連日のように、
テレビを賑わしている神戸の小学校の問題。

教師間のいじめと言われるが、そんなもんじゃない。
いじめと、言われるような、
それで許されるような問題ではない。
処罰の対象、犯罪行為と思う。

しかし、対象教師を有給での自宅待機、
この問題を第三者委員会に任せている。
校長だけでなく教育委員会の姿勢も、被害者より加害者より。

しかし、神戸には優れた教育実践がある。
教育研究会をリードして、
何冊も教育実践書を出した人達、集団があった。

彼らが、管理職を目指したが叶わなかった人が多い。
神戸の問題には、根深いものがあるのだろう。

確かに、教師間にはいじめや無視など、人間関係の未熟さはある。
私も、教師間の守りあう人間関係から外れていたので
よく、仲間はずれにされたりいじめられた。

教師を退職して、
これからは執筆活動中心ねと言われたが
教師時代の怨みつらみを書きたくなかったので
ほとんど筆を取らなかった。

書くより忘れたかったので、英語を始めた。
英語の勉強は時間を必要として、
勉強の確認で、外国に出かけ現地の人と交流した。
文化圏の違う人たちの交流は楽しくて、
教師時代の辛い思い出を埋め合わせてくれた。

それと、もう一つ、
私をいじめた人たちが、次々と早死にしていく。
病気や火事や旅先で、、ポックリと。

「バチが当たったんよ」「長生きした方が勝ち」。

こういう根性悪さが、私へのいじめをより誘ったのかな?
ちょっぴり反省しながらも、長生きを目指してる。