10代の頃のことはもう正直覚えていないことが多い。
今更だけど、15歳がすでに10年前という事実にびっくりする。チャットモンチーに夢中になり、BUMP OF CHICKENのギルドに救われたような気になっていた君は、一体どこに行ってしまったんでしょう、と思うほどに。今では顔もわからない赤の他人のように思える。
が、そんな風に大人になったふりをしていた自分の横っ面を張っ倒す本に今日出会ってしまった。最果タヒと言う人が書いた「十代に共感する奴はみんな嘘つき」。
最初の文章からいきなり詩のような文体で感情を畳み掛けてくる。独白パートかな、と思いながら読み進めているとこれが一向に終わらない。そこで唐突に主人公がある男の子に告白した、という描写が差し込まれ、その後も独白は止まらない。独白と主人公たちの会話が渾然一体となり物語が進んでいき、最後まで怒涛の勢いで突っ走る。その勢いに乗せられて最後まで読み切ってしまった。
真実がほしくて、揺るぎない確かなものが欲しくて、自分だけはそれに気づいていると周りを少しバカにしていて、そのくせ少しでも傷つけられたと感じると、感情がモンスターのように暴れ出して手がつけられなかった、あの感覚。そのまま生き続けるにはあまりに身が持たないから、自分から選んで捨てたはずのその感覚を生々しく思い出させられた。頭がクラクラした。
そして何より自分が思い出したのは、自分の姉のことだ。
(ここからは多少、勇気を持って書く)
人生には「この人がいなければ今の自分は存在していない」という人が何人かいるけれど、姉はそのひとりだ。それくらい自分の思春期において姉は絶対的な存在だった。当時の自分にとって姉は憧れのすべてだった。
自分と姉は子どもの頃から仲がめちゃくちゃ良かった訳ではなく、急接近したのは自分が中学生になってからだ。その頃姉がレミオロメンとかTHE BLUE HEARTSとか色んな音楽を好きになり始めていて、それを俺に紹介してくれたのがきっかけだったと思う。
思春期になってまず初めに気づくのが親の弱さだと、俺は思う。父は正しいような顔をして、全然正しくない短気で感情のコントロールができない人だったし、母は母で弱くて心配性で愛が重たくて、それに自分はイライラしていた。
そんな中でそれまでは大人しかった姉が、俺が中学に上がる頃、急に自分の言葉で正論をはっきり言うようになった。親を信じられなくなっていた当時の自分にとってはその姿がひどく眩しかった。姉の意見は当時の自分にとって唯一信じられるものだった。「どうしたらこの人が見れる景色を自分も見られるんだろう」と本気で悩んだ。バカでしょう。バカなんだけど、それくらい何か確かに見えるものが欲しかったんだと思う。
学校から家に帰るたび、母親に「◯◯ちゃん(姉のこと)帰ってきてる?」と確認し、姉の部屋に行っては音楽のことや学校での出来事とか色んなことを話した。姉が言う正論に言い返せなくて凹むこともしばしばあった。何かの時に「あんたはずるい。いつも逃げてる。学校では周りを騙せてるかもしれないけど、私は騙せないから」と言われて、それは今でも自分の中に残っている。
そしてこの小説の主人公の感情の動きとか考え方を見ていると、当時の姉を思い出してしまい、こちらも一気にあの頃に引き戻されたようになってしまった。
この小説の主人公は、今の自分から見てると非常にめんどくさい。そのめんどくささが当時の姉と重なるのだ(ごめんなさい)。そして姉の機嫌が悪くなったり感情が揺れるたびに、オタオタして「どうしよう。自分に何ができるんだろう…」と思っていた、当時の自分をもまた思い出して、平常心ではいられなくなる。顔から火が出るほど恥ずかしい。こうして書いてる今も恥ずかしくて、顔を隠したくなる。
今姉とはあの頃みたいに正面から互いの心と心をぶつけ合うように話すことはなく、たまに実家に帰ってくる時に映画を観るくらいだ。今の姉にあの頃の救いようのない憧れや尊敬の念を持つことはないが、その記憶は今も自分の中にある。当時感じたことや姉に言われたことは楔のように自分に突き刺さったままだ。それをまざまざと思い知らされた。
今もあの当時の自分は違う星に生きているんじゃないか、とたまに思うことがある。初めて自分が屈服せざるを得ない人が現れ、その人に認められたくて、乗り越えたくてやっきになっていた自分。彼と無理やり再会させられたような、そんな小説だった。