長男が、高校進学を決めるとき。
彼は野球を、小学生のときからやっていた。中学時代には、地元の強豪チームに入った。(これも、私の記憶からして、元旦那が、チームに入りたいだろ?みたいに言って、反論できなかったんじゃなかろうか?と思ってるんだが…)
練習には行っていたが、レギュラーにはなれなかった。3年になり、高校どうするか?野球を続けるためには?甲子園目指すなら?ヤツはいった。「県外でもいいし」
…悲劇はこの言葉から始まった!!
その頃、旦那は、自分の実家の方で、店を構えていた。私は、旦那が近くにいないことで、暫し、心の平穏が保たれていた。高校進学については、電話で相談したり、帰って来た時に話しながら、進めていた。
大きな声では言えないが、クラブチームの監督は、各高校の監督と、なんだかんだ話ができる。とある県外の高校の名前が出た。ここからは、かなり遠い。私は、それでもいい、「本人がやりたいのであれば。」と私は押した。
元旦那は、その頃は実家にいたので、義母に相談し、「早い段階で、親元から離すのはよくないよ」と言われた、と。
私と長男が、どうしても、行かせたい、行きたい。と、押した。私も夜勤やるから、少しは学費等の足しになる。なんとかなるか…と、旦那は、「それならば」渋々だったが、承諾した。
月日は流れ、息子は、県外の高校に進学した。親元から離れ、携帯も禁止されていたため、息子から連絡しない限り、近況もわからなかった。あれが欲しい、これが欲しい、寮の公衆電話から掛けてきて、寮に送る、という生活だった。
病気、ケガ…心配はたくさんあったが、高校側も、その都度、対応はしてくれていた。
私も、それなら、安心だな~なんて、呑気に思っていた。
2年時。
息子は大ケガをした。
下手したら、ドクターヘリで搬送だった。この時、連絡を受けて、旦那は息子の元へ向かってくれた。私は夜勤があり、対応できなったからだ。後々、これも言われる。
LINEや電話で状況をおしえてくれた。
旦那は、学校側の対応をきいているうちに、腹が立ってきたらしく、学校に乗り込んで、校長を始め、担任や監督、養護教諭などに説教してきたらしい。
1ヶ月近くして、一段落し、一度、こちらに戻ってきた。さて。これからどうするか?
私はまた、「本人が戻りたいのであれば…」と発言したことで、「息子が死にかけたのに、まだ、そんなこと言ってるのか!!!」
「もう、辞めさせるしかないだろう!」
今思えば、私も考えが甘かった、と反省しているし、旦那が向こうに行って、対応してくれて、感謝している。私では判断できなかったこと、言えないことも、言ってくれて。度が過ぎるけど。
息子も、もういい、と言ったことで、退学した。
しばらくは、家で療養していた。
高校に編入するか、とか考えていたら、単位制高校が目に入った。
全日制の私立が作った単位制高校で、後々、聞くと、何人か、同じ中学校から通っていることが分かった。
バイトしながら、週4日ほど、午前中のみ学校に通った。バイト先は、旦那の知り合いの整体院。
スマホを持っていなかったため、契約する。
私のバカさ加減も手伝って、20万もするiPhoneを、分割で買う。はい、私が、ばかです。バカでした。
旦那に報告したら、ブチギレ。
おまえは、なんでこんなに高いスマホを買ってやってるんだ!?
そうです、私がバカです。分割なら大丈夫、とか思ってしまいました…
バイトして、還せ。月4万×5回で!
単位制高校なので、バイト代は、そこそこあり、息子もそのようにして、還した。
これ、いまだに、言われます。
県外の高校を2人で押しきった。
20万のスマホ買いやがって。
私がバカだったのは、確かだけど。
本人がやりたい、ということに、反対をしたくない、というのがあって。まぁ、それには限度がある、なんてことを、のーてんきな私は、考えもしなかった。
あ~、思い返せば、ホント、ワタシがおかしかったんだな。書いてて、息子に申し訳ないことしちゃったな。と反省。
県外の高校に行かせたかった理由に、この家を出したかった、というのが根底にあったから。
多感な時期に、旦那に抑圧されて、自分で決めさせているようで、実は誘導するような決めさせ方、反論できない状況。これでは息が詰まる。それを解放するには、物理的に距離を取るしかない、と思ったからだ。
振り回した。
思い返せば返すほど、子供たちには、嫌な思いしかさせてないのではないか?ワタシがおかしいから。