とまあ、8;2とか7;3の状況がミクロマクロどの状況でも建築:ビジネス

みたいになっている。

これは自分としてはとても興味深かった。

多分、ミクロでもマクロでもパラダイムを変える事で、全体へ影響して行くんだろうと感じる。
しばらく、ブログを書かなかったのは、自分の中でのブログの意義をちょっと見失っていたから。


でもやっぱり意味はある。

アウトプットの場って重要。

もちろんコミュニケーションの中でのアウトプットも大事ですが、それと比べた利点としては、アウトプットが残る事。

会話などでは、自分だけでは出て来ないものを出せると言う利点もあるから、

その双方をうまく使って行きたです。

あと、時間が無いからっていうのは、言いたくないですね。

ということで、誰のためでもなく自分のためにつづけていきたい。
今の自分は何を求めているのかわからない。

何をしてもダメな次期ってあるみたいだ。

今はそんな感じ。

ひたすら堪えるしかない。
社会学者の方の本などはとても勉強になる。

たとえば、東浩紀氏のいう動物化している現代人を

まさに、渋谷のバイキングの場でかいま見れた。

ケーキバイキングというのは、そもそもそんな社会学的観点から

マーケティングして行く事は無いだろうが、もしそういうことが

できれば、あらたなサービスが滞ることなく、成功する事も

無い話ではないと思う。


先に紹介したバイキングでは、バイキングと言う形式の持つ、

食べての一見自由な選択権が与えられるという特徴は多いに興味深い。

建築家吉村靖孝氏が建築雑誌『10+1』でswatchについて述べていたが、

swatchは、大量の選択肢を与えられる事で消費者は、そこの中から選択

することに満足し、あたかも自分が欲しかったものが手に入るような感覚に

なる。といったことを書いていたが、このバイキングでもそうだ。

自分が好きかどうかではなく、その選択可能性に魅了されている。

また、筆者の隣に座った女子高生とおぼしき人たちは

「4種類も取っちゃった」といってはしゃいでいて、また

「新しいの出たよ!」と言ってさらに盛り上がる。

まさに上記の面があると確信した事は言わずもがなだろう。


逆に考えてみる。

現代社会でそういった、動物化した現代人に向けたサービスをするのであれば、

例えば今回の例がわかりやすいので、そのままひきだすと、

そういった、仮想的に内部化した、つまりそれが全てでそこから選択する

ことが幸せな事だ。と消費者が思えば、そこで消費する事は当たり前の事である。

その観点から、ましてや現代のそういった人々の集まる象徴ともなる

渋谷にそのバイキングをつくることも自然の事である様に思ってくる。




やはりそういった社会学的観点、経済学的観点など様々存在する視点であるが、

現代はその視点さえもボーダレスに利用し得る時代なのだろう。

ボーダレス社会を国境や言語と言った局部で見るのではなく、

職域や、こういった視点さえもその傾向があるということを

考えながら生きるのとそうではないのでは、数年後に差ができるであろう。