時折、息苦しくなるのはパニック障害と診断された。
急に予期もなく起こるから辛いのだ。
なんでもセロトニンが入りすぎて過剰に感知するらしい。
そんな中、父親の手術があった。予定の3時間が過ぎても出てこない。
主刀医から呼ばれた。
胃の摘出は出来たがその下の腸に腹膜播種といってガンが飛び散っていてそれは取れないらしい。
もうステージ4と分かっていたけど、手術は行った。胃の全摘と胆嚢の全摘。
写真も見たがボロボロだった。
胃を取ったわけだから当然食べれない。
栄養の取り方を教わり、作った。2週間すれば抗がん剤治療だから、それまでなら。
料理は得意だし。真ん中の姉と交代で作って、再入院。ここまでは予定通りだった。
いつから始めるか?
先生はそれを決めたかったが、食べれないので栄養が行き届かず点滴も無理。
なので、胸に簡単な手術をして栄養と抗がん剤を入れる。さらに悪化した時には先進治療の免疫の血液を採取して培養してあるのを投与する。
これが、決まっていた。
だが、入院した棟が悪かった。
食事は出さない。看護師が勘違いしていてさらには見守り不足で、その手術の日の朝に父親が震えているのでおかしいと思い、看護師を呼んだら、誤嚥性肺炎を起こしていた。
決定打だった。医師からは催促が来る。ただ僕だけでは決められない。最後は父親の意思を尊重するしかない。
ギリギリまで待った答えはやらないという答えだった。
そして一度家に帰りたいとのことで先生と相談した。1日だけ外泊許可が出て、車で帰り、車椅子で自宅へ。何をするわけではない、ただぼんやりテレビをつけて見てるだけ。その時に父親は悟ったのかも知れない。
母親の時もそうだったから。この風景を焼き付けておこうと。
帰りの車では戻しながら、病院へ。
でもまだその時は元気だったから。
ただ転院先を探さないといけない。
遠いのはつらいということで
近場の所に転院した。
これが1番良くなかったかも。
ベッドに移乗する際、女性2人で担ぎ上げて、滑ってベッドに落とされた。
介護士は笑ってた。
そして看護師は心拍、血圧計や吸引を強引にやったり。あれで、大量の血が出たのだろう。1週間後、父親は亡くなった。
姉は普段泣かないのに泣いた。
僕は泣けずにいた。
まだ終わりではないから。