部屋を片付けていると、つい昔の雑誌を読み耽ってしまい先に進まない経験は、皆さんおありかとw
で、去年の春ごろのアエラ。
特集は安保がらみというか改憲というか、そのあたり。
余談だが、3年くらい前まではあんなに良く読んでいたアエラだが、最近はさっぱり読まない。どういう風の吹きまわしだか知らないが、このところ受験と就職と職場でのスキルアップ&悩み解決特集ばかりの劣化版プレジデントみたいなことになっていて、なんか読んでいられなかった。まあ部数も落ちてるんでしょうかね。30代~40代あたりのコア読者層の実用書的に興味を引くネタがそのへんだったのかもしれません。
そんなこんなではあるものの、たまには買ってみましたという号でした。で、ペラペラと読み進んでい行くと、学校での憲法やらなんやらの教育はどうするのかみたいなところに、わが母校の母体である和光学園、というか和光小学校が記事になってるじゃないですか。
わが母校の和光大学では、下から上がってきた連中のことをちょっとばかり馬鹿にして「学園上がり」と言っていたりした。要するに、リベラル教育がダメな方向に向かった教育を受けてきた連中を揶揄する意味合いでした。とは言え和光学園の正確な実態やカリキュラムを知っているわけではないので、けっこうな言いがかりであった部分もあると思いますし、そもそも人によると言う話なのですが、でも総論的には当たらずも遠からずな部分もあったかと思っています。
それで話しを戻して、じゃあ記事は何だと言うと、まあそういうことですよ。。。
和光学園では、小学生がこんなにも政治的な議論をしています、考えさせてます、と。。。
あー・・・
そうなのかー・・・
子供のころから政治に関心を持たせよう、そういうことを考える素地をつくろう、みたいな話しは「暗記詰め込み受験はダメだ、考える力をつけなければいけない」という類の話しなんかと同じような文脈で推奨され気味な、このご時世ですが、いやーそれはいらないでしょうw 小学生が政治なんぞに関心を持つ必要は無いんじゃないですかね。もちろん自発的に関心を持つことを否定するものではありません。しかし教育の一環として故意に関心を持たせることには何のメリットも無いし、むしろデメリットが大きい。
現実的に政治家が高等な人間であるかどうかはともかく、本来は政治そのものは非常に高度な論理性、コミュニケーション力、プレゼンテーション力、ある程度以上に深さを伴いつつ広範な政治に関連する知識、雑学的な知見の高さ、豊かな人生経験が、それらがどれ不足なく総合的に求められる非常に高度な行為です。当然ですね。
またまた余談ですが、確率論的には政治家になるのは大学受験より遥かに簡単です。単に数字的に見れば、倍率は高くても3倍4倍程度、1倍台になることも普通に発生します。
また大学には合格するのに必要な偏差値というものがあります。偏差値は結果論なので、凄いレベルの低い受験生しか来なければ、東大でもその年の偏差値は40にでも30にでもなります。でもそうはならないのは、東大に受かるには70以上の偏差値が必要という予測が過去の結果からなされるので、次の受験でも自動的にそのあたりの偏差値を備えた受験生が集まってくる、ということが連綿と繰り返されるからです。しかし選挙にはそう言った暗黙の制限みたいなものはない。極端な話し、国政選挙にその選挙区で最も頭の悪い人と、2番目に頭が悪い人が2人立候補したとして、その選挙区が1人区であれば、その馬鹿候補者のどちらかが50%の確率で国会議員になり、そして何れにせよ恐ろしく馬鹿なその人が、この国の未来を決める一員になります。そしてそんな緩い条件で集まってきた750名程度の議員の長=社長が総理大臣です。優秀な人材が集まった伸び盛りの750人の社員を抱える中小企業の社長になるのと、どっちが大変でしょうね。
閑話休題。
しかし子供にはそんな高度な知力はありません。むしろ、お父さんが「中国人は馬鹿ばかりだ」と家で言っていれば、その子供は学校で「中国人は馬鹿ばかりだから」と言いだすことでしょう。もちろんその構図は大人だって同じで、夕刊フジあたりが「無能で恥知らずの首相」と書き立てれば、それを読んで、居酒屋でベロベロになりながら喜んで夕刊フジの記事をまねして首相批判をする阿呆もにいますけど、それはもはや論評の対象にする価値も無いので無視です。
じゃあといって子供に何を考えせるのか。
子供にそんな高度な論理性など必要もないし、まして上っ面の政治意識なんて不要なのです。まず必要なことは、小学生として普通の生活の中から人間関係を作ると言うことがどういうことなのか、信用を得るとはどいうことなのか、クラスの事を考えるとはどういうことなのか、生き物を食べるというのはどういうことなのか、いじめるってどういうことなのか、親ってなんだろう、そういう当たり前のことを当たり前に考えること、その時に対象を多面的にとらえながら自分で思索を練り上げて行く経験、そういう人間としての基礎的なポテンシャルを子供なりの生活に根付いた地続きなところで備えて行くことが大切ですよね。
そんなことがしっかりと骨身に染みるように理解できていない子供に、原発はどうだ、安全保障はどうだなどという下らない議論をさせることは、エセ大人意識を醸成させ、根も無いのに葉だけ茂らせようとするような、浮ついたイケ好かない人間を作ることになります。そうやって、まったく本質的ではなく柔軟性のない中途半端な社会意識を持ち、見当はずれな社会運動をしたがる類の困った人間が出来あがるのです。
で、去年の春ごろのアエラ。
特集は安保がらみというか改憲というか、そのあたり。
余談だが、3年くらい前まではあんなに良く読んでいたアエラだが、最近はさっぱり読まない。どういう風の吹きまわしだか知らないが、このところ受験と就職と職場でのスキルアップ&悩み解決特集ばかりの劣化版プレジデントみたいなことになっていて、なんか読んでいられなかった。まあ部数も落ちてるんでしょうかね。30代~40代あたりのコア読者層の実用書的に興味を引くネタがそのへんだったのかもしれません。
そんなこんなではあるものの、たまには買ってみましたという号でした。で、ペラペラと読み進んでい行くと、学校での憲法やらなんやらの教育はどうするのかみたいなところに、わが母校の母体である和光学園、というか和光小学校が記事になってるじゃないですか。
わが母校の和光大学では、下から上がってきた連中のことをちょっとばかり馬鹿にして「学園上がり」と言っていたりした。要するに、リベラル教育がダメな方向に向かった教育を受けてきた連中を揶揄する意味合いでした。とは言え和光学園の正確な実態やカリキュラムを知っているわけではないので、けっこうな言いがかりであった部分もあると思いますし、そもそも人によると言う話なのですが、でも総論的には当たらずも遠からずな部分もあったかと思っています。
それで話しを戻して、じゃあ記事は何だと言うと、まあそういうことですよ。。。
和光学園では、小学生がこんなにも政治的な議論をしています、考えさせてます、と。。。
あー・・・
そうなのかー・・・
子供のころから政治に関心を持たせよう、そういうことを考える素地をつくろう、みたいな話しは「暗記詰め込み受験はダメだ、考える力をつけなければいけない」という類の話しなんかと同じような文脈で推奨され気味な、このご時世ですが、いやーそれはいらないでしょうw 小学生が政治なんぞに関心を持つ必要は無いんじゃないですかね。もちろん自発的に関心を持つことを否定するものではありません。しかし教育の一環として故意に関心を持たせることには何のメリットも無いし、むしろデメリットが大きい。
現実的に政治家が高等な人間であるかどうかはともかく、本来は政治そのものは非常に高度な論理性、コミュニケーション力、プレゼンテーション力、ある程度以上に深さを伴いつつ広範な政治に関連する知識、雑学的な知見の高さ、豊かな人生経験が、それらがどれ不足なく総合的に求められる非常に高度な行為です。当然ですね。
またまた余談ですが、確率論的には政治家になるのは大学受験より遥かに簡単です。単に数字的に見れば、倍率は高くても3倍4倍程度、1倍台になることも普通に発生します。
また大学には合格するのに必要な偏差値というものがあります。偏差値は結果論なので、凄いレベルの低い受験生しか来なければ、東大でもその年の偏差値は40にでも30にでもなります。でもそうはならないのは、東大に受かるには70以上の偏差値が必要という予測が過去の結果からなされるので、次の受験でも自動的にそのあたりの偏差値を備えた受験生が集まってくる、ということが連綿と繰り返されるからです。しかし選挙にはそう言った暗黙の制限みたいなものはない。極端な話し、国政選挙にその選挙区で最も頭の悪い人と、2番目に頭が悪い人が2人立候補したとして、その選挙区が1人区であれば、その馬鹿候補者のどちらかが50%の確率で国会議員になり、そして何れにせよ恐ろしく馬鹿なその人が、この国の未来を決める一員になります。そしてそんな緩い条件で集まってきた750名程度の議員の長=社長が総理大臣です。優秀な人材が集まった伸び盛りの750人の社員を抱える中小企業の社長になるのと、どっちが大変でしょうね。
閑話休題。
しかし子供にはそんな高度な知力はありません。むしろ、お父さんが「中国人は馬鹿ばかりだ」と家で言っていれば、その子供は学校で「中国人は馬鹿ばかりだから」と言いだすことでしょう。もちろんその構図は大人だって同じで、夕刊フジあたりが「無能で恥知らずの首相」と書き立てれば、それを読んで、居酒屋でベロベロになりながら喜んで夕刊フジの記事をまねして首相批判をする阿呆もにいますけど、それはもはや論評の対象にする価値も無いので無視です。
じゃあといって子供に何を考えせるのか。
子供にそんな高度な論理性など必要もないし、まして上っ面の政治意識なんて不要なのです。まず必要なことは、小学生として普通の生活の中から人間関係を作ると言うことがどういうことなのか、信用を得るとはどいうことなのか、クラスの事を考えるとはどういうことなのか、生き物を食べるというのはどういうことなのか、いじめるってどういうことなのか、親ってなんだろう、そういう当たり前のことを当たり前に考えること、その時に対象を多面的にとらえながら自分で思索を練り上げて行く経験、そういう人間としての基礎的なポテンシャルを子供なりの生活に根付いた地続きなところで備えて行くことが大切ですよね。
そんなことがしっかりと骨身に染みるように理解できていない子供に、原発はどうだ、安全保障はどうだなどという下らない議論をさせることは、エセ大人意識を醸成させ、根も無いのに葉だけ茂らせようとするような、浮ついたイケ好かない人間を作ることになります。そうやって、まったく本質的ではなく柔軟性のない中途半端な社会意識を持ち、見当はずれな社会運動をしたがる類の困った人間が出来あがるのです。