最近、北斗晶をキッカケに世間を賑わしている乳癌。
うちの母親も私が10歳の時に乳癌で亡くなった。
その時のことを思い出します。
もう母がいた期間より、いない期間の方が長くなってしまった。
以前、当時の話を父から聞いた。
母は、看護士だったので、癌だというのは薄々気付いていたらしい。
だが、仕事や育児で自分のことを後回しにしたせいで治療開始が遅れ、北斗晶の様に片方の乳房を全摘したり、抗癌剤治療などを施したが、気付けば半身に転移しており、できて延命治療しかできない状態にまでなってしまっていた。
延命治療は、生きる期間はのびるが、副作用などが強く、病院から出られないくらいらしい。
そこで医師に、延命治療するか、余生を家族と過ごすか、選択を迫られた。
母は、全ての判断を父に委ねたと言う。
父は、車を買った。
家族皆でいろんな場所に行けるくらいの、大きな車。
想い出をたくさん作るために。
当時の僕はそんな訳を知る由もなかった。
わー新しい車だー!
くらいの感じだった。
我が家はその車でいろんな場所へ行った。
家族4人で。
楽しかった。
色んな思い出ができた。
時は流れてある年の2月下旬、父に呼ばれ、戸田家初の家族会議が開かれた。
そこで父がこうきり出した。
「もしかしたら、お母さん死んじゃうかもしれない。」
そのときは、何もわかっていなかった。
母がいなくなる事がどういうことかを。
そして3月10日の午前3時10分。
急に父に起こされ、病院へ。
外はまだ暗かった。
今でも起こされた時に見た枕元のデジタル時計の数字をはっきりと覚えている。
病室のベッドの上。
母は、必死で生きようとしていた。
そして数分後、
激しく体を揺らし、痛みと苦しみと闘い続けた母は、ベッドの横で手を握る僕らに、「ありがとう」と一言残し、逝ってしまった。
とたんに、すごい力だった手のひらが、
すーっと力が抜けていくのがわかった。
僕は何も言えなかった。
ただ泣いていた。
ただ泣き続けた。
あれから21年。
ある日実家に帰ると、ニコニコしながらケーキを買って帰ってきた父と遭遇した。
「どうしたの?」
と聞くと、
「今日はお父さんとお母さんの結婚記念日なんだー♫」
と照れくさそうに笑っていた。
よく聖書の誓いで
「死が二人を別つまで」
という文を耳にするが、あれは間違いだ。
死すら、別つことのできない絆を僕は見たのだ。
そんな両親の間に生まれた僕は幸せ者だ。
「母ちゃん、ありがとう。」
「父ちゃん、ありがとう。」