私には同病院、同じ乳腺外科に見覚えのある人がいた。たぶんいとこの〇〇ちゃん。ずっと思ってた。
子どもの頃は遊んだ覚えがあったけど、そのうち疎遠になり大人になって年賀状を出すか、出さないかくらいの付き合い。でも感じる、たぶん、いとこの〇〇ちゃん。
むこうも同じように感じている雰囲気…。病院あるあるって訳じゃないけど、必要以上に知り合いに声をかけなかったり、目を合わせないようにあえてしたり…そんなことは無いのかな? 
しかもシビア?なガンとの闘病する乳腺外科、明らかに抗がん剤をやってるだろうという姿に、冷たさではなく、暗黙の気遣いっていうか。声をかけられなかった。
同じ曜日になることが多く、でも主治医が違い、それ以上近くなることはなかった。

でも、ある時から、いとこの〇〇ちゃんに叔母が付き添うようになった。叔母は私にも気づき、私と叔母は話をした。でもいとこの〇〇ちゃんとは直接話すことはなく、叔母も〇〇ちゃんの詳しい病状は話さなかった。
私の目には、酸素を使ったりしている私よりも、いとこの〇〇ちゃんは抗がん剤治療はしているが大変そうには見えなかった。
叔母は、「キキララちゃん、がんになんか負けないだよ。ウチの〇〇ちゃんはもう10年患ってるけど頑張ってるよ!大丈夫、大丈夫!」って会うたびに声をかけてくれた。叔母の励ましは私にとっては嬉しかった。
(後からわかったことだが、叔母はウチの私の両親と病気のことは話していたそう…。)


2ヶ月くらい前から、私の受診曜日が変わり、なかなかいとこの〇〇ちゃんにも叔母にも会わないのが普通になった。曜日違うしなかなか会わないね…って旦那と話をしてたくらいだった。

でも突然、その時はやってきた…今日、父親から(叔母は父親の姉です。)いとこの〇〇ちゃんが夕べ亡くなった。と。
あまりにも突然のことで…
頭の中は真っ白。無音…。 
私の母親は「キキララに話すか、話さないか迷ったんだけどね…」と言いながら涙ぐんでいる。

父親の話によると、
叔母が父親に電話をしてきて
「〇〇ちゃんが天国に行っちゃった。
キキララちゃんがいるし、こんな、知らせはしたくなかったんだけど。キキララちゃんが落ち込まないよいに、キキララちゃんは頑張るんだよ!って伝えてね」
と、こんなツラいときさえ叔母は同病の私を気遣ってくれたそう。その優しさにさらに落ち込む。

いとこの〇〇ちゃんは私より4つ年上だ。
まだ40代。〇〇ちゃんの末っ子はウチの次男と同じ歳。
いとこの〇〇ちゃんも、旦那様も、子どもたちも、ご両親も、どんな気持ちなんだろう?
どんなに悔しいんだろう?悲しいんだろう?
受け入れられるのか?受け入れられる時が来るんだろうか?
いとこの私にさえこんなにツラいのに、近くにいる家族、当人の気持ちは想像できない。
また、私の両親は、どんな気持ちだろう?私のことを想像したに違いない…。親より先に逝くつもりはない…でもそんな親不孝をしてしまう時がくるかもしれない。
死ぬ時、どんなことを感じるんだろう?
その時は突然やってくるのか?

とてつもないいろいろな思いが頭の中から、心の中から湧き上がってきて処理できない自分。
そんな時、目の前の変わらない日常で、やりあってケンカをしている我が子たちの騒がしい声に少し救われた。
私はどんな時だって…現実を見るしかない。死ねない。死ねるわけがない。
目の前のことを毎日、その日の精一杯でやるしかないんだ…って思う。
生きる…ってそういうことなんだと感じる。
そして「死」の意味も痛いほど感じる。

悲しさは消えない。悔しさも消えない。
でも生きるしかない。いや、生きたい。
いとこの〇〇ちゃんの分も。。。