童謡は子供合唱団などで歌われることが多い。それは歌の題材が「子守歌」などにおけるように貧困ゆえに労働を強いられた幼い子供たちなので、子供たちが歌うのが良いと思われているからだろう。しかし現代では、ある程度人生経験を積んだ大人にしか童謡の歌詞を肌身に感じて理解できないのではないだろうか。例えば野口雨情の「シャボン玉」には、「シャボン玉飛んだ、屋根まで飛んで、壊れて消えた」という歌詞は、子供がシャボン玉を飛ばして楽しんでいる情景の描写であろうが、その詩には「我が子が幼くして、あたかもシャボン玉が突然パチンと割れたかのように亡くなってしまったという現実の悲痛な叫び」がある。「赤とんぼ」は幼き日への郷愁と共に、若くして嫁に行った姉への思慕の歌である。童謡も演歌同様に、大人の歌手が歌詞をよく理解して歌うのが良い、と私は思う。

 

 

「叱られて」は、主人に叱られて夕暮れ時に町にお使いに出された幼い奉公人やぐずってなかなか眠らない赤子に手を焼く子守女の苦労の歌である。彼らのふるさとはあの山を越えた、きれいな花の咲くところ。しかし、そこに帰れるのは盆と正月だが、その時に着るきれいな衣装はない。都はるみはこれらを甘さを含んだ豊穣な声で童謡らしく素直に歌っている。これらはレコード・アルバム「四つの愛の詩(うた)」(1972年発売)に収録されている。このアルバムには都はるみの低い声のナレーションが歌の合間にかなり長く入っている、珍しく。

 

「竹田の子守唄」

 この歌も「四つの愛の詩」に収録されている。1971年に「赤い鳥]というグループがこの歌を世に出しヒットした。それは知る人ぞ知るという類の名曲であり、名唱だった。その歌はその後放送禁止になり、二十年以上経ってから禁止は解除された。この間の事情は、「竹田の子守唄・名曲に隠された真実」(藤田正著、解放出版社)に詳しい。簡単に説明すると、この元歌はおそらく京都市伏見区の被差別部落で生まれたものであり、この歌が部落解放同盟の全国集会で唄われたから、放送界の自主的判断によって「放送禁止歌」になったゆえである。何とも、お粗末な脳味噌の放送界としか言いようがない。そして、ある年月を経て、桑田啓祐(?)を始めとする大物アーティスト達が、この歌を取り上げてNHKなどで歌ったことによって、再び陽の目を見るのである。この歌の中の「・・この在所(ざいしょ)超えて」の在所は通常社会と差別部落の境界であり、子守女はそれを超えて通常社会から被差別部落に戻るのである。このことを理解すると、この歌の一語一語が一層心に沁みてくる。都はるみはこの曲を純粋な子守唄として、素朴に唄っている。

 

「白い花の咲くころ」

寺尾智沙作詞、田村しげる作曲、成田征英編曲のこの歌は、ふる里を離れた遠い日、白い花の咲くころの切ない別離の抒情歌である。

「さよならといったら 黙ってうつむいてた お下げ髪」

「さよならといったら 涙の瞳で じっと見つめてた」

そのような悲しみを胸に故郷を離れた男が、過去を想い、ふる里を、幼馴染の少女を偲ぶ歌である。都はるみはその男の郷愁を憂いを含んだ声で切なく歌っている。