最近、自分の生活が、妙に映画っぽくなってきた気がする。
Perfect Days
あの、役所広司主演の映画。
自分はあそこまではストイックではない。
現実はもっと散らかっているし、疲れているし、腹も立つ。
でも、生活の「空気感」が少し近づいている気がするのだ。
今の塾に転職した頃、妻から言われたことがある。
「夕食は外で済ませてきて」
帰宅後に食べると時間が遅くなりすぎるから、
勤務の合間に食べてこいという意味だった。
確かに理屈はわかる。
でも、自分の場合、勤務中にしっかり食べると腹を下しやすい。
だから、合間に食べるのは軽食程度。
結局、本格的な夕食は勤務後になる。
ところが、家に帰って食べようとすると、
どこか「まだ食べてないの?」という空気になる。
そこで今はどうしているかというと、
遅い時間に外で食べたり、
弁当を買って、自分の部屋で食べたりしている。
そんなことを繰り返しているうちに、
「食事を用意してもらう」
ということ自体が、
だんだん鬱陶しく感じるようになってきた。
だから最近は、
休みの日ですら、妻の料理をほとんど食べない。
日曜日などは、
家族と時間をずらして、
自分でパスタを作る。
これだけ書くと、
かなり険悪な家庭みたいだけれど、
別にそういうわけでもない。
今日は、長女が仕事のトラブルで落ち込んでいたらしく、
妻は寿司を買ってきていた。
でも、その中に僕の分はない。
正直、少し理不尽な気持ちにはなる。
生活費だって出しているのに。
でも一方で、
「自分でそういう流れを作ったんだろ」
という感覚もある。
しかも今の生活には、
自由さもある。
誰にも食事を管理されない。
何時に食べてもいい。
何を食べてもいい。
コンビニ弁当でも、
深夜のラーメンでも、
すっかりルーティン化した
お手製のパスタでもいい。
それはそれで、
妙に気楽なのだ。
でも、今日みたいに、
家族だけで寿司を囲んでいる空気を感じると、
少しだけ胸がざわつく。
たぶんこれは、
「どちらが正しいか」
の話ではない。
妻の言い分にも合理性はある。
自分の身体感覚にも理由がある。
そして今の生活には、
・自由さ
・一人の時間
・自分のペース
も確かにある。
でもその代わり、
・家族の食卓から少し離れる寂しさ
もある。
人って不思議だ。
自由を求めて距離を取ったはずなのに、
完全には切れないつながりも欲しくなる。
そんなことを考えていたら、
ふと思った。
最近の自分、
妙に『Perfect Days』っぽいな、と。
一人で働いて、
一人で飯を食べて、
静かなルーティンを繰り返す。
ノートを開き、
東大の現代文を読み、
苦手な古文をどうしようかと悩み、
疲れた合間にコーヒーを飲む。
あの映画は、
「孤独=不幸」
として描いていなかった。
むしろ、
・木漏れ日
・缶コーヒー
・古い音楽
・静かな部屋
そういうものの中に、
小さな救いがある映画だった。
一方自分はというと、
別に、人生が整っているわけじゃない。
むしろ、
かなり中途半端だ。
家族との距離感も、
仕事の不安も、
教育への迷いも、
全部まだ途中。
でも、
夕方や夜の時間に
机に向かっているときは、
少し静かでいられる。
ざわついた心も沈まる。
最近は、
そういう時間が、
前より大切だし、
おそろしいことに
そういうものに囲まれた自分が
出来上がりつつある。
人は思ったようになる。というのは、
こういうことも指しているのかもしれない。
