
結果は、「陰陽寮」最終巻よりもはるかに読み応えがあった。
実は「清明百物語」と書いてあるが、直接「陰陽寮」に関連付けられた物語はほとんどない短編集である。安倍清明が現れる物語自体が少ないので、全体を「清明百物語」と名づけるのさえはばかられるものなのだが。
全体を通す縦軸の設定は意外にも、小泉八雲ことラフカディオ・ハーンである。近代日本と清明にどのようなかかわりがあるのか、というのは実際に読んでいただいた方がいいと思うが、一見無関係そうな取り合わせで、日本史上のさまざまな人物を結びつけて、その接点を大胆に膨らます、というのはこの作家のもっとも得意とする作劇手法である。あまり細かい事実関係の整合性にはこだわらないダイナミズム、と言うのは北海道のようなおおらかで骨太な風土だから培われたのかもしれない。
短編それぞれは、清明の時代から、信長・秀吉の天下統一を経て明治維新のころまで、縦横無尽。題材も親子の情愛を中心に、人間のさまざまな欲望をきっかけとする物語が続く。中には「果心居士」のように、もっと膨らませて中・長編にしても面白かったかも、と思わせるものもあるが、物語の主人公を一人に絞って一気呵成に書き下ろした勢いがそのまま物語のドライブとして機能している。主人公を乱立させすぎて収集し切れなかった「陰陽寮」とは対照的である。
エンディングでは、一見無関係に見えた「陰陽寮」シリーズとの意外な接点も明かされ、我慢して読破した読者には何がしかの慰めにもなっている。
通勤の電車の中でも読めるほど、佳作ぞろいの小品集、お勧めします。